2010年01月29日 22:13Fujii

完全な法則はなく、組みわせの積み重ねのなかから、なんとなく見えてくることがある

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すべての知識産業に必要な3つのツール』のあたりでも考えていたことです。何かを分解していくことでわかることもありますが、組み合わせで変わってくる事柄というのは、それをやっても十分ではありません。

十分ではないどころか、際限なく分解していくハメになります。そしてその分解したものを見ても何かがわかるということではないという話です。僕は音楽の才能は全くないのですが、それでも、音楽を分解して、音符一つ一つが何かわかれば、その音楽の良さがわかる気は全くしません。

むしろあれは組み合わせ方で良さが変わるというものだというのはさすがにわかります。

少し見わたせば身近に、そして、分野は全く違っていたとしても、仕事の中や遊びの中に、そういったことと近いことがあるのだと思いました。

完全な法則はなく、組みわせの積み重ねのなかから、なんとなく見えてくることがあるのだと思いました。

未知のもの、やり方を考えるときなど、人間相手のときなど、むしろそういった事の方が現実には多いですので、そういったスタンスを持って置くのは結構大事かと思いました。

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2010年01月28日 23:56Fujii

ちょっと長いスパンで

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積み重ねで行動が変わっていくのかなと思います。

文化というと大げさかもしれませんが、少しづつそのときの体験を通して変わっていくのだろうと思います。

例えばこのブログを長いこと読んでいる方の場合だと、なんとなくあのブログはこういうことが描かれるということが積み重ねの中で出来ているのだと思います。それはやはり、はじめて読んだ人よりはわかるはずです。

そういったつながりですとかちょっと長いスパンのことを考えなくてはいけないのかなと思っています。

とおもって過去の記事を見返すと、ちょっと近いことも描いてありました。『「行動」についてのデータをとる理由

ついったーのメモはこちら:

ボードどこにいこうかなぁまずは駅からケータイで天気を調べるというユーザー行動をとってみる

天気 土曜日 スキー で検索、イマイチなので 天気 スキー で検索 天気をチェック

天気サイトで丸沼高原を見つけ、気になっていたので 丸沼高原 日帰り で検索 さらに朝発バスを加えて検索

Googleが変換したサイトをみていくがなかなかでてこない。くだけちったPCサイトなので次ページと押したりしていると駅に到着 旅行会社へ

とりあえず順番待ちの券をとる。そのあいだにパンフレットを見ようと探してみると店の外にある。外にいる間に呼ばれてもなんなので順番を待つとすぐ呼ばれた。

カウンターで丸沼高原の朝発バス日帰りはあるかきいてみる すると例によって分厚い各ツアーのパンフレットを束ねたファイルを出してきた。そこから選んでくれようとするがいかんせん自分でパンフレットみたほうがいいかと思い、それありますか?ときく

そうすると店の外にとりにいってくれた。もってきてくれたのはひとつのツアー会社のパンフレット。比較できないのでとりあえず営業時間をきいて自分で各会社のパンフレットをとりにいく。比較。再度申し込み。

以前に利用したことがあるので名前と電話番号だけでよいとのこと。順調にすすむ。チケット発券手続きは相手のツアー会社と電話でやりとりをしている。なので電話番号とフルネームを滑舌よく読み上げられる。そして会計が済んで無事に完了。

ということでひとまずユーザー行動記録はおしまい。やりとりはいつも通り。実店舗の考察としては、自分のかわりに電話をして申し込むという不思議な関係。旅行に関する知識もあまり豊富ではなさそうなので慣れている場合は自分で比較したほうがよい。

カウンターも相談するためではなく取り次ぎに近いのでほかのお客さんも待たせてしまう感じ。なので決まってからいくところという位置付け。いいところは現金で決済がその場ででき、チケットが発行されること。

それ以外はツアー会社と直接やりとりしてもよい。電話ごしに伝言ゲームすることになってしまう。と、ここで発券する端末があればいいのかもしれないと思った。コンビニとかにあるのかな?

