2013年08月27日 09:53Fujii

UIデザインの比較とは

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UIの比較

UIデザインを行うとひとつの表現ができあがります。この表現をほかの表現と比較するときがありますが、今回はこのことについて考えてみます。

最終的な表現の比較の難しさ

必ずトレードオフになります。

表現というのは元々、Aを1位、Bを4位、Cを2位、、というような優先順位になっています。

AとBの2つの優先順位の入れ替えではなく、Aを2位、Bを3位、Cを1位、、というような優先順位を調整することになります。

単純な順位の入れ替えにならないのは、表現として成立するためにほかの優先順位が変わってくるからです。

表現として成立させることを大前提にすると、順位を入れ替えたから表現が自動的に決定されるのではなく、成立する表現が先にあって、その表現の特徴は、Aを1位、Bを4位、Cを2位、、というような優先順位になるという分析が現実に近いのです。

改善案のアピールはトレードオフを前提に

トレードオフという意識がないと、改善案は一方的な比較に偏ります。

「余白を増やし、ボタンはまとめる」という比較は、真逆のことをすれば、「余白を少し詰め、ボタンをすぐに使えるようにした」となります。

ものはいいようですが、二つは良し悪しではなく、トレードオフによって変わる並列のことなのだという前提がないと、偏りがでます。(このほかにも、「すぐに使えるように常に検索を表示する」というのは「検索はほかの機能とまとめ、表示する情報を増やした」ということと並列であったりと常にでてきます。)

偏りがでる理由は、最終的な表現が先に作られ、その後で比較をしようとするためです。

最終的な表現として成立するかは大前提なので、優先順位をいじって表現を自動的に決めようとしてもうまくはいきませんので、この順番は問題はありませんが、偏りやすいという傾向があるということだけ頭にいれておく必要があります。

妥協は悪くないし、それがないと壊れる

妥協点というのは、優先順位を決めれば必ず出てくるものです。

正確には優先順位を低くしたのだからそれを妥協とは言いませんが、表現として成立させるためには何かの優先順位を下げることもあります。

また、ABの優先順位を下げることで、Cが上がったということもあります。

妥協をするのが悪いのではなく、どういった妥協を意識的にしたのかを把握することが大事です。

その意識的な優先順位は、UIの好みや思想、コンセプトといったことが関係してきます。

単純に見えて実はいろいろと関わっているのがUIデザインの比較なのです。

2013年08月19日 20:06Fujii

UIデザインではエッジケース用の要素が一貫性を下げることがある

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エッジケースにとらわれない

UIデザインで、表現が複雑にならないようにするためには、あまりレアなケースに焦点を当てないようにすることが大事です。

Aをもしかしたらするかもしれない、そんなときに便利かもしれないといったようなことです。

エッジケースにとらわれるとどうなるか?

例えばAをもしかしたらするかもしれない、そんなときに便利かもしれないと考えて、ある要素を配置します。

ここで抑えておきたいことは、UIに新たに配置される要素というのは、新たにフォーマットを作ることと似ています。

これは映画のワンカットにある人物を登場させると、観客は場面展開やカメラがほかの向きにならない限り、次のカットでもその人物がそこに一貫して存在するものと認識します。

仮にいなくなれば「消えた」と認識しますし、そっくりの姿で服だけ変われば「双子か?」と予測します。

UIに表現されたある要素も、配置のされ方などが、ほかの要素と一貫性があるか?または、規則性があるかなどを、ユーザーにみられることになります。

たとえそれがレアなケースのためだとしても、それは常に表示され続けますし、その要素の表現に合わせて、ほかの要素は一貫性が出るように変えなければならなくなる可能生がでてきますので要注意です。

2013年08月13日 14:41Fujii

UIを崩壊させないために大事なこと

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人の観点からUIを崩壊させないために大事なことを考える

複雑になってしまうUIの話を書いてきましたが、UIを作るのは人です。ですので、人の観点から「UIを崩壊させないために大事なこと」を考えてみました。

1.基本的な共通認識を共有する

2.UI全体を管理する人をつくる

3.少なくともコアメンバーは共有のために徹底的にコミュニケーションをとる

4.要望は取捨選択

UIという言葉はまだまだ歴史が浅いため、映画など要所要所ほかの表現方法に置き換えて考えています。

基本的な共通認識を共有する

ユーザーが目にするものは、目の前のアプリやソフトウェアしかないということチームで把握しているとスムーズに進みます。

映画でいうと、観客が目にするものは目の前の映画しかないということと同じです。

この場合のユーザーにとってのアプリやソフトウェアというのは、実現のための技術や仕組みではなく、最終的に表現された結果だけです。

映画でいうと、撮影のための技術、編集方法、膨大な登場人物の管理方法、CGの仕組みではなく、最終的に映画館のスクリーンに表現された結果だけが観客にとっての映画になるということになります。

