2014年01月18日 18:21Fujii

プロトタイプという手法との上手なつきあい方

IMG_4632

プロトタイプの意義

プロトタイプを作ることが良いとされています。プロトタイプを作る大きな目的は主に2つだと思います。

1つめの目的は、ほかの人とイメージを共有するためです。

2つめの目的は、つくってみないとわからないことを知るためです。

前者は確かにそうですが、後者に対しては、皆ある疑問を持つかもしれません。

プロトタイプをつくっても意味がないとき

仮に、プロトタイプを作るとわかったことAがあるとしましょう。

このAをわかっていなかった人にとっては意味があったことになります。

では、もしこのAがわかっていた場合に、プロトタイプを作る意味はあるのでしょうか?

この場合はプロトタイプの2つめの目的「つくってみないとわからないことを知るため」という面では、意味がないです。

最初から知っていたことだからです。

プロトタイプをやれば事前に問題点を見つけることができるのか?

「プロトタイプはどこまでやればよいのか」と考えるときもあります。

いろいろと凝ったやりかたを考えたりすることは楽しいですが、本物と違う、もっと本物に近づけなければ、、、などととめどなくなり、迷宮に迷い込む場合もあるかもしれません。

そういったことになる理由のひとつにあるのが、プロトタイプとは何のためにやるのか?ということを見失ってしまったからということが挙げられます。

「プロトタイプをやれば事前に問題点を見つけることができる」というのは、半分ほんとで半分嘘です。

というのも先ほどの、プロトタイプを作っても意味がないときという視点で述べたように、わかっていたこと以上の何かを発見できないこともほんとはあるのです。

プロトタイプという手法の位置づけを正しくとらえる

ということで、現実から考えてみると、プロトタイプとは、あくまで、そのプロトタイプを作ったことで、すぐにわかることを発見するためにものだと言えます。

作ってみて、すぐにわかることこそが、プロトタイプという手法の大きな目的であり、強みで、そこから、こねくりまわして強引に何か発見するためのものではないのだと思います。

なので発見がなかったら、それはそれですぐにやめれば良いだけなんだと思います。

プロトタイプをつくったことでわかったことは、蓄積しておいて、同じケースの場合はプロトタイプを作らないということもありだと思います。

わかっていても作る場合

ということなので、2つめの目的という意味では、作らないという選択肢もありますが、1つめの目的の場合は、わかっていてもつくるというケースもあり得ます。

このあたりは柔軟に目的やプロトタイプの位置づけを忘れないようにしつつ、使っていきたいところですね。

2014年01月12日 11:52Fujii

「目が肥える」と人間は幸せになるのか?

IMG_4576

「目が肥える」と人間は幸せになるのか?

日々、だいたいの人は皆幸せになろうとしている、もしくは不幸せになりたくないと思っていると思います。

例えば、いろいろな書籍でもつきつめれば、「Aをすると幸せになります、だからAをしましょう」というロジックで表現されていることからもその様子は伺えます。(実際にそのAをして幸せになるかは別として)

目が肥えた人とそうでない人の評価が異なる

先日、映画の評価を聞かれたときにふと思っていたことがあります。

「この映画はおもしろかったけど、昔見たあの映画の方が面白かったな」なんて思うことがあります。

これは、何かのレビューなどでも見かけるように、昔ににたような映画を見たことがある人と、そうでない人ではまったく評価が異なる現象につながります。

楽しめるのはどちらか

当然映画をたくさん見れば目が肥えてきます。

以前見た映画が多ければ多いほど、目が肥えて比較します。

するとどうなるのかというと、先ほどのように、評価するときに、「あまりおもしろくなかった」ということが増えていくのだと思います。

同じ二時間を映画館で過ごしても、目が肥えている人ほど、「おもしろかった」と思えない現象が起きます。

これらは映画だけでなく、食事、音楽、そのほかありとあらゆることで起こっている現象です。

「多くのものを知り、比較すれば、楽しめなくなる」ことへ突き進むわけです。

しかし、その人はもともとは「映画が好き」だったはずなのです。しかしながら結果的に、楽しめることを減らすような行動をしています。

そういうわけで、「目が肥える」と人は幸せになるかというと、あまり関係ないんじゃないかと思っています。

同様に、映画を見る前にあまりに高い評価をするのは、見ようとしている人のハードルを上げますので、おもしろいと感じるチャンスを奪います。目が肥えている以前に、その人の頭の中の想像のおもしろい映画が作り上げられ、それと比較されるからです。

