2010年09月29日 13:22Fujii

ストーリーテリング〜「本当に予測できないもの」は居心地の悪さを感じる〜

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物語の展開って何?

物語とコンピュータのシステムは似たような側面があります。

また、ごっちゃになりますが、コンピュータ(広くはあらゆる対象)と利用者のインタラクションを物語で考えるということもあるようです。シナリオ、ストーリーテリング、まーいろいろ言い方はあると思いますが、そもそも、皆で物語をつくりあげるということは、どういうことなのか?

前回は、惹きつける物語はゲーム性があるという点について(『惹きつけるストーリーテリング 〜物語のなかのゲーム性〜』)でした。今回は展開について。

実際の例をみてみましょう。

次の文章は、僕の小学校のときの文集に載っていたものです。クラスの全員でリレーのように物語を書こうということになり、その結果できあがったものです。

皆で少しずつ参加してひとつの物語を作り上げる。クラス全員がアサインされた記念すべきプロジェクトともいえるものです。

■さまざまな冒険 4年1組一同

朝、小鳥の鳴き声で目が覚めた。むこうの方で光が見えた。行ってみると変なものが落ちていた。
(T太)

それはUFOだった。
(F子)

UFOの中からうちゅう人が、でてきました。
(H美)

宇宙人は、「ココヲワタシタチノホシニシヨウ」と言った。
するとUFOの中からもう一人宇宙人がでてきて、
「コノホシハ、ナカナカイイホシダナ。ベータ。」と、言った。
どうやら先に出てきた宇宙人は、べータという名前のようだ。
「ソウダナモウソロソロイクカゾンデ。」もう一人は、ゾンデという名前だったのです。
(K)

二人はこっちに近づいてくる!エドマンドはさっと草の影に隠れた。
ベータとゾンデはエドマンドに気がつかずにさっていった。
しかしエドマンドは好気心たっぷりの男子だったから二人の後をつけて行った。
(おや?こっこらへんにこんな木があったかな?それにヘンだぞ?こんな木ここにあるわけ・・・。)
エドマンドはハッとした!!
(S子)

この話はおいておいて、また、UFOがでてきて、いいました。みなさん、ワタシは、UFOだどうぞよろしくなあ。
あそこに、わるいやつがいる。まて、お前を、たいじしてやる。UFOは、おまえのなまえは、どてらまんめと、UFOは、いいました。そしてUFOどてらまんびーむと、いて、やっつけました。
(H美)

あるいてゆくと小さな小屋がありました。
その小屋の中にはいったら下に階段がつづいていました。
コウモリとかがいてうすきみのわるいところです。
(S花)

エドマンドは、虫がきらいでした。ヒャーエドマンドは、気がくるいきおくをうしないどこかへきえてしまいました。そしてさきほどぶったおした、UFOの所へいってUFOをたすけ、UFOに悪のまおうにしたてあげられました。
いっぽうベータとゾンデは、エドマンドをしかたなくほうっておきました。
(Yすけ)

一ぽうぼくはおきた。家には、だれもいない。外に出ると町がはかいされてる。自転車にのり、友達の家に一けん々いったが、OとKとMしかいなかった。しかたなく、ひみつきちへいくと、ひみつきちのメンバーがいた。で学校にむかった。学校もくずれている。男の人がたおれてる。「水を下さい・・・。」といった。水をあげると立ち上がり、それは、O先生だった。こいつは、心強い。
(T也)

O先生は頭から光をだして、
ピカー
(S平)

すごいこうせんだ
(Yき)

O先生は、こわいね。!!
でも、O先生は、こわいですね☆!!
(Y)

O先生は、三年生の時の担任なのになぜか。A小学校のくずれた校しゃに入っていった。そしてしばらくすると、UFOに乗っていた宇宙人といっしょに出てきた。でも不思議なことがあった。UFOもこわれていない。宇宙人は、ひとつもきずがない。なぜだ!なぜなんだ!宇宙人は、魔法を使えるのだろうか!?ねっ!不思議でしょう。なぞの宇宙人?!
(M)