と今後の実店舗の役割をユーザー行動という流れで最低限チェックすると、今現在どういうポジションにあるのかがみえてくるのかなと思った。

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物事を様々な角度から考えるときに役立つ方法

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「物事を様々な角度から考えるときに役立つ方法」とはなんだろうと考えたときに、今ある言葉をあえて使わずに表現してみるということはいいのではと思いました。

パッケージ化された言葉をあえて使わずに表現するとしたらどうなるだろうか?と展開していきます。

普段は無意識のうちに感じていることが出てきます。

兄から何故か真木蔵人さんが書いた『BLACK BOOK』というの本をすすめられ読んでいたところ、こんな言葉がでてきました。

「エコロジーなんて、そんな言葉にした段階で、無意味だ。言葉にしてカテゴライズしちゃった段階で無意味なんだ。フツーにやってたものを、わざわざカテゴライズする必要はない」
『BLACK BOOK』真木蔵人

これを読んでおもしろいなと思ったのは、言葉にすると「フツーにやっていたこと」が別のものになってしまう面があるということかなと。だから、あえて、そのものの言葉を使わずに考えることで、「フツーにやっていたこと」に意識を向けることができるのではないかと思います。

短い言葉にすることによって、それにつながることを省略しているわけですが、ある意味捨ててしまっているのだと思います。自分が意識を向ける単位としては、パッケージ化した言葉でまあいいだろうと選んでいることになると思うからです。

そしてまた、「言葉がもしもなかったらどうやってコミュニケーションをとるかな?」と考えたことはありませんか?

言葉は省略されたものなので、時にはうまく伝わらないどころか、ほとんど伝わっていないかもしれませんし、誤解されたり、意図していない受け取られ方をされることもあります。

そんなときに、言葉がなければ、言葉に振り回されずもっと別の大事な面が伝わるのかもしれないと考えたこともありませんか?

おそらく、言葉は省略されたものであるという性質が、うまく機能するときもあればしない時もあるということだと思います。

ということで、固い話な感じがしますが、そうでもなく、例として、ついったーで「キムチ鍋」を「キムチ」という言葉を使わないとしたらどうなるか練習した結果をメモしておきます。

蓋がことことと音を立てはじめたようだ。蓋はまだしまっているがふちにはうっすらと赤い汁が顔を覗かせぷくぷくと泡立っている。火を消さなければ今にも溢れ出してきそうだ。

パチンとコンロを捻り、鍋を食卓に移動 させた。なべつかみをしてても、じんわりと鍋の暖かさが伝わってくる。いい頃合いのようだ。食卓の上の鍋はさっきよりほんの少し落ち着いたようにみえる。 鍋のふたにてをかけて手前に引くように一気に持ち上げた。その瞬間真っ白な湯気が目の前を覆った。

湯気の幕の向こうにくつくつと沸くものがうっすらみえてくる。真っ赤な汁の中に白菜とえのき、それに白滝が顔をのぞかせている。それぞれうっすらと赤く染まっている。鍋の内側はびっしょり汗をかいているので滴らないようにふたを仰向けに置く。

席に座り、表面に浮いたあくをおたまで とった。続いて汁の中から好きな野菜を選ぶ。どれもだしの味が染みこんでいるようだ。豆腐も汁を滴らせて器に運ばれた。その後半分くらいひたるくらいに器 に汁だけそそぐ。さあ食べようと口に運びかけたときにはたと思い出し冷蔵庫へ走る。

席に戻りアルミね取っ掛かりに人差し指を引っかけ引き上げる。ぷしゅという炭酸音がしたあとにホップの香りがかすかにしてくる。これで準備完了。無我夢中で食べはじめた。

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2010年01月26日 23:31Fujii

Appleの新製品の発表について話していたときに描いたもの

こんばんわ。今回は趣向を変えて、お昼休みに会社の人とAppleの新製品の発表について話していたときに図解というか可視化のために描いたものを載せてみようかと思います。これぞビジュアルシンキング?

さて「our latest creation」とは一体何が飛び出してくるんでしょうか?どうせなら予想しておくと倍楽しめるのではないでしょうか?

