2013年05月20日 20:31Fujii

ソフトウェアのUIと建築の違い

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ソフトウェアのUIと建築の違い

いわゆるソフトウェアのUIは建築に例えられることがありますが似ているところもあれば違うところもあります。

現実の世界には一貫性がある

前にデザイナーは神様のようなことをするということを描きましたが、特にソフトウェアでは創造主であるような面があります。

現実の世界では、装飾があろうとなかろうと、形がどうであれすでに一定の一貫性があります。

その一貫性とは物体として大きさをもって存在していることであったり、重力の影響をうけることであったりです。また、どんなにフラットでも太陽などの光源があれば陰影ができます。

例えていうならば、いわゆる神様がすでに創造した世界のなかでやっているということです。

ソフトウェアのUIの世界に神様はいない

ここまで書いたことから、建築は装飾的にしてもシンプルにしても、実は一定の一貫性は保たれます。

対してソフトウェアのUIの場合はその制約がないため、その大元の世界のルールを作る必要がでてくるのだと思います。

なのでちょっとした陰影を無くすということも大元のルールに関係してきます。建築の世界で言えば装飾的かどうかというレベルの話ではなく、現実の世界における太陽の存在をコントロールするくらいのことかもしれません。

影なしの話はほかの業界でも

アニメーションの世界のセル画は色のグラデーションは少なくのっぺりしています。

動かす必要のない背景は陰影豊かに描き込まれています。

一方、人物などは大量に動かすためにフラット化したともいえます。

ただ、色数は少なくても影は残っています。

サマーウォーズなどではさらに人物に影がないことが特徴として挙げられますが、これは検討の末、より動かすことを前提でやっていそうです。

[再録]特集「アニメの技術を考える」クリエイター 創作の秘密 細田守インタビュー

これは、別の見方をすると動かし続けなければペラペラに見えてしまうこととセットです。

このように、表現のレイヤーをひとつなくすと、その分別の「動かす」というような表現のレイヤーが必要になることもあるようです。

なので表現方法を減らす場合は注意が必要になります。

2013年05月14日 19:44Fujii

メニューの『ホーム』とは

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だいぶ時間が経ってしまいましたが普遍的なことなので『メニューの『ホーム』って何?』の続きです。

おすすめ型

複数の一覧の一部を表示します。それぞれの一覧は、すべてを表示することはできないため、多くの場合、各一覧のみを表示するための「すべて」などのナビゲーションが添えられます。また、任意のコンテンツをピックアップして表示します。

ストアアプリなど使われます。

ダッシュボード型

おすすめ型と似ています。

アクセスログ解析アプリなどで使われます。

デザインする際のコンセプトとしては、ストアよりもツールとして作られることが多いため、おすすめというよりも俯瞰して把握するためのダッシュボードです。

ユーザーに主導権のあるツールなので、カスタマイズ可能なこともあります。

フィード型

更新情報を横断的に新着順に表示します。

ソーシャルネットワークアプリ、ニュースリーダーアプリなどで使われます。

ホームとはなんでもよい

さて、ここまできてわかったと思いますが、ホームとはなんでもよいのです。

上記の例では、そのままメニュー名を「おすすめ」「ダッシュボード」(または「概要」など)、「フィード」「新着」などに変えることごできます。

ナビゲーションの構造の変化

階層構造しかない場合は最初の画面に戻ることは、最上位もしくは起点となる画面を表示させることを意味していましたが、現在では多くの場合グローバルなナビゲーションが各画面に表示されているためその意味がうすれてしまいました。

前の記事のコメント欄のとんびさんがもともとはハブと表現されていますが、現在では純粋にホームのみがハブではなくなってしまったといえます。

現在にも残るホームとは何か

そんなわけで基本的にはグローバルなナビゲーションが各画面にあれば必要のない「ホーム」ですが、それでもなお存在する場合は、わけのわからない項目になっていることが多いです。

ホームという名前からは、その中身がまったく決定されないので、無計画にどんどん詰め込んでいき得体のしれない画面になるケースです。

回避策としては、まずグローバルなナビゲーションの有無の確認して、ホームが各画面をつなぐ意味があるか確認。あんまり意味がない場合は、ラベルを変える、もしくはウェブサイトであれば、ホームという名前のメニューでも、ウェブサイト内の「おすすめ」を表示するのだ!など、裏で思想を持って管理することになるかと思います。