UI全体を管理する人をつくる

UIデザインの全体を統括する人が必要になります。

ユーザーに対して表現しようとしていることや要素、役割、振る舞いなどがどういった意図があるのかを把握する人になります。

映画でいえば、映画全体を把握する監督になります。

この役割の人がいない場合、アプリやソフトウェアなどがユーザーに対してどのような表現をするのかがコントロールできなくなります。

現在のアプリやソフトウェアというのは、主に視覚的な表現方法を用いているUIです。ですのでそういった視覚的な表現に通じていることが前提になります。

映画でいえば、映画監督が映画という表現方法に通じていることが前提になるのと同じです。

少なくともコアメンバーは共有のために徹底的にコミュニケーションをとる

UI全体を管理する人が、表現しようとしていることを共有するためには、今のところ徹底的に話すことしかありません。

もちろんメッセンジャーなどのログを読み込むという方法もありますが、アプリやソフトウェアのUIは、主に視覚的な表現を用いるので、言葉だけではわからない部分もあります。また、疑問点はそれぞれ異なるのでログだけでは十分ではありません。

要望は取捨選択

ユーザーのことを考えることが必要です。

映画でいうと観客を意識するのと同じです。

同時に意見は取捨選択します。

ユーザーは全体像を把握しているわけではありませんので、最終的な表現として質を高めるには取捨選択する必要があります。

2013年08月07日 09:52Fujii

メニューが複雑になるのはなぜか?

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メニューが増える原因

上位のメニューが多くなるときがあります。

原因のひとつとして「できることがわかるようにする」ということがあります。

一見耳触りのいい言葉ですが、時としてUIを複雑にする原因になるということは以前にも書きました。

できることが多いアプリほど入り口が複雑になる

メニューといっても様々ですが、できることを1番最初に伝えようとすると、そのアプリでできることすべてがメニューになります。

できることが多いアプリほどそれをやると複雑になります。

いろいろできて便利なはずが、入り口であるメニューが複雑になって不便になってしまうという可能性も出てきます。

突き放すことが必要

たまに何をしていいかわからない、突き放されている感覚がするUIというものがありますが、できることがひとつ後ろに配置されていることが原因です。

少なくともメニューにはなっていません。

突き放すというと悪いように聞こえますが、できることの前に「そもそも何を」というのを先に見せているからです。

では、メニューですべて表す時にそれをやっていないのかというとそうではなく、最初の話に戻すと実は「できること」だけでなく「対象はこれで、できることはこれ」というのを伝えようとする場合が多く、そのことでメニューはよりカオスになっていくのです。

対象が増え、できることが増えていく多機能なものほどそうなっていきます。

これを回避するには突き放すことが必要になります。

2013年08月06日 00:00Fujii

現代人は絵から意味を読みとる能力はあるのか?

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現代人は絵から意味を読みとる能力はあるのか?

父親と母親は映画を見たあとによく話をするそうですが、父親は話がよくわからなくなるらしいのです。

どうやら、視覚的にどのような意味があるか?シーンがどういう意味を持っているのか?などが読みとれず、それが原因で筋がわからなくなってしまうそうな。

映画というのは見た人ごとに異なる体験を与えます。

ひとつのものに対してひとつの体験ではなく、見終わったあとの感想も様々です。

感想をよくよく聞いてみれば注目しているところが人によってばらばらなこともよくあります。

そんなわけで、父親と母親のように見終わったあとに話すことでようやく筋がわかったりということが起こります。

絵が意味を持つ

海外の推理ドラマを見ているのですが、近年のドラマは本当にはやくなってきていると感じます。要点を絞ったカットやセリフで45分程度の長さに、2時間分のストーリーがあるようなものもふえてきている感じがします。

見過ぎたせいか、推理系の映画を見るとワンカットがとても長く感じてテンポが悪く感じてしまいます。

これはひとつひとつのカットが強く意味を表すようになって、記号化されてきているとも言えます。

なので、そのシーンの意味をすばやく受け取り続けないとわからなくなってしまうかもしれません。

近年の傾向というわけではない

絵が記号化し意味を持つのは近年の傾向かというとそうではなさそうです。

ひょんなきっかけで曼荼羅やイコンといった宗教画を見ていたのですが、これらは写実的な部分もありますが、遠近感というのはそれほど強調されておらず、どちらかというと中心に誰がいて、周りには誰がいてといったことや、何を持っているかなどに重点を置いているように見えます。