この世にない想像のおもしろい映画と比較されれば、なかなか現実の映画は超えられないでしょう。

なかなか人間は不思議なものです。

去年買ってよかったもの、まだありました

IMG_4618

プロおろし2(水切付)」。

あまり力をこめなくてもすりおろせます。洗いやすい点もお気に入りです。

2014年01月11日 17:58Fujii

人間はいくつの顔を持っているのか?

IMG_4545

人間はいくつ顔を持っているのか?

普段「ユーザーの視点」でなんて言い方をするときがありますが、ユーザーといってもいろいろな顔を持っています。

一体、ユーザーはいくつの顔を持っているのでしょうか?

ソーシャルネットワークが窮屈である理由の一つに、仕事とプライベートの友人が混ざったり、プライベートの友人だとしても、異なるグループの友人が混ざってしまったりすることが挙げられます。

そういった異なる人に向けて、たった一つのメッセージでしか表現できなければ窮屈になります。

相手によって顔を変える

人間は話している相手がどんな人であるのかによって話し方を変えますが、きく人が多くなればなるほど、それぞれに適した会話というのはなかなかできなくなり、形式張った話し方になってしまいます。

つまり、人間は、元々話す相手ごとに異なる顔を持っているのだと思います。

ソーシャルネットワークであろうとなかろうと、1対1のときの話し方と、グループで話すときの話し方は変わります。ソーシャルネットワーク上であれば、あまり無駄な投稿はしない、皆が満遍なく興味のありそうな話題にするなどにつながるのだと思います。

そんなこんなで、自分と近い人という単位で選別したはずのネットワークもいつのまにか窮屈になってしまうというのが現状です。

顔よりも細かい単位

では、相手が同じであれば、人間は一つの顔になるのでしょうか?

ある意味でそれはおそらくそうなのだと思います。

しかし、それは実は出たり引っ込んだりしています。それは別の言い方をすれば「話題」という言い方ができます。

日々人間は、この人はこの話題には興味がなさそうだから、ほかの話題をしようなどと調整しています。

相手ごとに決まったひとつの「顔」があるというよりも、「話題」単位で人間は相手にあわせているのだと思います。

例えば、同じ相手でも、今、この話題をするのか、それとも別の話題をするのかを変えています。

そんな訳で、人単位でつながった場合でも、窮屈になりますし、たとえ1対1でつながったとしても、その人との話題は出たり消えたりしているため、ときには興味のない話題もでてくることがあるのだと思います。

セッションとしての会話

さて、では、この「話題」ということに注目してみると、人間の顔の断片的なものとも言えそうです。

「何を言ったのかよりも、誰が言ったのかが大事」なんてことはよく聞きますが、そればっかりだと、話を聞いているのか、肩書きをみているのかみたいなことにもなりますし、たとえ同じ人でも興味のない話題もするので、誰が言ったかだけが大事な訳ではないでしょう。

なので、誰が言ったかという視点とは別に、音楽のセッションみたいなものとしての会話もあるのだと思います。

肩書きがあろうとなかろうと、その場で良い音を出したらそれで良いというような世界です。

その場でその話題をして、その話題が終われば、その場からいなくなる。そんな単位があるのだと思います。

「話題」の集合としての人間

「話題」単位で人間を考えると、人間は話題に参加しているときだけ、そこに存在することになります。

同じ話題をしていれば、異なる人であっても、その場に参加できます。逆に同じメンバーでも話題が変われば、もうそこにはいないも同然になるのです。

また同じ場にいても、発言がなければいないも同然になります。これは会議なんかでときどき受ける感覚としても経験があるんじゃないでしょうか。

さて、ソーシャルネットワークであるのかそうでないのかわかりませんが、人間を話題の集合としてとらえた場合、窮屈ではないものってなんなんだろうかと考えるとなかなかおもしろいです。

