2010年04月30日 02:34Fujii

CGがイマイチな理由を考えた

20100415.jpg前に描いたもの『はっきりと意識しないことも感じ取っているということ』の続きのようなものです。

私たちは物を見るときに、自分では気付いていないし気にもしてなくても、違和感だけを感じる時があるのだと思います。

CGの話でなんでイマイチなのかという話に

なんかCGってイマイチだよねという話になりました。素人ながらになんでだろう?と話していました。

特に、現実の世界にちょこっと使ったものではなく、天変地異や災害系の映画などに感じる違和感です。

構図がそこだけありえない

カメラワークがそこだけ妙に自由になるからでは?と話しました。CGは現実の撮影のように制限がありません。そのカメラワークが逆にリアルでなく感じる要因になるのではと話しました。

もちろん見ているときはそんなこと考えていませんが、冒頭で描いたように気づかないうちに自分の中に溜め込まれている記憶と照らし合わせて違和感を感じるのだと思います。

ありえない構図とは、物がカメラに向かってきれいに飛んでくることや、空中からそのまま持っている手のアップまでひとつながりでカメラをひねりながら写すとかそういうことです。

想像力の問題

これは、何かが動くときにどうなるといったことなので、実はCGの技術がどんなに発達しても解決しない部分なのではと思いました。

ビルが倒れるとはどんなことなのか?かつて、9.11の衝撃的なシーンはまるで映画のようだと言われました。しかし、あのシーンを見る前に、あの場面をCGで作ろうとしても同じものができるとは限りません。

ほこりの立ち具合は?壊れた残骸がどうなるのか?人が実際にどう行動するのか?を想像するのは人間がやるほかにないからです。

こういった部分は、実はCGにおけるリアルというのは技術だけの話ではないのでは?ということにつながりました。

アニメでも同じです。こうなったときにこうなるというのは観察などでしか養えないのかなと。

ユーザビリティ的な言い方だと、ユーザーをいかに想像出来るかは、普段の観察がものをいうということになるかもしれません。

現実世界の再現の要素が有るか無いか?

CGの話に戻すと、現実世界の要素を再現することができているか?が大事なのではないかと思いました。

それは技術とは関係の無い話ですが、見る人は現実世界の中に普段いるので、その要素が有るか無いかを無意識に感じ取り、その結果「理由はわからないんだけど、なんか違う」と感じるのだと思いました。そして、重要なポイントは逆にうまくいっているCGは透明で気づかれないのかと。

2010年04月29日 13:47Fujii

「えいっ」と決断するスピードが落ちる理由

20100414.jpg

ここ最近は、本を読んで書評として横に流すのではなく、描くのが難しい物語をがんばってみようと思い『デッカチー&セッカチー(追記中) 』を描いているので更新する日数ほど描いてないわけではないんですが、それは置いておいて考えてみました。

きっかけは「ちょっと遅くなったかな?」と思ったこと

なんとなく描く速度が遅くなった感じです。物理的に描くことではなく、考えてたことを「えいっ」と描いてしまう時のためらいみたいな速度のことです。

もともと作業スピードは人よりも遅いので、速度に関わるのは「えいっ」と決断するかしないかだということだと思います。

決断するスピードが落ちたのはなぜだろう?

なぜかわからないので、頭の中で思い返してみます。以前に描いた忘れ物を思い出すような感じです。(『忘れ物を思い出すときに使う方法』)

物を思い出す時だけに使えるだけでなく、感覚を思い出すためにも使えます。(『感覚貯金 』)

で、でてきたのが「わかるかな?」とためらうことが増えたかもという事でした。

なるほど、そうだとすると決断スピードが落ちたのも納得。

この「ためらい」とはなんだ?

もう少しこの「ためらい」について考えてみました。一体、誰が誰に対して何をためらっているのだろう?