新製品といってもモノそのものではなくその裏のサービスと一体なので、関連する要素を食卓の紙に描きながら楽しんできました。なんかタブレット前提で話しちゃってましたけど、appleには裏切って欲しいです。

では解説。上の段が音楽のサービスで、下の段が書籍のサービスです。

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左から見ていきます。今主に使われている「手に取れるもの」ですが、ちょっと違いがありますのでずれています。

デジタル化されていない音楽はあまりありません。レコードと演奏そのものくらいです。対して書籍は、紙に印刷されたものが多くあります。CDのように簡単にインポートすることができないのが違う点かなと思いました。

さて、その横が、「データファイルのフォーマット」です。例えば音楽ならMP3形式、電子書籍ならPDFです。サービスごとに使えるデータファイルが限定されていると囲い込みが起きていることになります。

そして、その右は、説明不要かもしれませんが、それぞれのサービスでアイコンとなりつつある端末です。いわゆる「製品」というものです。主に外に持ち歩くものですので、電池切れ、落として壊す、片時もはなさないといったように、ときにハードに、ときにヘビーに使い込まれるものかもしれません。

さて、その次はいわゆる、プレイリストのようなデータを集合させ管理するものです。ダウンロードした場合には端末の同期元になることもあります。あっという間に増えていくデータから目当てのものをみつけられるようなものです。データ自体にまずは並び替え用の付加データが必要になってきます。それを元に、一覧し必要なものを見つけていくことになります。これがないと自分の所有するデータにあっという間に溺れてしまうのではないでしょうか。

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ここでもう一つ要素があると思い、卓上の紙ナプキンが追加されました。

それがプレイリストの右のデータ元です。このデータ元から選択したものがプレイリストへ入ります。例えば音楽であれば購入元の iTunes Store の音楽データです。ここにある品揃えの良し悪しでも影響を受けます。ポイントは特定の端末でないとデータ元のデータを使えないのかということになるかもしれません。先ほどのファイルフォーマットとも関係があります。

このデータ元というのは、サービス提供会社のサーバーにありますので、ネットを介してつなげることになります。

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どちらかというとプレイリストは自分のPCなどのデータの中にあり、もともとは購入元のサーバーにあったものというイメージが徐々にくっつき始めています。

自分のプレイリストを見ていてその中に出てきた物で、自分が持っていなかった曲を「リストの中に加える」、もしくは購入して「聞けるようにする」といった具合です。

自分のPC内のデータと端末を同期させるのと、ネットを介してどこかのサーバーにあるデータと同期させることが混ざってきます。

手元にデータを貯めておくとどんどん増えていきますので、だんだんとどこかに置いてネットを介して必要なときに必要なものを端末に入れたり、利用できればいいのではないか?という考え方です。もともと、インターネットというもの自体が、全世界の人が、せっせと毎日同じデータベースにアップロードしたりダウンロードしているものですので少し近いのかもしれません。

もちろんmixiのように限られた人しかアクセスできないという面もあります。音楽や電子書籍で言えば購入するということはそういったアクセス権、つまり「聞くことができる」「読むことができる」ということを買うという感覚に近づくということになります。

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で、最後はうまいこと紙ナプキンが生きてきました。そうです。端末はネット環境が常につながることが理想ですが、現実はそうではありません。携帯電話も田舎では圏外です。まだまだそういう意味ではプツプツ切れることが前提になります。人里離れたところで音楽をと思ったらサーバーに繋がらないのではかなしいです。なので、自分の方にもある程度のデータというのは必要になることは変わらないはずです。

お昼休みに話した結果、右側のほうの特に、プレイリストから右側が自分にとって興味があると思いました。音楽も本も品揃えがあって、なおかつひとつのプレイリストで並び替えたり管理したり探せると良い。端末は、そのときの自分の要望にあわせて選ぶという形になるのかなと。例えば雑誌のようなテキストデータではない書籍?は少し大きめのディスプレイが良いし、純粋なテキストデータに近いものならば、少し小さくても我慢しそう。漫画なら見開きが欲しい...とか。壊れないとか、ちゃんと質感があって、人に渡せる端末ならば、従来通りの紙の本だとかになるんじゃないのかななんて思いました。

皆さんも目一杯予想を楽しんでくださーい!では。

そういえばこんなこと描いてました:

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描いて売り込め! 超ビジュアルシンキング
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「少しだけ考える」ことと「慣れ」

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さて、「アドバイスや心がけは少なく、反復を前提に」が鉄則かと。