宇宙人は、そのまま、なんか変なじゅもんみたいなのをとなえた!そしたら、あっというまにUFOがきえてしまった!?
(S美)

それからO先生を見た人は一人もいなくなりました。O先生は、いったいどこにいってしまったのでしょうか?・・・
(S)

あそこに行ったのです・・・・・・・
(K太)

なんだ!わかったぞ。ピース
(Nかつ)

と言いかけた時、だれかが、UFOと、ともにさらわれて、行ってしまった。その後、一人残った宇宙人は、ぼくに近よって来た。
(Y香)

「ぼくは、宇宙人です。」人げんひとり一人だけつれていったんだけど、ぼくだけのこされてしまったんだよ。
(E奈)

「それじゃー、ぼくが、なんとかして、たすけて、あけるよ、でも、どうして、人げんを、つれていったの。」
(R子)

それだったら、思いきってUFOを作ろう。
(Mき)

と、思ったのですが、UFOの作り方がわからないので、とってもなやみました。
(R恵)

とつぜん一人の子が
「あっそういえば一丁めに博士がいるって聞いたことがあるんだそこにいってみないか。」
(A)

「そうしよう」と言いました。
博士の所に、行ったら、博士が、まっくろになってたおれていました。すると、みんなは、おこして、わけを聞きました。
「できたんじゃよ、タイムウチューセンが。」とこたえました。
(N子)

それは一分十円のへんな形の物でした。
(N)

その子は一もんなしでした。どうしましょうこうしましょと考えてたら夜になりました。また朝になりました。
(Rすけ)

そしたら、一円が、おっこっていました。またどうしようと、考えていたら夜になりました。また朝になりました。
(N)

朝になっても考えていました。でも、ねていないもんだからねむくてねてしまいました。
すると、夢の中で宇宙人とさらわれた子がでてきました。だけど宇宙人は、ふ・・・・と消えてしまいました。そこで目が覚めました。
(S華)

きゅうに、うちゅう人はテレポーテション(しゅんかんいどう)できえてしまいました。そのあとにはやけこげた十円がありました。
(Fひろ)

その十円にさわってみるといきなりみしらぬ世界についてしまいました。
(Kひろ)

そこは、十円の星でした。
歩いていくと十円ほしいよ族が表れた。
そしておそってきた。
(S太郎)

おそわれるとこわいから、十円をわたしてばいしゅうしました。
(T彦)

その話はおいておいて、いきなりUOFのきしゅうこうげき、ズゴーンドドン、さるがあらわれて、
「ウキキキー」といって、エドマンドをひっかいてにげていってしまったとおもいきやウルトラマンがあらわれてスペシュウムこうせんをあててさっていた。そのしょうげきでまたワープザンスシェ〜
(Yすけ)

そして、UFOが、なぜかこわれて火事になりました。その中にいた宇宙人は、「フッ・・・」ときえてしまったけど、そこには小さな子供がいたのです。
「助けてー死んじゃうよー!」
目が覚めました。
「なんだ夢かぁ。」
と思った時、けむりがもあもあありました。ごほっごほっ!!
(Mか)

と、せきをしていました。そこになんとスーパーマンがきてたすけてくれました。ところが、宇宙を飛んでいるときにいきなりいん石が飛んできて、スーパーマンはこわくて小さな小どもをすててにげてしまいました。
ところが、また、スーパーマンがもどってきてたすけてくれるかと思ったら、むしして行ってしまいました。うしろを見たらまた、いん石が飛んできました。
(Mと)

こんどは、とうとうあたってしまいました。ところが、スーパーマンはふじみでした。そして、スーパーマンはどこかにきえてしまいました。めでたし、めでたし。完 ウッキー!!
(Kじ)

なぜ滅茶苦茶と感じるのか

さて、いかがでしたか?

