2010年11月30日 02:25Fujii

「わかる」と「できる」は別物

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「わかる」とは本人が「わかった」と言えばそれでおしまいです。作り手もこれが「わかりやすい」と思えばそれでおしまい。

「わかる」と「できる」は別物。

描いたの2年前だったです。

2010年11月25日 01:33Fujii

「仕組み」と「さじ加減」

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「仕組み」と「さじ加減」

この2つがわからないとできるようにならないと思いました。概念レベルの話をいくらしてもダメなのはそこに、さじ加減の話が無いからです。

さじ加減の話というのは、実はどんなときにも必要になります。

必要にならない場合もあるかもしれませんが、さじ加減が必要ない、つまりバランスをとる要素がない話というのはとても少ないと思います。

概念レベルの話は、さじ加減の話よりも、仕組みに偏りがちです。

仕組みの話では概念程度で話が進んでしまうのはなぜでしょうか?多くの場合、それは、話の前提を決め事として固めてしまってから話すからです。

例えば数字。何を「1」とするのかということは、実ははっきりしていませんが、1と1を足すと2になるというのは決め事なので固まっています。

重要なのは、固めただけであって、何を1とするのか?というところは何も解決していないということです。実際に何かしようとすると、その1はなんだったのかが大事になって、「まあ、大体この程度を1とするか」というさじ加減が必要になると思います。

何かを知るときも、「仕組み」と「さじ加減」の両方を知りたいと思うことが多いと思います。残念ながらさじ加減をすべて伝達することはできないとは思いますが、そういったことが原因で「できない」ことがあるということを忘れないようにするといいのかなと。

これを理解していないと例えば、何かに時間をかけて調べるときに、「仕組み」を調べているのか?「さじ加減」を調べているのか?を理解できなくなります。また、わかったとおもったことは「仕組み」がわかったのか?「さじ加減」がわかったのか?も区別できなくなります。

2010年11月16日 01:29Fujii

夢がうまく思い出せないのはなぜか?

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夢の記録

普段あまり夢を見ないのですが、たまに見ます。

夢を見ると必ずやるのが、どんな話だったか思い出すことです。

結構半分寝ているような状態から身体は動いていませんが、必死で思い出します。

しかし、不思議なことに大抵すべて思い出すことができません。

思い出しているうちに忘れてしまったり。別の話になってしまったりします。

この間、なぜそれが難しいのかわかりました。

夢というのは突拍子も無いことが出てきますが、実は時系列になっているようでなっていません。

場面が変わっていくのであればつながっていないけれど、普通は順番になっています。

しかし、夢の中では、場面も変わりますが、コンテクストも変わっています。

コンテクストが飛ぶから難しい

つまり、パッとこれは何であるというのが分かっている状態にかわるから、あとでまとめるのがとても難しいのです。

知らないけれど知っているものがでてきます。それもごちゃごちゃですけど。

知っているものは過去に出てきたはずのものなので、、、と考えて、思い出してまとめようとするとうまくいかなくなってしまうのです。夢としては実は見てはいないからです。場面としては見ていないけれど、知っている状態になっているということです。

ただ、問題なのは、知っているけれど、存在として二重になったり摩り替わったりします。今回見た夢は、途中からアニメの世界観になっていて、「これはポニョの映画だ、ポニョを撮った新人監督の新しい映画だ」、「そのことは自分はわかっている」というコンテクストになりました。

目が覚めたら、一体何をわかっていたのか?そもそも自分が映画の中にいるわけないし、ポニョもどこにもでてきていないのに、なぜ「わかった」という気になったのか?と謎でした。めちゃくちゃですけど、夢の中ではなぜかそれで進んでいくので不思議ですね。

