2010年10月28日 02:41Fujii

ユーザのことが想像できないのはなぜか?

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ユーザを想像できないのはなぜか?

それは、つくったものが使われる場と離れているからです。

「離れている」といっても種類が2つあります。

1つは物理的な距離で離れている場合。

2つめは心理的に離れている場合。

物理的な距離が離れている場合

なので、対処法はこの2つを近づけることだろうと思います。

1つめの物理的に離れている場合は、なんらかの方法で物理的に近づけます。

ユーザがはっきりしている場合には比較的楽で、例えばユーザビリティテストなどで「使われている場」との距離を縮めることもそのひとつだと思います。

アクセス解析などは、物理的に近づいてませんのでこの場合の対処法にはなりません。

ユーザビリティテストも、レポートやビデオではなく、隣の部屋で見学するなど本当に物理的に近づくほうがよいでしょう。

もちろん、ユーザビリティテストでなくても、近づければなんでもよいです。

心理的な距離が離れている場合

さて、2つめの心理的に離れている場合はどうでしょうか?

これは、目の前で「ここ、押しにくいなー」なんていうリアクションがあっても、するーっとぬけてしまいます。

対処法はあるのでしょうか?

昔から裸の王様なんて言葉もあるくらいで、ないものも見えてしまうくらいですので、対処法はないといえばない。なので競合他社がそんな人ばっかりだと非常に楽チンなんですが、社内でそんな感じだと困ってしまうかもしれません。

考えると、製品のその後自体にそもそも想像力が向いてないのではないかと思います。製品というかつくったものがその後どうなったのか?どうなるのか?を想像していない状態。

そういう状態とは、目の前で起こっていることが、後にユーザーとの接点でも起こると想像できない状態。もちろん、売れば終わりの短期的な視点の社内制度のもとでは働く人がそうなることは当たり前です。が、それを抜いても後のことをあまり想像しない人もいるし、人間そんなものではないかといえばそうだと思います。

対処法は、結局物理的に距離を縮めるのがいいのでは?という結論です。

物理的に距離を縮めると、心理的な距離も縮まるのではないでしょうか?

2010年10月26日 00:53Fujii

コンピュータと映画、マンガ、演劇の違い

20101009.jpgUI、UX、IXという用語を少し説明』では、演劇というフレームで説明しました。

そのときに、「違う点もあるんだけど」と思いながら描きました。そのことは『『劇場としてのコンピュータ』を読みはじめました。〜システムのUI設計、UIで表現されるものと演劇や映画との共通点〜』に少し描きましたが、改めて。

基本的に、マンガ、映画、演劇などは一本道、つまり線型で、コンピュータ(ウェブサイトやシステム)は違います。色々な選択に応じて出てくるものが変わります。

全部違うかというと部分的にはウェブサイトやシステムも一本道になることもありますのでなんともいえませんが、すくなくとも、映画、マンガ、演劇はずーっと一本道です。

この大きな違いというのは、作るときに考えることと大きく関係します。選択に応じていろいろなものがでてくるということが違いですので、選択に応じて何を出すか?考えることが必要になります。

例えば何かを評価するときに、映画などは座って見てればよい(劇場の評価という意味では、映画も座ってみているだけではいけないですが)。

しかし、ウェブサイトやシステムはそれではいけないということです。

ウェブやシステムのデザインというのは、「選択に応じて出てくるものをどうかえるか?」というのが根っこにあると思います。

ちなみに、シナリオというのも線型です。

2010年10月25日 23:26Fujii

なぜ作り手は「人」と「人が接するもの」の同化を拒むのか?

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「人」と「人が接するもの」

「情報のデザイン」というときに、プロパガンダのようなことが話題になることがないのは不思議です。

といっても大体理由はわかっていてネーミングとは難しいもので、 「情報のデザイン」といっても言葉通りではなくある種の限られたカテゴリーを指すのが現状だからだと思います。(もしかしたら、情報デザインという名前がそのカテゴリーにあってないのかもしれません)

さてさて、今回のテーマは「同化を拒む」です。

コンピュータ、演劇、アニメーション、マンガ、映画などを考えるときに一番単純な要素は何か?と考えると、「人」と「人が接するもの」になります。

例えばコンピュータの場合、ユーザーとシステム。演劇の場合、観客と舞台。アニメーションの場合、観客とアニメ映像。マンガの場合、読み手とマンガ。映画の場合も観客と映画。