通常であれば「こどもの考える話は、滅茶苦茶だなあ、わはは」という単なる笑いのネタなんですが、このブログでとりあげたのは、この文章がとてもいい例になっているからです。

だいたいの感想は、「意味不明」そしてなによりも「滅茶苦茶」あたりだとおもいます。

では、なぜに無茶苦茶と感じるのかというと、予測がしやすくならないからです。(以前に書いた物語のゲーム性というのは、目的とルールがはっきりするということで選択肢が減っていることになっていると言えます)

例えば、

登場人物が唐突にでてきて誰が誰だかわからない。振る舞いに統一感がない。誰が誰に向けたセリフなのかわからない。「エドマンド」は誰なのかわからない。なぜ、物語に関係のない人がたくさんでてくるのかわからない。たくさんの人物や出来事はあるがメインの要素がどれなのか話の焦点がまったくわからない。登場人物の役割がわからない。

などです。

予測のできない展開というと映画などにおいてはいい意味で使われることもありますが、実は人々は「本当に予測できないもの」は居心地の悪さを感じます。

劇場としてのコンピュータという本で、物語の構造を説明した次のような図があります。

computers_as_theatre_figure.png
『劇場としてのコンピュータ』B・ローレル p84

これは、物語が時間がたてばたつほど、選択肢が減っていくことを示しています。

可能性から蓋然性(確実性や確率というような意味でしょうか)、必然性へと移り変わっていきます。「可能性」は本来あるないの話なので途中から点線になっているのかもしれませんが。ざっくりと、外側の潜在的な可能性が減っていくということです。これは後ほど。

このようになっていないと、文集の例のようになるのです。

では、コンピュータのシステムなどの場合は?

コンピュータではどうでしょう?小学四年生ではなく大人が作っている点が違いますが、

要素が突然でてきて何の要素かわからない。振る舞いに統一感がない。誰が誰に向けたメッセージなのかわからない。主体が「企業」なのか「利用者」なのかわからない。なぜ、利用目的と関係のない要素がたくさんでてくるのかわからない。たくさんの要素や機能があるがメインの要素がどれなのかシステムの焦点がわからない。要素の役割がわからない。

ということが起こっていることを考えると「こどもの考える話は、滅茶苦茶だなあ、わはは」という問題ではなくなってきます。

でてきたものを意味のあるものとして捉える

V字型モデルの話に戻りますが、映画などでそのジャンルを人はどうやって理解しているのでしょうか?

1番最初に配給会社のロゴがでているときには、まだあらゆるジャンルである可能性があります。

次に主人公がいて敵がでてきたとします。

そこでは主人公がおかしな格好をしていますが、その世界では普通のようだな、というようなことがみているとわかってきます。敵はもっと変な格好をしていますが、それも同じです。

そうなると、それ以降主人公達の変な格好については話が展開するという選択肢はなさそうだという事がわかります。

このように物語が展開するにつれて、選択肢がどんどん減っていきます。

ほかには「主人公が魔法を使えるようだが、そのことで警察がくるということもない」ということや「人が死ぬということにたいして、それほど深刻なリアクションをしない」など、何か出来事が起これば、みている人はこのあと同じような感じで進んでいくのだとわかってきますし、そういったお約束が定まったものを好みます。

みている人はジャンルをこういったお約束の積み重ねで判別しています。

逆に選択肢が減っていかないときには滅茶苦茶だと感じてしまいます。

繰り返しになりますが、コンピュータでも各状況ごとのコンピュータの振る舞いから今後どういった振る舞いをしそうかを使う人は判断します。

これは、物語でいうならば登場人物のそれまでの振る舞いから、今後その人物がなにをしそうかを判断することと似ています。

大人でリレー式の物語作りをやったらどうなるのか気になる

UIの中だけみても、物語と似た構造があります。このほかに(ほんとうはほかではないんですが)もうひとつ「物語」というと、コンピュータと利用者の物語という見方もできます。