考えると、自分が描く時に、普通の人に対して、よくわからないものを描いているのではないかというためらいな気がしてきました。

ネジの専門家が熱くネジのことを普通の人に語ってしまうというような感じです。かと言って、ネジ好きな人にはネジの詳しい話をしないとおもしろくないということです。

なんというジレンマ。また、この「ためらい」には描き方や、ものの捉え方も含まれています。

捉え方自体が普通の人にはわからない話になってしまいます。そもそも、実は自分でも読み返したときに何を描いているのかわからないくらいです。

ターゲットを絞ることがなぜ良いのか?につながってきた。

ブログ単位でなのか記事単位でなのか、はたまた商品やサービスの単位でなのかは別として、ターゲットを絞ることがなぜ大事かというと、この「ためらい」が減るからなのかもしれません。

Aさんだけをターゲットにしていると、AさんがOKなら良い。

AさんとBさんをターゲットにすると、AさんとBさんの両方のチェックが必要になります。それが、3人となり4人となり増えれば増えるほど、「ためらい」が多くなります。(調整さんという便利なツールがありますが、日付というたったそれだけを決める場合でもチェックする対象が増えると大変ということです)

ちょっとそんなことを改めて実感しました。

サイト内の関連記事:

2010年04月22日 00:48Fujii

人はなぜコンピューターを人間として扱うか―「メディアの等式」の心理学 を読んで

20100413.jpg

題名の通りの切り口の本です。

途中から、人がコンピュータを人間として扱うのならば、人間のコミュニケーションを参考にしようというところからが面白かったです。

コミュニケーション論になるのでコンピュータはあまり関係ない部分に興味を持ちました。

どこまでバーチャル?

また、全体的にはメディアと人間の関係が度々出てくるので、コンピュータといっても、メディアの話であるという感じもしました。

「コンピュータのようなバーチャルなものに感情を持つのか?」という視点なんですが、別にリッチな表現といわれるものでなくても昔からあるので全然不思議ではないです。

画面に映った俳優の姿、3Dやマンガやアニメのキャラクターは比較的新しいかもしれませんが、書物も同じです。

文字もバーチャル

文字を読んでそこに人を感じるわけです。絵も何もないのに、読んだ人がその文章を書いている人や、指し示していることをあたかも現実のように感じます。それはバーチャルです。

なので僕は、昔は本も人をのめり込ませる危険なものであるとされた時代があったのではないかと思います。

さて、文字という形あるもので終わるかというとそうではありません。遡れば文字で伝えられたことは、語り部が語っていたのではないかと思います。

つまり、文字でなくても、口から発せられた言葉自体がバーチャルであるということです。

では、言葉を発せられたときに受け手の中で生まれるものがあるとします。果たしてそれは、言葉が必要なのでしょうか?

僕はそう思いません。なぜかという言葉を発せられて生まれるイメージと同じようなものが何かを見たときにも生まれるからです。言葉というと発している側に意図がありますが、意図がなくてもそういうことは起きます。

それは、岩のように、意図を持って発している側と受け手側という関係になりようがない場合でもそうでしょう。

岩を見てそこに何かのイメージを持つのは受け手なのです。岩に意図はありません。それは、どういうことかというと「擬人化」とつながるのではないでしょうか。

そんなこんなで自分としては、人はなぜ「擬人化」するのか?というほうがおもしろそうですね。

ようするに思考すること自体がバーチャルなんですね。

面白かった点

さて、そんな感じですが、「共著」という形で二人が書いた文章も、文字になるとひとりの人が書いたようにみえるというようなメディアごとの特徴やお世辞の構造の話などのコミュニケーション論あたりが面白かったです。

※こちら地味に地味に追記中『デッカチー&セッカチー(追記中)

関連書籍:

人はなぜコンピューターを人間として扱うか―「メディアの等式」の心理学

このサイト内の関連記事:

2010年04月16日 02:15Fujii

言葉以外の情報に目を向ける

kushakusha.jpg

ユーザビリティテストをしていて思うことは、目の前にある信号をまず拾い集めるフェーズがあるということです。よくいう言葉と行動というように分けて考えることも大事だと思いますが、そのタイミングなども含まれます。そのあたりは、明確に言葉になっていない信号といえます。

言葉になっていない信号というのは実はいたるところにあります。ということで、今回は一枚の絵でも、くしゃくしゃになっていることで印象が変わる例です。言葉になっていませんが、くしゃくしゃになっている事自体がひとつの信号であり、想像することで情報へ変わっていくのだとおもいます。