そして、それぞれが意味を持って何かを象徴していたりします。

つまり、意味を持った絵は昔からあったのでしょう。

おそらくこれらは宗教的なことを伝えるための一種のインフォグラフィックであったといってもいいのかもしれません。

つまり、強固な宗教的な世界観がしっかりとあることにより「それは何か?」が非常に明確であったイメージを絵にしたものかなと想像しました。

詳しくはわかりませんが、遠近法的な意味での大きさではなく、北斗の拳などで見られるような存在感と直結した大きさの変化、また空間的な高さではなく、宗教的な意味に基づいて絵の中のどこに配置されるかといったこともあるのではないかと感じました。

これを見ていてなんとなくソフトウェアのGUIデザインに近いものを感じました。

例によって勢い余ってGUIは現代の曼荼羅、イコンである!と与太話にしてしまいますが、意味を持った姿形を与え、意味のある配置をするという点は似ています。

こういったものを普段から見ていた人にとっては絵から意味を読みとるというのは自然なことだったのかもしれません。

言葉にして理解するのではなく、絵が得意とする全体、関係性を具体的にあらわすという良さをうまくうけとめていたのかもしれません。

絵から読み解く

現代はどちらかというとフレームで切り取るような絵、中には間違ってシャッターを切ってしまったときに撮れた写真のような絵もあります。

なんだかよくわからないけど全体が面白いというのもあれば、なかなか明確な意味があるかというとそうでもないものもあります。

もちろん明確な意味がなくても全然いいのですが、そういったものが多く、そのもやもやをむしろ明確に表現したいなどもあります。

一方で意味を凝縮したカットをすばやくつなぐ流れもあります。

これは視聴者の映画経験を前提として極限まで圧縮した表現です。

これらに囲まれている現代の人々は、絵から読みとる能力を鍛えられているのかどうか興味深いところです。

さて、これまたたまたま知ったのですが昔は「絵解き」というものを行う人々がいたそうです。

絵などの意味を説明する人だそうです。

つまり、昔の人でも絵そのものからすべてをすぐに受けとるのではなく、学習をしながら学んで行った可能性もあります。または時代の流れで意味が継承されなくなったのかもしれません。

そんなわけで絵は万能というわけではありません。

絵を言葉という、ある面から見ると非常に抽象的なツール、で説明するというのも興味深いです。

映画監督は、映画の意味を聞かれたり説明を求められると困るそうですが、歌を言葉で説明しても別物であるように、映画もまた言葉とは別で、歌と同じようにそのまま受け止めるものです。

いつものように最後はなんの話かわからなくなりましたが、意外と我々は昔から絵から何かを読みとるという能力は持っているのではないかなと思ったりしました。

2013年08月05日 20:31Fujii

絵がうまく描くことができないというのはどういうことか

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絵がうまく描くことができないとはどういうことか?

どんな絵がうまいかはおいておくとして、しくみをかんがえてみます。

絵を描くときにどんなことが行われているのか考えてみたところ、大きく2つのことを行っています。

ひとつめは、「それは何か」をイメージすることで、二つめは、そのイメージを絵というフォーマットに変換して描くということです。

「それは何か」をイメージする

描こうとするものが、どんな形で、どんな色なのか?やどんな性質があるのかなどをイメージします。

例えば、動物であったりですが、このときの思い浮かべ方でイメージすることは変わってきます。

動物よりも犬、犬よりも飼っている犬といったほうが「それが何か?」がより具体的です。

「それが何か?」が明確であれば描く絵もまた変わってきます。

絵というフォーマットに変換する

イメージしたものが感情や音であった場合、描くことは難しい。

そこでは、絵というフォーマットに変換しなければいけません。

それは荒々しいタッチで絵の具をぶつけるように描きなぐることであったり、音楽を聞いている人たちを描くことであったり様々です。

そのほかにはそういった抽象的なことではなく、単純にイメージした形、色などを絵として表現するために変換するということも含まれます。

描くことができないとは

ということで、絵をうまく描くことができないというのはこのどちらかがうまくいっていないからかもしれません。

強引にUIデザインにつなげてしまうとすると、一枚絵としてはうまくいっていても、「それが何か?」がずれていれば使うための絵の表現としては機能しないかもしれません。