さて、この中で、演劇やアニメーション、マンガ、映画のスタンダードな仕組みを考えてみますと今回マンガに描いたようなことになります。

「人」と「人が接するもの」の関係

これらにおける、「人」と「人が接するもの」とにはどのような関係が生まれるのか?考えてみます。

それは「同化」です。

観客や読み手と、登場人物を「同化」させるのです。

よく「共感できなかった」とか「感情移入できなかった」とか感想を漏らすことがありますが、まず、観客や読み手自身が、「同化したがる」傾向があります。

人によっては、「それ以外に映画やマンガ、アニメをどうやって楽しむの?」という人もいると思います。

そして、観客や読み手だけでなく、もちろん作り手がまず考えます。ある意味、「感情移入させる」ということになります。

「同化」した結果、登場人物になりきり、その世界の登場人物から見た世界を、自分も見ていているかのように体験させます。

作り手はさせようとし、観客もしようとします。

「同化」は現実の世界にも

同化は現実の世界にもあります。

映画、マンガ、アニメだけの話ではありません。作品かどうかというのはあまり関係がありません。普段の生活で話題になることは作品化されていないだけで、こういった要素が含まれています。

もともと、物語というのも、読んで字のごとく、誰かが誰かに語るということが基本です。自分の友人から聞いた話、うわさ話、どこかで読んだ文章などであろうと、似た構造を持っています。

この「同化」というごくごく基本的な要素は、作り手からするとまず考えるところであり、同時に観客や読み手が「同化」した時のエネルギーの強さというのも一番感じているはずです。

作ったものが独り歩きすることもそうかも知れませんし、文章等でも引用されたときやRTされた時なども含まれます。

そのエネルギーが強いからこそ、ちょっとした不安というか慎重さや怯えが作り手の中には知らず知らずのうちに生まれると思います。

不安の正体

その不安などの正体はなんでしょうか?

僕はシンプルにこう考えます。

「扇動」です。

どこまでがそうなんだという線引きはありませんが、その様を見て不安にならない人はすくないんではないでしょうか。

作った作品が何か扇動するためでなくても、依存が強くなる様は不安になると思います。こういった不安は作り手の標準的な不安であるため、この「同化」を拒むという作品も結構あります。

ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)
ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)

2010年10月23日 03:13Fujii

Q&Aサイトが人気なのもそういった情報のギャップがある人同士の会話だから

20101007.jpg見る人に有益な会話とは?

というわけで、引き続き『演劇入門』を参考に、見ている人にとって有益な会話ということを意識して描いてみました。

もちろん物語を理解するために有益という意味ですが、そのほかのことにもつながることではないかと思いました。

本では、お互いに情報のギャップがある人同士が話すのがよいというようなことが書いてあります。

ウェブ上では、よく「調べればわかる」とかいう表現がありますが、実際に見ている人に役立つのは、知っている人と知らない人のやりとりなのです。

「演劇入門」を読んで、Q&Aサイトが人気なのもそういった情報のギャップがある人同士の会話だからだと思いました。

実際に見ている人にとって役に立つのは、教えている時の会話

最近価格コムなんかを見ていると、過去に何度もでてる質問だから調べてみなさいというようなやりとりがありますが、実際に見ている人にとって役に立つのは、教えている時の会話なのです。

もちろん教える義務があるわけではないので自由ですが、そもそも、情報にギャップがない場合は質問もうまれません。

「演劇入門」では、

人は、お互いがすでに知っている事柄については話さない。

「演劇入門」平田オリザ

と作者の方が言っています。

うーむ、おもしろいですね。

もちろんユーザビリティテストなんかでも、言語そのものというよりも、なぜそう言ったのか?とか「反応」として捉えることが大事です。

もともとなにかの作り手であれば、言葉をそのまま受け取るということはまずないと思いますが。「主人公がかわいそう」といって、じゃあ「主人公には問題が降りかからないようにしよう」なんていう人はいません。

そういうわけで、言語の中身ではなく、なぜそう言ったのか?という行動として捉えるのがポイントなのかもしれません。

演劇だとそうしないと不自然になるのでわかってしまいますが、アンケート調査なんかだと書いてあることをそのまま何も考えずに間に受けたりしますよね。

演劇入門 (講談社現代新書)
演劇入門 (講談社現代新書)

2010年10月15日 02:59Fujii

「演劇入門」〜場のデザイン、行動のデザイン〜

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環境はおまけ?