「燃えよドラゴン」という映画の中で、ブルース・リーが言いました。

「Don't think, feel!」

「考えずに感じろ」ということですが、ほっといても人は考えます。それに、意識できることが少ないとしても、意味が無いわけでもありません。

とはいえ、「体で覚える」というときには、「慣れ」というのは大きいのではと。

スノーボードも上達の速さは人それぞれかもしれませんが、「慣れ」というのは大きいです。

だから、上手いとか下手とか才能があるとかないとかをすぐに決めつけるのはあまり好きではありません。

なぜかというと「できない」と言っていた人が、少しのことを意識しながら、少しづつステップアップすれば、最初にできなかった大きいことができるシーンを何度も目にしているからです。

教えてたはずが、いつのまにか教えてもらってるなんてこともあります。

最初の少しのことが意識せずにできるようになると、次に別の少しのことを意識することができて...の繰り返しです。過程で必要なことは「慣れ」しかないと感じています。

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ディレクターズ・カット 燃えよドラゴン 特別版 [DVD]
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2010年01月22日 00:41Fujii

はっきりと意識しないことも感じ取っているということ

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はっきりと意識しないことも感じ取っているということを改めて考えさせられました。

本の中では、「自分が意識していることはほんの一部で、意識する前には脳がすでに情報を捨てている!自分はどこにいるのだ?」というような感じで書いてありました。しかし、日々意識していることが少ないというのは結構身近に起きていることではないかと思いました。

スポーツで考えてみる

それはやはりスポーツなどやっているといちいち考えていない。考えているんですが、言語化したりはっきり意識するレベルで考えません。

そうしている時間もないからです。たくさんコツを教えてもらっても、そのことをすべて考えてやることは難しい。

それでも、少しづつ体が覚えていくので、いつのまにか上達していたりします。

今回気づいたのは、今までなぜ自分が「理解する」ということを考えるときに、よくスポーツの例を出しながら考えていたのかちょっぴりわかった気がします。

アニメから考えてみる

さて、もう一つ思いあたるのは、アニメで、妙にリアルに感じるときです。もしくは、リアルに感じる作品とそうでない作品の違いを感じるけれど、その理由を答えられない時です。

制作した側は工夫しているポイントがあると思いますが、見ている方は説明ができない。けれどリアルだなーと感じます。

これは、自分が意識していなくても、風に布がはためく様子、物の動き、色、タイミングなどを毎日感じ取っているからではないかと思いました。しかし意識するところまではいかないので、そのことをうまく再現したアニメを見てもなぜリアルに感じるのかが説明できないのかなと。

はっきり意識していないけれど通り過ぎていることもある

ライブのDVDを見るのと、ライブに行くのはもちろん別だし、電子書籍と紙の本も当然別物と思えてきます。はっきり意識していないけれど一度感じ取っていることがあると思うとなおさらです。本の中身からそれているかもしれませんがそんなことを考えさせられました。

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2010年01月20日 23:31Fujii

「たくさんのふしぎ」を思い出した

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ひきつづき「ユーザーイリュージョン―意識という幻想」読んでいます。最近は電車の中の暖かいシートにやられて眠ってしまうので全然進みませんが、今回は中盤の解説です。

中盤は、錯視の図形やら、かえるの視覚は人間と見えているものが違うとか、懐かしい科学の本を思い起こさせる内容でした。

すっかり忘れていましたが、たしか「たくさんのふしぎ」というシリーズを読んでいました。

久しぶりに見ると題名がなかなかいいですね。タイガー立石さん、佐々木マキさんの名前を忘れてましたが、好きだったことを思い出しました!というかもう一度読みたくなっちゃいました!覚えているものをぺたぺた貼っておきます。

内容的には専門的なことが多いのですが「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」という本は、大人版「たくさんのふしぎ」に思えてきました。

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2本足と4本足 (たくさんのふしぎ傑作集)
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さかさまさかさ (たくさんのふしぎ傑作集)
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アナログ?デジタル?ピンポーン! (たくさんのふしぎ傑作集)
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言葉はひろがる (たくさんのふしぎ傑作集)
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2010年01月19日 22:54Fujii

わかりすいってなんだっけ?と思ったら

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伝達と解釈と行動 

前に描いた(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』を読んでいます)ことですが、ウィーヴァーさんのコミュニケーション理論の3つのレベル、「技術のレベル、意味のレベル、行動のレベル」をヒントに、

  1. 記号が伝わっているか?
  2. どう解釈されたか?
  3. どう行動したか?