去年買ってよかったもの

思い出したので、生活を楽しくするものの話題を。「コットンボールランプ」。

タイに旅行したときに見かけて、日本で買ったものです。なかなかきれいです。

IMG_4613

2014年01月07日 19:44Fujii

生活を楽しくしないと存在意義のないもの

IMG_4543

生活が楽しくなるものその2

続きです。

IMG_4583

エレクトリックミラーボール 」です。

これとスピーカー(と電球式ライトがなければクリップライト)を組み合わせれば友人の家などでも使える、楽しい出張サプライズパーティグッズになるんじゃないかと期待しています。(うまくやれば主役がトイレに行っている間にセッティングもできるかもしれないですね。)

存在意義

よくよく考えると、特にこういったパーティグッズなんかは「生活を楽しくするもの」という視点がなければただの電球になってしまいますので、利用者の生活を大前提にしている製品なのかもしれません。

2014年01月04日 10:10Fujii

生活が楽しくなるもの

IMG_4541

生活が楽しくなるもの

あけましておめでとうございます。

年末にあらためていろいろなものをみて「買いもの」について考えてみました。

普段買い物するときは「生活が楽しくなるもの」かどうかという基準があります。

実用的に使い込むものとパーティグッズのように一見別々のものでも、それらを買って「生活が楽しくなるか」という共通の基準から考えることもあります。

AppleのCMが感覚的に近いかもしれません。

選ぶときに立ち止まって、生活の中で楽しいのかどうかを頭の中で考えてみるという感じです。

例えば、カメラを買うときにスペック表では優れている機能があっても、それが自分の生活を楽しくすることとつながらなければあまり気にしないなんてこともあると思います。

実際に、以前に買ったGoproというカメラは、使いにくいところが山ほどありますが、スノーボードをしているときに使うと楽しくなりそうだということから買って試してみました。

(「生活が楽しくなるもの」という基準は買うときだけではありません。買うという行為は長い目で見ると、試すという行為に近いものです。試す前にすべてわかるわけではなく、試してみて、気に入ったらまた買ったりします。)

ということで買ったりもらったりしたもの

IMG_4548

ソルジャードアストップ」。写真のように我が家ではノートを守っていますが、単体では何かよくわからない商品です。

トイストーリーの映画にも出てくるあいつのでっかいドアストッパーです。家の中にあるとちょっと楽しそうという感じで。

IMG_4554

BOSE SoundLink Mini Bluetooth speaker」(写真の人形の下のやつです)。最初はNixonの「NIXON HEADPHONES: BLASTER/ RED PEPPER NH028383-00」も考えていましたがこちらもコンパクトで音はパワフルで、外に遊びにいったときもあると楽しそうだなーという感じです。

従来の家電メーカーと異なるカルチャーを持つ会社がつくった事例という意味ではNixonのほうが興味深いです。

どちらも、スピーカーとしての機能はとてもシンプルです。

IMG_4565

FUJIFILM インスタントカメラ チェキ instax mini 90 ネオクラシック INS MINI 90 NC」。いわゆるチェキのアナログカメラっぽいやつです。

最近3Dプリンタというのがでてきてデジタルなデータからざっくりと形をもったものとして手元に作れるようになっていますが、チェキも、やっていることはInstagramのようなアナログ加工された写真がまさに形になって手元に出てくるものです。

残念ながら、デジタルデータを元にすることはできませんが、デジタルデータをアナログ風に加工する流れがあり、デジタルデータを今度は形にする流れが出てきている中で、途中のデジタルデータにするのをすっ飛ばしたら結局チェキだったというような不思議な気分でもあります。

そういうややこしいことはおいておいて、たまにパーティーで使ってみるというのが楽しそうという感じで選びました。

ほかにもあったような気がしますが時間がないので、次回に続きます。