シナリオ、ストーリーテリングとか、呼び方は何でもいいんですが、皆でひとつの物語をつくるという行為がどういうことなのか?が今回の例で少しわかります。

シナリオ作りなど、よくでてきますが、実際にそのあたりについての個人差などは結構あるんじゃないかと感じています。

なので、今回のリレー形式の物語作りで起こった例がこども特有のもので大人がやった場合にまともなものができるのか?それは気になるところです。機会があったらやってみたいですね。

※以前の記事(『プログラマーのジレンマ 夢と現実の狭間』を読んで 〜一体、何を作っている?〜)ででてきたのは今回の文集です。

劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)
劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)

2010年09月25日 14:07Fujii

予測可能性と使いやすさ

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予測可能性と使いやすさ

『劇場としてのコンピュータ』という本の中に、物語の構造の話がでてきます。

詳しくは次回にしますが、物語は最後に行けば行くほど、予測可能になっていくものであるということです。

どんでんがえしもあるじゃないかとか、ないと面白くないと思うかもしれませんが、もうちょっと違うことです。

サスペンス映画なら、サスペンス映画であり、SF映画ならSF映画

サスペンス映画なら、サスペンス映画であり、SF映画ならSF映画であるということです。

そして、こういう登場人物はこういう行動をとるというのが、最後に向かうほど予測可能になっていかなければいけないというようなことです。

コンピュータにおいてもそれはあって、場当たり的に説明を加えるのではなく、最初から最後に向かって予測可能性をあげていくという考え方になります。

なぜ統一感が大事なのかという基本的なことに関する理由のひとつはこれだと思います。

劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)
劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)

2010年09月23日 01:29Fujii

細切れ時間とユーザーのアウトプット

image.png写真.JPG
こんなクオリティーのようです。

頑張ります。(フロムiPhone)

2010年09月19日 13:54Fujii

満足感を感じる時はいつ?

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Twitterをメモがわりに使っていても、意外と見返していないことに気づきました。

書くときは「忘れないようにメモしておこう」と思うのですが、あとで見返したことがないのです。

メモして満足している状態なんですが、満足というのは目的を達成しなくても生まれるものなのでしょうか?

目的のための手段があるけれど、満足感とは手段で感じることがある。

ということかな。よくいう手段が目的化するというやつですね。しかし、スポーツなどを考えると、やること自体が楽しいというものは確かにあります。満足感、いったいどこぞからやってくるのだろうか。

『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』を読んで それは内省型?体験型?

ここででてきた、体験というのは、手段を実行している状態であるとすると、体験型で満足するということは確かに起こります。

話を戻すとメモするということは、「思考する」という行為につながっていてそれ自体が目的であるのかもしれないですね。

人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学 (新曜社認知科学選書)
人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学 (新曜社認知科学選書)

字だけで書くと理屈っぽくなる

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字に追加している絵に含まれる情報量は、字に含まれるよりもずっと多いのかもしれません。

見るのは一瞬でも、そのことを言葉で説明するととても長くなります。

もともと、普段の生活の中でも、自分の周りにどんな物がどの位置にあるのかを認識しているときに言葉を使っていることはありません。

文章だけで書かれたものは、そういう意味では情報量がちょっと少ないのかな。

今のところ表現しようとしていることとの相性なのかなと思っていたりします。

補足しておくとマンガの最後のやつは、なんとなくそういった音楽という形式で表現しやすい何かがあるんだろうなと想像したということです。

音楽以外にも、お笑い、踊りなど色々なものもそういう形式の一つなのかな。

こういう形式をアーティファクト(『UIを学習しやすくするための秩序を言葉以外の方法で伝える』)というのでしたっけ?

前に読んでいた『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』にでてきてたような。

人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学 (新曜社認知科学選書)
人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学 (新曜社認知科学選書)

関連記事:

2010年09月16日 02:27Fujii

そろそろ秋

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夏も終わりですね。体調に気をつけてください。

2010年09月13日 00:56Fujii

キャラクターとは行動、それはコンピュータにもある

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キャラクターとはなんぞや?