と考えてみました。「わかりやすい」とか「使いやすい」ってなんだろうと思ったときにちょっと思い出すとよさそうです。

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「楽しい」の要素

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楽しさを考える上でスノーボードという対象は結構題材としてはおもしろいです。

というのも、「スポーツ」と言われることもあるし「遊び」でもある。「遊び」の要素があるから、道具もそうなります。また、滑るときも「遊び」の要素が文化の中にあります。ターンをきれいに!というよりもどう遊べそうなところを見つけるか合戦になることもあります。

とはいえ、「滑る」という共通の行為を通じてコミュニケーションをするという面もあります。その共通の要素がなければ「遊び」のきっかけはうまれないことも事実です。同じ時間でも、共通のことをやってきている者同士なので理解もしやすいです。

滑っているだけといっても、やっていることが可視化されているのでこんなこと考えながらやってそうだなとか、今こういう事をやりたかったのだなというのはわかります。

また、「遊び」の要素の例では、「スノーボードはそこそこにBBQしてもいいし、うまくなくてもまずは楽しんで」という側面が強いと思います。当然そこには人の要素が大きく関係してきます。

なので、「スノーボード旅行」と行っても要素が結構あり、単に旅行に行って楽しいというと、旅行で行った場所だとか体験した行為のおかげかなと思ってしまいがちですが、その場にいる人の要素もとても大きいんだと再確認しました。

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2010年01月15日 01:44Fujii

『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』を読んでいます

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まだ途中ですが、このブログの中で『頭の中の辞書』 のあたりの情報の交換についてや、『線が絵に見えてくるときに何が起こっているのか?』のような、認識する際にある情報の両面に関してなどに興味がある人は良さそうです。

この本の面白いところは、「情報」について、エントロピーの話(とりだしやすいか?とりだしにくいか?)を混ぜたり、ミクロとマクロの考え方から、情報の捨てられている部分について展開しているところです。

数学者や哲学者やそのほかの研究者がこんなこと考えているのかと思いました。

そのあたりの話については、何か違うなーと感じました。

それは、この研究者達の言っている「情報」は、「記号」や「信号」の話というほうがいいのではないかと最初から違和感があったからです。

実際にそういった食い違いという点も本の中に登場し、

シャノンは自らの理論を発表した際、「コミュニケーションの持つそうした意味論的な側面は、工学的な問題には関係ない」と述べた。ロックフェラー財団のウィーヴァーはさらに明確に言い切っている。「情報は意味と混同してはならない」
『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』

と紹介しています。

実はこれは第二部の「コミュニケーション」に書かれているんですが、どうも第一部が消化不良というか、この人達は「情報」の話をしていないなと思った理由が解明されたのでした。

さらに、

ウィーヴァーはコミュニケーション理論には、三つのレベルがあると力説する。技術のレベル、意味のレベル、そして、行動のレベルだ。技術のレベルでは、コミュニケーションに用いる記号の伝達、すなわちシャノンが数学理論で記述したものの実践的応用を扱う。意味のレベルで考えるのは、意図した意味を記述が実際にどこまでつたえるかという問題だ。最後の行動レベルでは、コミュニケーションが現実にどの程度、送信者の意図した形(仮にそういう意図があればの話だが)受信者の行動に影響を与えるかを問題にする。
『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』

というように、第一部「計算」は記号の伝達についてだったんだなと再確認しました。自分自身は「記号」と「情報」を混同させる必要はないのではないかと感じています。情報理論ではなく「記号理論・信号理論」のほうがいいのかななんて思いました。

とはいえ、研究者の「情報」と読んでいる自分の「情報」という言葉の捉え方の違いをまさに感じ、それであればこの本でいうと「コミュニケーション」の話が自分は興味があるぞと思ったのでした。たしかおなじみのコンテキストということも出てきたと思います。

今のところ、コミュニケーションではない場合でも意味というのは自分の内部で発生すると考えているのでそのあたりの話が出てこないかなあなんて思っています。

人と人とのコミュニケーションでは意図がはいるかもしれませんが、物の配置などから意味を読み取るという行為は相手がいなくても起こりますし、コンピュータが吐き出したメッセージでも、読んだ人は意味を感じるので。