夢は記憶か、思考か

なので、夢というのは経験した記憶というよりも、思考なのではないかと思いました。

何かと何かについて把握しているコンテクストをいろいろコネコネしている状態なのかもしれないと思いました。

そのわりには主観的な映像であったりするので不思議です。

夢の記録は巻き戻しで

今回、夢を比較的多く思い出すコツとして何かいい方法はないかと思い、ひたすら巻き戻してみました。

最後のシーンから。

でも、途中から、知っていることか、夢のなかに実際に出てきたことなのかごっちゃになってわからなくなってしまいました。

とはいっても、最初から思い出すよりもうまくいった気もします。

しかし、いつも思い出すとものすごく身近なことの寄せ集めで情けないくらいです。いつも脳みそは安易だなーと思います。もっとスゴイのだしてきて欲しいんですが無理みたいです。

おもしろかったーと思っても、思い出してくと全然おもしろくないってことが多いのも不思議です。見終わったときはおもしろかったーという感覚だけがあるんですが、これもまだ半分夢の中なのかもしれません。

2010年11月15日 01:53Fujii

言葉の解凍は楽しい

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ということで、圧縮された言葉を普段やり取りしているので、解凍するだけで結構楽しいんではないかと思います。

「夏」とは?「山登り」とは?を考えると楽しいです。前に「演劇入門」という本を読んで試してみたこととつながります。

映像でカットをつなぐ時ともつながります。どういうカットをつなぐと自分が感じた雰囲気を再現できるかを考える作業をしてると思うので。

楽しいですよー。

2010年11月13日 15:34Fujii

言葉の解凍し忘れ症候群

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続きです。言葉という圧縮されたものを流通させている私たちですが、圧縮されたものをやり取りしているとついつい忘れてしまいが「解凍」です。

解凍を忘れるどころか、圧縮されていたことすらわすれてしまうと大変です。

なので、「○○とは?」というのは、圧縮された言葉をうまく解凍できなくなってしまった状態です。

言葉や文字を知っていることで満足するのは「言葉の解凍し忘れ症候群」になってしまったコレクターです。

「解凍」することができないコレクターは、解凍するとでてくるものが似たような場合でも、解凍できないので、別のものだと思ってしまいます。

「言葉にすればわかる」という思い込み

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言葉というのはもう一度イメージに変換されます。

よくわからなかったことを言葉でいえることでわかった気になることがあります。

でも、よく考えると言葉というのはもう一度イメージに変換されます。

本に書かれているのは圧縮されたもの

つまり途中のアイテムでしかないのです。イメージをそれなりに圧縮できただけです。ちょっと偏見ですが論文とか本読むのが好きなだけの人というのがはまる落とし穴だと思いました。

本に書かれているのは圧縮されたものでしかないのです。

以前から「大体わかる」ということが大事だと感じているのはそれが理由で、言葉にするのは、何も正確にわかるためではなく「大体わかる」でいいのではないかと思います。

圧縮されたものは取り扱いが比較的楽というような良い面もあります。なので大いに使うべきだと思いますが、言葉や文字にすることで「大体わかる」以上のことがあるかというと、無いと思います。

言葉とはそういうアイテムです。

2010年11月12日 02:52Fujii

デジタル一眼動画で遊びながら学んだこと

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一眼レフカメラを購入

一眼レフカメラを買ってみました。GX100というカメラを使っていて、写真もいいけど動画もあとで見るとおもしろいなーなんて思っていました。

そこに、一眼レフだとなかなかよさそうなものが撮れるというのを知りまして、CanonのX4というカメラを買ってしまいました。GX100もX4というカメラも僕にとっては十分すぎるほどいいんですがSigmaの30mm F1.4 というレンズが使いたかったという感じです。

映画を作るとかそういう気はないんですが、スライドショーの延長のように気軽に使っていきたいと思っています。

動画とはなんぞや?