『劇場としてのコンピュータ』を読んでいます。概念的な話が多い(この本の訳者もあとがきで述べています)ので特におすすめしませんが、何度も行きつ戻りつしつつ読んでいます。

良くも悪くも、以前に考えていたことは理解できるという状態です。

今回は、「キャラクターとはなんぞや?」ということについてです。

キャラクターとは行動

さっそく結論からいうと、行動がかなり関係していると思います。

アリストテレスは、劇の<対象>(つまり、模倣の対象となるもの)は人物ではなく、行為であると主張している

『劇場としてのコンピュータ』ブレンダ ローレル

とこの本でも書いてありました。

模倣の対象というのは、おそらくアリストテレスが「詩学」という本の中で、「人間は再現されたものを好む」というような趣旨のことを書いていたのでそのことだと思います。(『『詩学』を読んで 〜人間は再現を好む〜』)

キャラクターとは外見だけではない

キャラクターとはなんだろう?と考えたときに、たとえ暗闇でも本来キャラクターとは出るはずだと思いました。

つまり、外見ではないということです。

暗闇ということを言い換えると、同じ外見ということになります。同じ外見でも違うことがわからないとキャラクターとして違いが薄いということになる。というかキャラクターを考えるときにそれぐらい考えておかないといけないのではと思いました。

行動の結果が外見にあらわれると捉えることもできますが、外見を変えただけではキャラクターはダメだということです。

逆にいうと、たとえ髪型や服装を変えても成立する何かがなければファッションと同じになってしまいます。

コーディネイトを集めたサイト(例えば、『BRIGIT』)では、たくさんの人のスナップ写真がありますが、見る人によってはいくつかの写真で既視感があるかもしれません。人によってはGoogleで『ラッパー ファッション』と検索したほうがいいかもしれません。

かつて、Dragon Ash というグループが「似たりよったりの個性」と表現していましたが、トレンドはある種様式美のような世界なので、その世界に詳しくないと違いがわからないということが起きます。

ところが、写真では区別つかないような同じような服装でも、本来一人一人キャラクターというのは絶対にあるはずです。

例えがチープになってしまいますが、仮に恋人が双子だった場合、どっちでもいいかというと違うはずです(笑)

キャラクターは人だけではない

ということでマンガの三枚目は、外見を同じにした場合を描きました。

そして、さらに、人間で無くなった場合も描いてみました。

『劇場としてのコンピュータ』の中で著者は、

おもしろいことにアリストテレスは登場人物なしの劇はあっても、行為のない劇はありえないと考えていた。

『劇場としてのコンピュータ』ブレンダ ローレル

と書いています。そして、コンピュータの話に広げて著者は、

たとえ表現が実体を含んでいない場合でも、それらの存在は暗示していることだと思う。最もおおざっぱなレベルにおいて、人はコンピュータそのものを、単純にエージェントと見なす(「私がこうすると、コンピュータがああする」)。

『劇場としてのコンピュータ』ブレンダ ローレル

と続けます。

この本にでてくる「エージェント」の意味がまだいまいちわからないんですが、行為(自分は行動としましたが)があるとキャラクターが生まれるということとつながるのではないかなと思って今回描いてみました。

なかなか難解。表紙はファンキー。

劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)
劇場としてのコンピュータ (アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ)

2010年09月08日 03:50Fujii

「デザイン」で印象を変えるときのポイント

長文です。

よくこのサイトの印象は「○○だ」とグループわけするときがありますが、その印象はどこからきているのかが把握できないとその後に良い判断ができません。つまり前回言ったように、構造化が終わっていない段階であることに気づかずに、設計したつもりになってしまうと、あとは「上から色を塗るだけ」と思ってしまうことになります。その結果、実際に作ってみるとうまくいかないということがでてきます。