ちょっと『秘密は面白さの源』で、その先に何も無いのに拝むことに近い話かも。

あとは、信号や記号自体も、それが信号であり、他のものとの違っているんだという意味を感じ解釈されて、はじめて機能するのでは?というように何層にもなっていることについても出てきたらいいなと思っています。

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2010年01月14日 00:03Fujii

MECE(モレなく、ダブりなく)で考えていると動けなくなることがある

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「モレなく、ダブりなく」というのは、あるものとあるものが重なっていないことがわかることが前提です。

「あるもの」自体が明確に線引きできないときに機能しなくなります。「あるもの」の一部はこちらに重なっているが、「あるもの」の一部は重なっていない時です。

そういった複雑なものを扱うときは、モレもあるし重なっているけれど、なにか似ているものを集めてみるということが大事だなと改めて思いました。

「あるもの」と「あるもの」が明確に線引きできる分け方を探そうとすると見つからずに立ち往生します。かといって、スタンスを変えないと、似ているものを集めることがとても気持ち悪く感じて、うまくいかないということが起きるのではないでしょうか?

分け方自体が不確実なときに、答えを色々組み合わせて自分で作ってもいいのだというスイッチが入るかどうかが鍵かもしれません。

世の中に、無数のレゴブロックがあり、目の前に広がっているとします。そのときに、ブロックをきっちり分けたり正解のある形を探したり、再現できるものだけを作ることはやめて、目の前の無数のブロックを組み合わせてその時に自分が必要な形を作るのだというようなスタンスを持っているかは大きな違いなのかなと。

世界は広く人間は複雑なので、法則にこだわりすぎて動けなくなった時には、傾向に目を向けるといいかもしれません。

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2010年01月13日 00:20Fujii

日本民家園に行ってきました

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日本民家園に行って

私たちの今住んでいる家もいつか展示されて、保存されて、見に来る人が「昔の人はこんなところに住んでたのか」なんて考えるのでしょうか?

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こういった茅葺き屋根などの昔の家は全体的に寒そうで暗い家が多いのかなと感じています。結構大変だったのだろうと思います。

江戸東京たてもの園と違って、高低差のある場所の集められているので、村のようです。時代も地方も違う建物が集められているのですが、そこまで区別できる解像度がない自分としては、村のように見えました。実際にお地蔵さんなんかも道端にあったりします。そういう意味では村と民家のカタログのようになっているので、立体的なインフォメーショングラフィックス。グラフィックではないけれど。

来てた人が、「昔こんな家具あったなー」なんて言っていたのをきいて、住居も急速に時代とともに変化しているのだなあと改めて感じました。

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もちろん今でも田舎に行けばおばあちゃんの家がそういった家だという方もいるかもしれません。

と同時に、かなり古いものとかもあるんですが、昔の人も楽しんだり暮らしていたんだなあと変な実感がわきました。オーストラリア人がはじめて寝るところを見たときにもそう思ったのを思い出しました。

「まー当たり前なんだけど、そうか・・・(感慨)」という感じです。

岡本太郎美術館

岡本太郎美術館も隣にあったのでついでに行ってきました。

強烈ですね。太陽の塔は大阪で生で観て、強烈!と思ったのを思い出しました。エネルギッシュです。

面白かったのは、「日本」というものを掘っていくうちに、いわゆる京都に代表される「和」のイメージではなく、縄文土器にたどり着いたというようなエピソードでした。

あのうねうねした感じが好きだったんでしょうか。なんとなく作品を見ているとわかる気がします。

とはいっても、エヴァンゲリオンにでもでてくる使徒というロボット?をなんとなく思い出させるような立体も作っていたり(使徒が岡本太郎的といったほうがいいかもしれませんが)、よく知らなかったんですがいろいろやっていたんだなあと思いながら見てきました。

岡本太郎さんに限らずですが、自分はマンガをベースにするからかもしれませんが、絵がいわゆる「下手(うまくても粗いタッチも含む)」でも、きれいで正確なのは写真に任せておいて、それよりもそこを通じて、「汚い」んだけど妙なパワーがあるとかそういった部分をついついみてしまいます。

写真はこちら

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小田急「向ヶ丘遊園」からトコトコ。

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駅前の地図を頼りにほぼまっすぐ。途中右に入ります。色々集まってます。

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年配の方が多いですね。若者は岡本太郎へ?