色々遊びながらあれこれやっていくんですが、基本的には複数の場面をつないでいきます。やっていて感じることは、複数の場面をつなぐということは「遷移」を考えることで、この「遷移」を考えながら作っていくというのは画面の設計や、もっと広くいうならば、利用シーンを考えることと共通点がありそうだということです。

写真型人間と動画型人間

一枚の写真というのは、ひとつのシーンです。こういった一枚の写真が得意な人でも、複数の写真を組み合わせることは苦手な人もいるかもしれません。それは、例えば画面の設計において、ひとつの画面をつくることは得意だけれど、複数の画面を組み合わせて考えることが苦手なことと似ています。

作り手でなくても、出来上がったものを見て、良い悪いなど何か評価する人でも同じように、ひとつの画面を見る人と複数の画面の組み合わせを見る人がいます。

写真と動画は似てるが「組み合わせ」を考えると違う

一枚の写真と複数の写真を組み合わせたスライドショーというのは似ているところもありますし、全く別物であるところもあります。

僕は動画や撮影の専門家でもなんでもないですが、素人なりに遊んで試しているときに本当に組み合わせ次第で印象が変わっていくんだなーと何度も感じています。

遊んでいるうちに、「組み合わせること」の難しさは、組み合わせ方がたくさんあることだと思いました。

写真がたくさんあったらたくさんの組み合わせ方があります。

動画なら一枚の写真ではなくひとつのシーンになります。

自分なりに、どうコントロールしたらいいかなと考えてみたところ、まずは数を減らすことだと思いました。

小さく遊びはじめる

なので、一番最初は1カットだけにしました。2秒くらいのものを作りました。作ったといっても、このカットをひとつのものとしよう!としてYouTubeにアップしただけです。

「たった2秒の1カットだけなのー?それじゃーなんかわかんないよー」なんて思うかもしれませんが、実は画面設計においては意外と一画面だけしか考えずに判断していることもよく目にします。

3カットだけ

次にやってみたのは3カットです。

鍋の動画です。もともとは、つなげようと思って撮ったわけではなかったのですが、つなげてみるとつながっているように見えなくもないところが不思議です。なのでこれを作ってみて思ったのは、人間は無意識のうちにつなげてみてしまう能力というか習性があるのかもしれないということでした。

これもとても短いといえば短いですが、なにか印象を持つには十分な長さだと思いました。短い間に判断しているんだと思います。

人間は3つのカットにある関連性を感じてひとつの世界のように扱う

印象だけでなく、3つのカットにある関連性を感じてひとつの世界のように扱うのだと思います。

例えば、夕方から夜にかけて鍋を食べたのかな?というように、つなげてしまうということです。これを入れ替えて最初が夜で、真ん中が鍋で、最後が明るいカットだとしたら違ったことを考えると思います。そのときも、ひとつの世界にまとめ上げようとすると思います。

例えばですが、「鍋を食べた夜と次の日なのかな」というような感じで。画面遷移を考える時と似ていますよね。それぞれの画面をただ見るだけでなく、順番を考えて判断することととても似ています。

複数カットで

3カットのあとは複数のカットをつなげたもので遊んでみました。

これは、以前に写真でやったものの動画バージョンです。

カット数は多いですが3カットのときよりもカットごとの差があまりないので、印象が変わります。もう一つ感じたことは、ほんの一瞬のカットでも、認識できるということです。「茶色いノートにまとめて描いているんだなー」というようにです。

スケートでコロコロ

3つめは、vimeoなんかを見ていて、スムーズに撮ると印象が変わるなーなんて思ったので、もらったスケートにカメラを載せてコロコロ転がして撮ってみました。

このときに遊びながら思ったのは、手で持って、微妙に揺れているということと、(かくかくブレてはいますが)スムーズに撮れたものはまた印象が違うということでした。

見ているときは、こっちはスムーズで、こっちは手で持ったんだなと考えてみているわけではありませんが、そういったことも情報として知らず知らずのうちに感じ取っているのかなと思いました。

例えば手で持っている方がアットホームな感じの印象があるなどです。

もう一つ感じたことは、カットの長さです。3つめはちょっと長いです。もともと一枚の写真を2秒づつつないだスライドショーでも認識できますので動画でも同じように認識するのだろうなーと思いました。なので、3つめは少し長く感じるのだろうと思います。

