2013年11月11日 20:03Fujii

生と死のインターフェースとしてのお祭り

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祭り

与太話を。

いつの頃からか思っていることですが、「お祭り」というのは、楽しいだけではなく、何か別のものがあります。

それが何かというと「生と死」です。

完全に現代人の自分にとってのお祭りは、チョコバナナだったり、ビールや焼きそば、そして浴衣に花火だったりするのですが、時々お祭りにまつわる起源や様式について見聞きすると「生と死」というキーワードに勝手につながけてしまっています。

生と死

今度、タイのロイカトンという大量の灯篭を空に放つお祭りをみてくる機会があるのですが、そのお祭りもどうやら先祖様のお祭りらしく、これはいわゆる日本でいうとお盆とイメージが重なります。

そういった霊に限らず、お祭りは何かの慰霊であったり、また、生誕を祝うものであったりします。

なんで世界的にそういったものがお祭りになるんだろうなーと不思議なんですが、まあ、理由はよくわからないんですが。

とにかくそういったものが多いのが「生と死」につながる理由のひとつと勝手に思っています。

死や怖さ

あと、もうひとつが、お祭りというもの自体が、どこか危険なものを含んでいたりします。

今から、こんなお祭りやろう!といったら通らないようなレベルのものもお祭りなら大丈夫です。

ものを作っては皆で壊すものや、荒々しく神輿がぶつかるものなど実際に危険なものはあると思いますが、お祭りとは元々どこかそういったものを含んでいるものなのではないかと感じているんですね。

身の危険ではないかもしれないですが、「怖い」ものもお祭りには結構あります。

鬼であったり、骸骨であったり、そういったものも出てきます。

また、反対に古くはお祭りは村の男女がごにょごにょする機会であったという話もどこかできいたりしますし、今でもブラジルのカーニバルでは男女が、頑張っているというほんとかどうかわからない話もきいたことがあります。

そんなこんなで、怖いだけでなく、「生」のイメージも同時にお祭りにはあるのかなと、そんな風に勝手におもっています。

生と死のインターフェースとしてのお祭り

お祭り自体、非日常で、普段とはどこか違った日になります。

非日常というのは大げさにいうと普段の自分を捨てる、本当に死ぬわけではもちろんありませんが普段の自分が気絶というか死ぬことに近い。

そういった日常と非日常の境界に、生と死の二つの世界が交錯するインターフェースとしてのお祭りがあるのではないかと思います。

お祭りというインターフェースの前では参加者は普段の自分から離れ、生と死が入り乱れるあいまいな世界での振る舞いをすることもあります。

まあ、そんなわけでインターフェースというのは真逆のものをつないだりするわけで、お祭りのようにどこかあいまいで、楽しいような怖いようなものが残るというのは自然なことで、そこに特に決まった答えはないのかもしれません。