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入り口あたりはかやぶき屋根ではない建物もあります。

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宿場というカテゴリーかな。

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たしか「ミセ」という商談をする部屋を持つ建物もあったと思います。

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こんな感じでセットのようです。

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水車もありました。

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これが舞台の下に潜る入り口です。ごそごそ。

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これが舞台の正面。なぜか少し閉まってます。ごみが入るのかな?

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岡本太郎美術館です。

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太陽の塔的なものが。奥に見えるのは専修大学?

2010年01月11日 23:38Fujii

ブログ運営しながら考えたことを振り返る

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過去記事にリンクはったときなどに、ちょこちょこ改修しています。

Webサイトは永遠のベータ版というぐらいなので、ペーパーではないですが、プロトタイプ的なことは知らず知らずのうちにやっていることもあると感じています。

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「道具箱」という考え方

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すべての知識産業に必要な3つのツール』の続きです。

  1. レシピ(プロセス、ワークフロー、マニュアル)
  2. ケース((事例とその過程で産まれる副産物と成果物)
  3. ルール(原理原則、ガイドライン)

の3つとそれを使う人の関係は、大前提として道具箱のような関係がいいのでは?と思いました。

この考え方は、以前に『学校は外にもある』という記事で、「学ぶとは、座学以外に多種多様なやりかたがある」と描いたことと重なります。

中に自由に動き回る人がいて、その周りに色々な手段が配置されている図を思い浮かべてもらうと近いと思います。

全く同じことをコピーして行うのであれば、かなりこまかい手順化ができます。フォーマットとしては、特にレシピ型のツールが得意とすることです。

そうではない場合は「道具箱」を「人が必要なものを選んで使う」というモデルが良さそうだと思いました。

ひとつ考えられることは、どう道具箱から選んで良いのかわからない人もでてくるので、そのためにひとつ別のごくごく簡単な「道具箱の使い方」がなんとなくわかるための道具箱を用意するといいのかもしれません。

このごくごく簡単な道具箱は、全部を使ってみることが出来る程度のコンパクトな量が目安です。なぜかというと、ごくごく簡単な道具箱の使い方で迷ってしまっては機能しないからです。

選択しなくても、全部に目を通せるくらいの量がいいのかなと思います。

具体的には、iPodの説明書くらいの、え?こんだけ?というような。

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2010年01月09日 23:58Fujii

行動力を使うまでもなく、行動していること

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最近のエントリーの解説も兼ねつつ。

行動力を使うまでもなく、行動していることの中に次の展開に関係することも含まれているのだと思いました。
行動力を使うまでもなくというのは『友人の3歳のこどもが片付けをしないときに「天の岩戸作戦」を試してみた』でも描きました。このときは、線引きが変われば行動する!というパワーすらいらない状態になるなーと感じたからです。

なぜそんなことを考えているかというと、今、ユーザビリティとは一見関係のないことに興味を持っています。

それは、『人の気配のあるデザイン 〜江戸東京たてもの園に行って〜』あたりからはじまった感じのことです。ただし、自分自身も何に興味を持っているのかはいまいちわかりません。「古い家」なのか、「昔の人々の生活」なのか「家の造りの独特さ」なのか「今とは違う時代に感じる非日常」なのかはっきりしません。色々関係しそうなところに行ってみたりしているだけです。

で、今のところ「よくわからんけど興味を持っている」という状態でいいんじゃないか、何かに強引に結びつけることもしないでいいというスタンスでいます。
こちらの『半分くらいわからない』もその時に感じたことです。

行動力ということに関しては、やってることすべてが大事なんだということでもなく、『言った情報、やった情報』のようにやりたいけどやってないとか、言葉や思いとのズレがあるときもあれば、行動しちゃって言語化されていないときも両方あると思います。