そもそもシステムやサイトというのはどういった部分に分けて考えればいいのか?を整理しましょう。

3つに分けて考える

ビジュアルデザインといってしまうとすべて眼に入るものですが、大きく以下の3つに分けます。

  1. 背景
  2. コンテンツ
  3. 操作箇所

この3つを分けて考えずに、印象がどうのといっても意味がありません。

では、マンガをはさみます。

20100903.jpg

操作箇所

マンガでは出てきませんが、操作箇所については、非常に慎重に行ないます。

その理由は、単に印象を変えたいがために、安易に変えると、様々な箇所に影響が出てくるからです。

それは、その操作に関わる表現は、様々なルールにのっとっているからです。親子関係や同じグループであることなどを示すための表現になっていなくては操作時に混乱します。

ある種、テンプレートやガイドラインをつくる気持ちで変更するつもりがなければ安易にいじることは避けたほうがいいと思います。

もし、そのつもりがない場合だと、恣意的に(その場その場でてきとうに)変更させることになりますので、徐々に一貫性のないシステムになります。

一貫性がない場合は、ルールのないゲームにユーザーは参加させられているような気分になってしまうことでしょう。

背景

さて、「○○のようだ」というサイト、もしくはシステムというのは背景によってどの程度変わるのでしょうか?

明確に操作箇所とエリアを区切って変化させてみます。

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背景を変えてみましょう。

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印象が変わるはずですが、実はこの中の部分は変わっていません。

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これらに対して、それぞれを仮に「ビジネス」「プライベート」「静か」というような「デザイン」だとしてしまったときに、背景から来る印象であることを区別できないと、中の操作箇所などを変えればいいのでは?と勘違いし手を加えるという失敗をしてしまいます。

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そのほかには、このように変わります。

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気づいた方もいるかも知れませんが、Twitterなどは背景画像をかえるとこのように変化します。

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繰り返しになりますが、これらは操作箇所は同じものでも、これだけ印象がかわっているということです。

コンテンツ

本来はすべて、コンテンツと言えるんですが、今回の話のコンテンツとは、明確に区切られた中でほとんどの場合不確定で将来的に様々なものが入るエリアの部分をさします。

「○○である」とあるサイトやシステムに印象を持ったときに、その印象が、そういった不確定で将来的に変わるものからきていることに気づかないと、これまた、そのほかの部分を変更するという失敗に陥ります。

例えば、このサイトでいうなら、写真やマンガにあたります。

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このようにグレーになっている部分が変わることでどの程度印象が変わるのでしょうか?

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写真が入った場合はこのようになります。別のものを入れてみましょう。

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背景から来る印象は変わりませんが、このようにコンテンツが変わったことにより印象が変わります。

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この場合も変わると思います。これまた、繰り返しになりますが、サイトやシステムの印象がどこからくるのかを考えなければ、コンテンツの素材がないのに、その印象を無理にだそうとして、コンテンツ部分以外を変更してしまうというような失敗がおきます。

例えばその場しのぎで恣意的に操作箇所を変更することになってしまうかもしれません。

まとめ

ワイヤーフレームでは表現されない範囲の話なので、見落とされがちだったり、ワイヤーフレームを作った人が、実際に構造化が最後まで行われていないこと自体に気づかないことがあります。

できれば、チームなどでこういった印象に関しての前提が可視化されて共有されると少しはスムーズに行くのではないかなと思って今回描いてみました。

  1. 操作箇所は、シビアにルールが必要なので、まずは、印象を変えたい場合でも、ごっちゃにしない。
  2. ごっちゃにしないように区別してから、背景などで印象を調節する。
  3. コンテンツ素材は大抵不確定なので、印象をそこで変えたいのであれば、そのコンテンツ素材を管理するようにして、その土台となるほうはシンプルにする。

このあたりが、ポイントなのかなと思いました。

おまけ

印象が変わるといえば、トイカメラについて。トイカメラで撮った写真というのは一定のイメージがあります。

以下のような。

R0017584.JPG_effected.jpg

R0012761.JPG_effected.jpg

今回は加工してトイカメラ風なのですが、トイカメラで撮った写真はこういったポップなものが多いです。

ところが、同じトイカメラ(今回は加工)で撮ったのが以下。

R0015735.JPG_effected.jpg

なんだか普通の写真です。トイカメラの写真というとポップなものというイメージがあるのですが、実はそういった雑誌に載っているもの、もしくは実際に使っているひとが撮ったものは、ポップな色合いの被写体をそもそも選択しているということでしょう。ですので、トイカメラで撮ればすべての写真がそういった印象の写真になるのかというとそうではないということが分かります。

これも、印象がどこからくるのかを間違えると、「トイカメラでとるとポップな写真が撮れる」と勘違いしてしまうということだと思います。

関連記事:

2010年09月07日 00:17Fujii

どこまでが見た目のデザイン?