2010年04月13日 23:39Fujii

UI改善の部 そもそも自分でも自分の行動を正確に覚えていないことを自覚する

UI改善の部 人間は、無意識のうちに線の位置や形で情報の構造を捉える』 の続きです。

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メンタルモデルとの相違

ブラウザのUIにひっくり返すと似ています。ブラウザの場合には、アドレスバーに何かを入力するとそのとき前面に出ているタブ内に反映されます。テーマにしたEchofonのUIでは、逆さまですがまさにそれと同じメンタルモデルを持っていました。

しかし、動きはブラウザのように前面のタブ内に反映されるのではなく、常にあるひとつのタブ内へ反映されるので意図しない投稿が行われていました。

ブラウザも色々ありますが、現時点で改良案に近いのはGoogleのChromeになりそうですね。

本人もわかっていないということ

「投稿するのだから、投稿ボタンがあったはず」と画面内の要素を頭の中で思い出しましたが、実際の画面には投稿ボタンはありませんでした。

行動している本人も、自分がどのように操作しているかは正確には頭に入っていません。実際にはEnterキーで行っています。

よく「ユーザーの行動と話していることに相違がある」といいますが、このことを理解するためには、そもそも自分に置き換えて、「そういえば、自分でも行動したことを頭でいちいちよく覚えてないよね」と自覚しているかがポイントになります。

ユーザビリティテストでも、ユーザーがシステムに対して気を使って、行動と違うことを話していないかどうかを見極めないと、安易に言葉通りに受け取ってしまう落とし穴にはまります。

※こちら地味に追記中『デッカチー&セッカチー(追記中)

2010年04月09日 00:51Fujii

UI改善の部 人間は、無意識のうちに線の位置や形で情報の構造を捉える

UI改善の部 明暗を分ける「順番を考える能力」』の続き。

20100405.jpg

小さな部分の違いで大きく結果が変わってくるケースかもしれません。「ヒミツウフフ」な内容が公のものになるかならないかというのは重要なポイントです。

また、使うときは明確に言葉にして考えていなくても、線の位置や形で人間は、その中の情報の構造を捉えます。このあたりは言語化されないけれど日々行われている行動ですので、細かい部分と思われる場合も情報の構造を踏まえて作っていくと、あとあといいことがあるかもしれません。

2010年04月03日 01:57Fujii

テーマを決める力

20100402.jpg

「自分で決めていいよ」と言われて、どうしたらいいんだろう?なんて思うこともある。

何か動いているものに対しては、ここをこうしたらいいとか、ここがよくないとか言える人でも、じゃあ好きにやっていいいよといわれると途方にくれてしまうこともある。

なぜだろうか?

何かをするときに、前提条件を確認してから進める人がいる。そういうことが必要な時も多い。そういったことが得意な人に、何でもいいよと言ったり、なにがしたいの?というと黙ってしまうことがある。

なぜだろうか?

マンガのしくみはわかっていても、ひとつの話にするくらい最後まで勢いを保てるようなテーマを自分で見つけられない人もいる。

そんな人にとっての悩みは、大抵「やりたいことがない」とか「どうしていいのかわからない」とか「意味のないことはしたくない」といったものだ。

そんな人は、よく上流の工程に不満をいだき、最後にはビジョンが無いなんて言い出したりする。その人自身にビジョンはあるのだろうか?

ビジョンと言うのは、流れでは何かを生み出す元になるかもしれない。遡って、仕組みで考えると確かにそうなる。しかしあまりにも曖昧だ。ヘタをすると、ビジョンを生み出す、もしくはビジョンを持つためにはビジョンが必要になるということもある。

にもかかわらず、ビジョン不足が昨今叫ばれている。ビジョンがあればなんでもできるかのように。

なぜだろうか?

2010年04月01日 22:18Fujii

UI改善の部 明暗を分ける「順番を考える能力」

20100401.jpg

UI改善の部 問題がなぜ起こったのか深堀りする』の続きです。

画面と人間がどう接するのかが一番肝心です。ここが映画の脚本に近い部分で、これがしっかりしてなければ、どんなに装飾したところで肝心な部分は変わりません。

「順番を考える能力」というのはとても大事です。

「順番を考える」ことを軽視するということは、例えば、このマンガを1コマ1コマにすべて分解して意味のない順序にしてしまっても構わないと言っているのと同じことですね。

それは『ということでWEBサイトもさらさないと』『おもしろパワーとはなんなのか』で描いたことと全く同じで、奥底でつながっています。