以前に読んだ『劇場としてのコンピュータ』という本でこんなことが書かれていました。

行動を設計することこそ肝要。ものや、環境や、キャラクターの設計は、みなこの中心的目標のおまけである。

ヒューマン=コンピュータ・アクティビティの第一の要素、それは行動である。

「劇場としてのコンピュータ」B・ローレル

環境はおまけであると。

環境によって「話をさせられている」のだ。

さて、会話とは場に影響を受けるということが「演劇入門」では語られています。

すなわち、私たちは、主体的に話していると同時に、環境によって「話をさせられている」のだ

「演劇入門」平田オリザ

確かにそうだ。と思ったんですが、どれくらい大事にしているかというと、戯曲を書く際にまず最初に決めるくらい大事にしているというのが驚きました。

主体的にといいつつも、観客がきいていて物語がわかるような会話というのがでるかでないかは「場」にかかっていると考えているのだと思います。

会話とは言語行動であり、行動のひとつであると作者は言っています。

行動をデザインするということは、場をデザインすること?

つまり、行動をデザインするということは、場をデザインすることになるのでしょうか?

「劇場としてのコンピュータ」も「演劇入門」も演劇に縁のある方が書いていますが、重なるところもあったり、重要とする割合が違っていたりおもしろいです。

といっても、「劇場としてのコンピュータ」は何を言っているのかよくわからないことが多いです。意外に基本的なことを言ってるのかなと思う時もありますがイマイチつかめません。

さて、言語行動に影響を与える「場」とは何を指すのだろう?と思いました。

演劇入門 (講談社現代新書)
演劇入門 (講談社現代新書)

劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)
劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)

2010年10月14日 03:38Fujii

タッチデバイスを片手で持つときと両手で持つときの触れるエリアの比較

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タッチデバイスを片手で持つときと両手で持つときの比較

タッチデバイスを片手で持つときと両手で持つときに、持ち方によって触れるエリアがどれほど変わるか調べてみました。

とはいっても、ハードウェアの性能の差がありますのでざっくりとした比較です。そもそもiPhoneで感心したのはタッチ式のものが使い物になる反応の良さでしたので。

という点は踏まえつつ、親指だとうまく押せないこともあるのも事実で、自分はボタンやリンクが小さくて揺れる電車の中でうまく押せない場合はサイトを見るのをやめてしまったりすることもあります。

作る側としても、やっぱりウェブの感覚だとどうしても一つのものが小さくなりがちですし、もともとPC用のウェブサイトでもクライアントがいる場合などは、入れる要素が多くなっていく方向になりがちではないでしょうか。

ということで、だいたいどんなものかなー?と思って調べてみました。

比較方法は、人差し指と親指をペンで塗って触っただけです。

以下が色をつけてみたものです。

tuch_screen_size_thumb_first_finger_4.png

色をつけると、それらしくなります。笑

参考にしてみてはいかがでしょうか。

以下、舞台裏。

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厚紙と、

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ベタ塗り用の水性ペン。

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糊がないので、ご飯つぶ。やる気なので目的のためには手段は選びません。笑

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ペタ!

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まず、片手で持って、もう片方の人差し指でつんつんと。写真撮るときだけ置いてます。

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次は、片手で親指のみで。片手だと指先というより指の横。どうしてもぺったり付きます。

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採取完了です。

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水性なので洗ってスッキリ。

過去に作ってみたもの

デザイニング・インターフェース ―パターンによる実践的インタラクションデザイン
デザイニング・インターフェース ―パターンによる実践的インタラクションデザイン

2010年10月13日 02:36Fujii

『演劇入門』リアルなセリフ実践編

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『演劇入門』の実践をしてみました。

今回は、背景なし。セリフはいまいちかもしれませんが我が劇団員達が頑張ってくれました。

描いていない背景が見えてきたらば成功です。

こまかいやり方は本を読んでもらうとして、感心しました。

アニメーターのときもそうでしたが、今回は舞台の演出家のものの見方で感心しました。

戯曲を書くこと、演劇を創ること、その過程で見えてくる新しい世界があるはずなのだ

『演劇入門』平田オリザ

とまえがきに書かれています。確かに読んでいて舞台の演出家はこのように会話について捉えていたのかと唸ってしまいました。

会話といっても、行動の一つであるということだと思います。会話だけ独立であるわけではなく、そこには他者との関係性も自然に表現されているということです。なので、言語行動という言葉もでてくると思うんですが、しかし、そういった用語で唸ったわけではなく別の理由でなんか唸ってしまいました。