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最後にパッケージするかのように、ビジュアルデザインするわけではないというのは、ウェブやシステムに限らず言われているのを聞きます。

もちろん構造を無視したり、単にこの色を使いたいというような、シークエンスを無視したデザイナーもいます。これは、機能をひたすら盛り込みたいという、シークエンスを無視して作ってしまうプログラマーと似ています。

さて、では構造ををきちんと考えたからあとの印象に関してはよろしく、でうまく行くのでしょうか?

実際の制作するプロセス自体をこれまたシークエンスで捉えるとわかりますが、落とし穴がありうまくいかない場合も多いです。

なぜならば、本来多くの部分で構造を作っているのは最後に行っている人だからです。つまり分離できない性質のものであるのです。

もしくは、仮に自分が構造をつくったとしても、「よろしく」と自分が渡す段階で構造の設計が途中までしかできていないといってもいいかもしれません。

とまあ、そんなことにまつわることを体系だてずにつらつら描いていこうかなと思っております。

そういえばこんなのを描いていた:

2010年09月06日 02:03Fujii

俯瞰した状態のシークエンス

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シークエンスで考える

シークエンス(sequence)とは、英語で「連続」などの意味ですが、結構色々なところで使われているようです。

人間はほとんど連続する何かと接しているのでそういった捉え方をするのはやっぱり大事。

sequence.png

今回紹介する動画は、スノーボードの映像を撮る方が、日本についての映像を作ったものです。

マクロでシークエンス

シークエンスで捉えるというと、ひとつの動きをじっくり捉えるというイメージもありますが、ちょっとマクロというか俯瞰した状態でもシークエンスというのがあるんだなーと思いました。

俯瞰した状態というのは、結構概念的になってしまうこともあるのですが、映像だと色々な変化がこまかくわかります。

定量的なデータも何かこういったイメージをはさんでみることが出来ればホントはいいのかなとおもいますが、そもそも、定量的なデータは、定量的に集められるような基準のみ選ぶところ、つまりそれ以外の基準を切り捨てるところから始めるのでやっぱりムリかなとも思います。

そんなこんながきっかけで今回シークエンスということを書いてみました。といいたいところですが、単に映像が綺麗だったので紹介したいなーと。

Hayaku: A Time Lapse Journey Through Japan from Brad Kremer on Vimeo.

2010年09月03日 01:14Fujii

正確に属性を表すことだけに夢中になるのではなく、絞り込めるかという点を忘れてはいけない

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それはテキストデータかそうでないデータか?』の続きというか、解説です。

テキストデータでない場合と、テキストデータでもタグをつけたい時の注意点を考えてみました。

テキストデータじゃない場合は前回の通りで、タグを付ければ文字情報が増えていきます。なので、文字で検索するという意味ではしやすくなります。

テキストデータに、タグを付けるというのは、二重に文字情報を付加することになるので、文章を増やしているのと同じことになりかねません。

しかし、「とにかくタグを付けたい!」「タグを付けることが人生の目的!」という人もいるかも知れません。

そんなときには、ある程度限定してタグを付けたほうがいいのではないかと思います。

タグの正確性よりも、このタグにないのなら、こっちのタグにあるだろうとわかるようにです。

そのときに、排他的であれば、わけ方としては不正確でも、こっちにはないのなら、こっちと判断がつきやすくなるとおもいます。

正確に属性を表すことや幾通りもある捉え方でわけることだけに夢中になるのではなく、絞り込めるかという点を忘れてはいけないと思います。