2013年05月07日 09:32Fujii

表現方法としてのワークショップの特徴と課題

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ワークショップという表現方法

文字や絵は表現方法ですが、ワークショップというのも表現方法のひとつと言えます。

文字で表現できること、絵で表現できることが異なるように、ワークショップで表現できることもあります。

表現方法のひとつとしてのワークショップの特徴を挙げてみます。

ワークショップは設計者の世界観を体感できる

ワークショップはルールがありますので、そこには世界観があります。

ワークショップは考え方の構造の縮図でもあるので、参加者はワークショップの設計者の世界観を感じることができます。

そして重要なのは、その世界観を参加しながら理解することができることだと思います。

ワークショップのルールというのは説明を聞いただけではピンときません。

大抵のワークショップは実際にやってみてからピンときます。

その感覚は文字でたくさんの説明を聞いたとしても得られません。

その感覚を通して設計者の世界観を直接感じることができるのが、文字や絵に比べて良いのではないかと思います。

インプットに集中する環境が作られる

何かをやるということは、言い換えれば、インプットの質が上がる、もしくはアウトプットのためにフォーカスされたインプットになるということです。

文字を読む、絵をみるとは異なり、なにかをやらなくてははじまらないので、そのときに必要なことを自然とインプットするようになります。

文字や絵もアウトプットを前提として向き合うのであれば同等ですが、ワークショップはそれが最初からセットになっている点が特徴です。

同時発生、イレギュラーな展開が表現できる

複数の参加者がいる場合は、同時に何かが進行したり、それぞれの行動によって展開が変化していくことが表現できます。

展開は参加者に依存するのでイレギュラーな方向に向かうことも表現できます。

課題

このように表現方法として考えると、文字や絵と比べてもワークショップでしか表現できないこともあります。

となると、表現を読みとる側のスキルもありそうです。

文字では、読み書き能力をリテラシーといいます。ワークショップの場合のリテラシーとは、参加する、開催する能力といってもよいかもしれませんが、文字や絵ほどまだ一般的ではないのが課題かもしれません。

2013年05月06日 11:24Fujii

社内ワークショップの長所と短所

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社内ワークショップに参加

久しぶりにワークショップに参加してみたのですが、社内のワークショップでした。「社内」という視点で考えた場合の特長をまとめてみました。

短所

今回は参加者でしたので気楽でしたが、ファシリテーター側からすると社内ワークショップは、通常の自由参加のワークショップよりもハードルが高いと思いました。

その理由はモチベーションが必ずしも高くないからです。

自由参加型は自発的に意思を持って参加しますのでモチベーションは高めです。

社内ワークショップはそこまで高いとは限らず、好奇心旺盛な社員が揃うかどうかに左右されます。

好奇心旺盛であれば、とりあえず大きな関心がなくても身体が動きます。

また、利害関係の無い自由参加型とは異なり、社内での振る舞い方の文化に縛られたりするので、完全に自由に動くことは難しいです。

また、失敗する姿を見られたくないなどの保守的な意識も働くこともあると思います。

そんなわけで、1番いいのは何でもやってくれて失敗もどんどんしてくれて、なおかつ、それでも場がおかしくならない人です。

そういう人が揃うかどうかで考えると、やはり自由参加のワークショップのほうが集まりやすいと思います。

長所

モチベーションはさておき、とりあえず参加者が集まるのは良い点です。仕事の延長と考えれば真剣にやります。

ハードルが高いですが、反面、社内ワークショップでは、同じ会社の社員なので、ある程度一定のスキルや背景を前提にすることができるという良い点もあります。

また、ワークショップ後に、結果がダイレクトに伝わります。

すぐに何らかの影響を仕事に与えるかもしれません。

話し合う、説明することがやることよりも先にきがちな会社組織では、意外とこの「やる」というのがおろそかになりがちです。

目に見えるものにすることが大事なように、まず「やる」を最初に持ってくることで得られる成果が変わります。

試し、ふり、演じるなどで良いため、この「やる」ことに対するハードルが低くなるのが良い点です。

2013年05月01日 09:41Fujii

ユーザーに委ねなければできないこと

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ワークショップとUI

普段よくUIを映画を例に考えたりしますが、映画はインタラクションがありません。

なので、本当はワークショップの方が例としては近いのだと思います。

ワークショップは参加者に委ねる

ワークショップでは、基本的なルールを設定して、参加者にやることを促しますが、参加者がそこでどのように振る舞うかを厳密には限定しません。

ファシリテーターは、最初から何割かを参加者に委ねていますので、ワークショップ自体の説明でも、「なにかを発見することが目的です」と伝え、あとは参加者がその場その場で臨機応変にやり方を変えながら行います。

ワークショップのルール内では、参加者には決められたタスクというものはなく、タスク自体もコロコロ変わります。

そして終わったあとの発見や体験は人それぞれ異なるものになります。

ワークショップは参加者に委ねるので、その発見や体験を厳密に規定しません。

ファシリテーターもする気はありません。

どちらかというと参加者に委ねることによって発見するという体験ができる、ただし、その発見する内容は人それぞれ異なると考えているからです。

なのでファシリテーターというのは常に不安定であること、コントロール不能なものを扱っていることを自覚しています。

UIではどうか?

利用者であるか、参加者であるか、そこも問題ですが、言葉はさておき、UIの場合はユーザーに委ねるというよりも、えいやっとタスクを決めてしまいます。そこから派生して指標を決めて、指標にできる部分を変化させ、その数値を上げることを改善と呼ぶことも多い気もします。

ワークショップのように委ねるという発想になるとまた違った視点になるかもしれません。