やはり、普段自分が使っているにも関わらず、見過ごしていたものを、舞台の演出家という視点で、こんな捉え方もあるよと教えてもらったからかもしれません。そして言語学的な分類だけでなく、舞台でのリアルなセリフとは?というアウトプットにまで昇華させていることも関係していそうです。

演劇入門 (講談社現代新書)
演劇入門 (講談社現代新書)

2010年10月06日 02:08Fujii

『演劇入門』〜コンテクストのすり合わせ〜

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コンテクストという言葉が出てきました

今読んでいるのは演劇の本ですが、コンテクストという言葉が出てきます。

2つあって、演出家と観客のコンテクストのすり合わせが現代の演劇という行為にあるというようなことと、演出家と俳優の間でもコンテクストのすり合わせにまつわるいろいろがあると書いてあります。

作品に関して言えば、そのコンテクストのズレがあると不自然で説明的なセリフになってしまうのではないかとも書いてあります。

例えばこの本では、

「美術館はいいなあ」

という言葉を例にしています。それを不自然にしないためには、まず美術館とは何か?というイメージの整理からはじまっているのです。

単純に興味に合致していて最近読んだ中で一番おもしろい。

コンテクストのすり合わせ

「コンテクストのすり合わせ」って言葉がなかなかいいかも。

作り手のコンテクストと使い手のコンテクストのすりあわせ。そんなふうに置き換えて読むと楽しいかもしれません。

演劇入門 (講談社現代新書)
演劇入門 (講談社現代新書)

2010年10月03日 14:46Fujii

頭の中の小部屋

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自分の頭の中

「あの人の頭の中を覗いてみたい」なんてよく言いますが、自分の頭を覗いてみました。

きっかけは、何かやっていたことを思い出すときです。頭の中に部屋があって、それまでは閉じていた状態だったのに、ある瞬間にそれをまた開いたような感覚があったので描いてみました。

過去に自分が書いたものをみると、いくつかの種類の考え方をしているみたいです。

物理的な構造と脳みその構造

「頭の中の小部屋というのは概念の話か」と思ってしまいますが、物理的に存在する部屋の場合、ここに行ってなにをするとか、扉をしめると中身が分からなくなるということが起きます。

物理的な配置や構造が脳みそに影響を与えているということかもしれませんので、概念だけではなく実際にも普段からあることなのかななんて思います。

『演劇入門』を読んで 〜リアルなセリフとは何か?〜

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人間はどういうときにどういったことを話すのか

おもしろい本です。人の会話に注目して生活しているプロが書いた本という感じです。

「会話に注目する」といっても、そこから、人間はどういうときにどういったことを話すのか?どういったやりとりが行われるのか?という範囲にまで話が広がっていきます。

私たちは「言葉」をどこまで理解しているのか?

毎日使っている言葉ですが、もしも今突然、演劇のために架空のAさんとBさん同士のやりとりを書くことになったらうまく書けなさそうです。また、説明的なセリフというのは、映画を見て感じる時はありますが、なぜそう感じるかは、言葉に毎日接しているのにわかってなかったんだと気づきました。

また、決められた言葉を言うというときに自然に演じられるかどうかは何が関係しているのか?もあまり考えたことはなかったです。単に言葉の言い方には種類があるという分類だけでなく、どうすれば、そういった決められた言葉をうまく言えるようになるのか?という視点で書かれていておもしろいです。

利用シミュレーションのスキル

多くの人はプロの俳優ではありません。とはいっても、試作品を作ってみて、使う人の気持になりながら試しに使ってみることはあります。このときに、素人ながら「演じる」ことになるとおもいますが、「恥ずかしがってできない」人が結構いるんだなーと時々思ったりしています。また、演じること自体をごそっと省略してしまう人がいると感じています。はたして、できないのは恥ずかしいからだけなのか?もっと別な要因が関係しているケースもあるのではないかと考え始めています。

演劇入門 (講談社現代新書)
演劇入門 (講談社現代新書)