特に動いているものを撮っているわけではないないので長く感じるのかなと。カメラが動いているので少し耐えられるとは思いますが、ちょっと長いと感じました。

いろいろ遊びながら発見もあり、楽しいです。

↓ガジェットブログ風

Canon デジタル一眼レフカメラ EOS Kiss X4 ボディ KISSX4-BODY
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シグマ 30mm F1.4 EX DC デジタル専用 HSM キヤノン用
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2010年11月03日 04:01Fujii

形式がもたらすものと中身はある程度分けて考える

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マンガだから読むほど人はヒマではない。

形式を売りにしても、面白くなければダメ。なぜなら形式を変えれば面白くなるわけではないので。形式がもたらすものと中身はある程度分けて考えるほうが良い。

パネルディスカッションがつまらない理由

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まあ、大体パネルディスカッションってつまんないですよね。なんかとりとめもなく話しているのを聞かされているだけですし、相当面白いテーマや会話自体のおもしろさがないと眠くなります。司会者の自己満足という結果に終わってしまうことが多いですし、司会者が興味のあるテーマであってもパネルディスカッションでは司会者自身も満足できる結果も得られないことが多いでしょう。

なぜうまくいかないのかというと交流がないからです。司会者が自分が聞きたいことをきくのは控え室でやればいいだけですし、それをまとめた結果の方がはるかにおもしろいものになるでしょう。なので基本的には会場とのレスポンスが無いとだめです。

会場に来るくらいの人なので、ディスカッションに参加してもらうほうが、参加者の体験も向上します。

何かに対して、フィードバックを返したい時に、返せて、そこからさらに状況が変化するほうが体験としては豊かです。

調整どころとしては、すべての人がそういうことをできるわけではないので、事前にある程度質問を募っておくなどすると、その質問に対して、会場の多くの人が共感できます。人の質問でも、「あ、それききたかった」という気になれば、たとえその人が直接返すことができなくても、自分が参加している気持が芽生えると思います。反対に、ききたい質問が出ない場合は参加している感覚は薄れます。

イベント参加者のメンタルモデルを考慮する

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イベントに対してどんなメンタルモデルを持っているのかを少し考慮するとよい。執行猶予みたいなもので、内容の詳細はわからないけど、興味はある、実際のイベントではこんなことが聞けるんじゃないかということを皆持っています。

メンタルモデルを把握して、それに対してなにかしらアプローチするといいと思います。それは、聞きたいこと以上の結果であればもちろんよいし、それでなくても、聞きたいことに対する返答のようなものがあるだけでもよい。

2010年11月02日 03:14Fujii

主催者が交流しても参加者は満足しない

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主催者が交流するのと参加者が交流するのは全く違います。

参加者の体験ベースで考えると見えてきます。オムニバス映画のようにひとつのイベントに参加する人の体験を考えると見えてくることがあります。

体験ベースを簡単な図にすることでさらに違いが分かりやすくなります

参加者はそこにどんなに人が集まっていても、実は交流できない仕組みになっているのです。交流会が人気なのは必然といえるのではないでしょうか。

体験ベースの発想法 表の目的、裏の目的

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表の目的というといらないものという感じがしますが、裏の目的だけでは成り立ちません。前に「仲良くなる」の仕組み でも描きました。

裏の目的だけでは成り立ちませんが、表の目的だけでタイムテーブルを組んではいけません。空きの時間とは参加者の体験の中で、裏の目的を達成させるための時間でもあります。

イベントメモ、主催者はまる落とし穴

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iPhoneの便利なメモアプリに書き留めておいたネタです。

ソーシャルというのはもともと現実の世界にあります。人が集まればそれだけでコンテンツになります。結婚式の2次会なんかで、ゲームみたいなのがタイトに詰まってしまうと、集まった人同士が交流できないのと似ています。

恐れずに空白の時間を作ったほうが良い体験になります。主催者側としてはずっと詰め込みたいというのはわかりますが、参加者の体験ベースで考えると違ってきます。

人が集まればコンテンツですがタイトなタイムテーブルだと生かせません。