言った情報、やった情報』で描いたように、言葉と行動のズレがあるのが自然であると思ったのは、行動しちゃっている場合は言語化する必要があるわけではないと思ったからでした。なので、ズレのない言葉は何かと考えると、やったことのある過去の話しかありませんし、それだと少なすぎます。なので、そうでないならば言葉を発するということは未来に対して祈りにも似た言葉を紡ぐことになるのは自然なことなのかなと。

「楓パープル」収録はこちら:

カメレオンジェイル (JUMP SUPER ACE)
カメレオンジェイル (JUMP SUPER ACE)

2010年01月08日 00:42Fujii

すべての知識産業に必要な3つのツール

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すべての知識産業にとってのツールとは何か考えていました。

大事なのは以下の3つ。

  1. レシピ
  2. ケース
  3. ルール

レシピ(プロセス、ワークフロー、マニュアル)

どのようにやるのか?を指し示すものです。

ケース(事例とその過程で産まれる副産物と成果物)

実際の問題とその対処とその結果どうなったのかを知ることができるものです。過程で生まれたテンプレート、固有の状況の成果物を含みます。

ルール(原理原則、ガイドライン)

原理原則、ガイドライン、コンセプト。混乱から抜け出すための道標。闇夜の中の灯台です。

知識産業にとって、この3つが必要不可欠です。

2010年01月06日 23:49Fujii

半分くらいわからない

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わからないから興味を持つ。

それも、全くわからないのではなく、なんとなくわかるけれど、わからない。

そんな感じで興味を持つということってあると思います。ポイントはこのなんとなくわかるという部分。

得体のしれない暗号、なにかありそうな分野、古い使いにくそうなレバーやボタンだらけの機械などなど。

しかし、どれも全くわからないのでは接点も持ちようがなく、そもそもその存在に気づかないでしょう。お笑いのボケが誰かにつっこまれることではじめて、周りの人がそこにボケの要素があることに気付く場合があるというのと似ています。

ここでいう「なんとなくわかる」というのは、以前に『なじみの無い情報を説明するときに、相手にうまく興味を持ってもらう方法 』という記事で描いたように、少し自分との接点を見い出すということです。

好奇心というのはいかにこの「なんとなくわかる」を見つけつつも、全部は「わからない」ことを認識するかどうかなんだと思います。

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言った情報、やった情報

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このずれというのはよく言われるように「言ってることとやってることが違う」という形で姿を表します。昔から「有言実行」という言葉があるように、大体「言う」ということはそういった面を含んでいるものなのだと思います。

例えば、言っている内容が、「言語」や「説明」などをテーマにしていると、それを説明する行為自体も注目されることになります。

そういったズレというのは、相手に話す場合なのか、自分のためのひとりごとなのかで良いとか悪いとか、逆にお笑いの要素になったり、色々扱いも分かれるものですが、もともと言葉にはそういった「ズレ」があるものだと考える方が自然なのかなと思いました。

ついったーに関して思うのは、つぶやきの内容よりも、こんな人が、こんなことをやっている(言った、買った、お風呂はいった、寝た、興味を持っている)という情報を得ることが多い傾向があります。

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2010年01月05日 01:10Fujii

身近なテーマで「集めてみる」

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「集める」ときに「利用状況とセットで」をコンセプトに

ポイントはただ集めるのではなく利用状況とセットで集めることです。なんとなくいいなという鑑賞するためではありませんので、コンセプトとしました。

まだ全然貯まっていませんが。自分の場合はテーマはそういった対象にしていますが、皆さんも何か身の回りのテーマで、HCDやUCDなどの調査でやるような「集めて」「分類して」「発想する」ということをやってみるのも良いかもしれません。

UI(ユーザインターフェース)のブログの紹介

ということで、UI(ユーザインターフェース)について「集める」わけなんですが、やはりそこに何かしらのまとまりや発想が必要になってきます。なんですが、このブログを読むよりもずっと詳しく書いてあるブログがありますので紹介しておきます。

Modeless and Modal

ちょっと専門的ですので読者層が違うかもしれませんが、気になったポイントはこのブログのフィルタを通してですが紹介するかもしれません。

2010年01月03日 04:05Fujii

明けましておめでとうございます!

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明けましておめでとうございます。

今年もゆるく更新していく予定ですが、よろしくお願いいたします。

お正月休んでいる方も、逆に働いている方もお体に気をつけて。