2009年12月30日 02:28Fujii

秘密は面白さの源

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神社の中に、ほんとに鏡が入っている場合は、何もないに等しいです。そこを拝むという行為は面白いですね。

こういった秘密めいたことというのはなんとなく面白さの源なのではないでしょうか?なぜかというと、そこにはもともと何もないからです。なので、お参りにくる人のほうの想像にかかっています。

別の面から言えば、あると思っていたものがない!という場合は「虚像」といわれることもあります。こどもの頃に感じた「神様のはずが鏡だった!ちょっとショック!いないの!?」ということですね。

この想像も虚像も、思い描く人の中で起こっているということが面白いですね。

と、ここまでかきましたが、神社というのはそれでもなお、物質的な形を残しているところもまた気になるところです。

人は、物質と想像、あっちとこっち、象徴と虚像、記号と解釈、秘密と表象の間の境界に住んでいるのかもしれません。

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2009年12月28日 17:47Fujii

漢字で骨組みをつくるときの3ステップ

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こんな感じでtwitterに書いていました。

最初↓

ボーリング→忘年会→ダーツ→レイトショー「アバター」→帰→寝→起→布団→囀り

漢字一文字にしてみよう(ぎりぎりまで削り落とす)↓

投→飲→投→観→帰→寝→起→不動→囀

「投」が二つになってしまったな、それぞれの違いを漢字にして、「飲む」も「呑む」のほうがお酒っぽいかな。(最も大事なポイントを絞る)↓

転→呑→射→観→帰→起→不動→囀

最優先が決まったので、補足の文字をつけてみよう(必要なものを付け加える)↓

鉄球転→温鍋呑→矢投射→丑三観→始発帰→陽光寝→日傾起→微睡態→携囀考

3ステップが大事

という事をしていて、特にカッコの中に描いたステップが、インフォグラフィックを作るときの思考と似ているのかなと思いました。

  1. ぎりぎりまで削り落とす
  2. 最も大事なポイントを絞る
  3. 必要なものを付け加える

という3ステップです。このステップが済んでいる状態で絵にすると、ただ単に絵を並べているのではなくなるとおもいました。

無意識のうちに描くという行為はこれを行うことになりますので、『優れたビジュアルデザインの前後に、優れたルールのデザイン』でも「前後」と描いたように、「少し描いて整理して」とやることになるのかもしれません。

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2009年12月24日 23:01Fujii

リアルとファンタジー、日常と非日常の境目が気になる

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人生を通して経験したコンテキストの違い

人生を通して経験したコンテキストの違いから、全く感じ方も異なるということを描いてみました。

非日常の魅力は、日常があるからこそだと考えていますので、なるほどと納得しました。

隣の芝はなんとやらのように、外から見ただけではわからないものもあります。逆を言えば中からだとわからないこともあります。

昔のものが徐々に非日常に

周りが変化する中では、観光という意味では、残しておくといいことがあります。それは、昔のものが徐々に非日常になるからです。

ただ、なぜ残っていかないかというとたくさんの理由がありそうです。ひとつには、日常になっている人にとっては、新しい別のもののほうが非日常で魅力的に見えるので、建て替えてしまうということもありそうです。

そのほかには、様々な不便もあったりするのだろうと感じますし、今の自分にはまだ想像もつかない理由で建て替えをすることになるのだと思います。

今でも「生きている」古い建物は日常と非日常の境目

江戸東京たてもの園のような場合は、ある種保護されています。言い方は悪いですが、少し死んでしまっています。実際に使われていないので。

そういった流れもあるなーという中で、今でも「生きている」、つまり使われている古い建物に最近興味を持っています。

古い建物という意味では同じですが、今でも使われて「生きている」建物というのは、日常と非日常の境目のような感じがしています。

関連サイト:

川崎市立日本民家園

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メリークリスマス!

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クリスマスからお正月まで、日本のごった煮ハッピーホリデーは華やかですね。はやくスノーボードに行きたい!

季節の挨拶の記事を今まで描いてきて改めて、日本の四季の移り変わりは豊かなんだなーと気づきました。

皆様、お体に気をつけて楽しんでください!

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2009年12月23日 02:40Fujii

「わからない」と「興味がない」のは違う

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自分は結構はやく「わからない、なんでだろ?」と言ってしまいます。

いろんな人と話したときに、この「わからない」ということをどう捉えるのかがそれぞれなんだなーと感じます。人というか自分も含め、その人の状態によってまちまちだなと。

「わからない」ということを避ける状態、これは答えられないと言う事に対する恥ずかしさや劣等感が関わっているかもしれません。

その気持がある時には「わからない」で止まってしまいます。「なんでだろ?」ということが出てきません。

そもそも、「わからない」ということはないんだというところで色々力を使ってしまいます。その結果、「わからない、なんでだろ?、あ、こういうことかな?違うかな?」と発展する方向に行かないのかもしれません。そう意味では、わからないというよりも、もともと興味が無いに近い気がします。

というのも、自分がそうなる場面を思い出してみると、その話に興味がもともとないときが多いからです。

そういうときには、「わからない、興味がない、興味がないのはなんでだろ?」と言ってからのほうがいいのかなと思いました。

最初の話に戻りますが、そもそも「わからない」ということを避けなければいいのかなと思いました。

極端にいうと「わからない、はっはっは、なんでだろうね?」という感じが必須です。

興味とか分野とか話題すら関係なく、こういうトーンがあう方と話していたりすると時間を忘れてしまうことがありますね。

関連商品:

美しき日々よ/さよならはいつも側に(初回生産限定盤)(DVD付)
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2009年12月22日 03:15Fujii

2009年の人気記事トップ10(追記あり)

2009年の人気記事トップ10です。

  1. プロペパ君で作るオーソドックスなWebサイトのレイアウト(9パターン)
  2. 『パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学』を読んで
  3. 「あとちょっと良いサイト」はじめました
  4. ユーザー中心のWebサイト設計に参加して考えたこと4つ
  5. イベントの講演とtwitterの関係をインフォグラフィックで図解
  6. Webサイト担当者になったらまずやること 前編
  7. キッズのための、紙で作るWebサイト(というかページ)設計
  8. デザインをインフォグラフィックで図解
  9. 16×16の小さなアイコンの作り方
  10. Webサイト担当者になったらまずやること 後編

実際に自分で運営することでしかわからない経験というのがあるのではと思ってやっている面もあります。
以下いろいろ。

  • 「図解」で探す人がコンスタントにいる
  • よく言われることですが、自分が気合を入れた記事がイマイチなことはある
  • TumblrやTwitter、ブックマークのコメントなど見ると、名言やパンチラインを集める側面がある

ついでなので、他のサイトの記事で気になったもの。いつもの棚橋さんのところより。

上記の記事も、下の記事も、記事そのものの中身もありますが、今までの記事の流れがあったり、業界の様子とかがなんとなく想像しつつとかいろいろな文脈含め。
あとは、単純になんかこういうことをやってらっしゃるのかとか、おもしろいなーと思ってたものです。

続いては、上平先生のところより。

食のエスノグラフィーと記憶の現像で有名な?浅野先生のところより。写真が満載ですよ。
もちろんメインは授業の様子のブログなんですが、今回は好き勝手に選ぶことが趣旨なのでちょっとマニアックな記事を選んでみました。

もうちょっと他の方のブログも紹介したいですが、意外と人のブログを読んでいないことに気づきました。
もうちょっと読もう。

追記:2009/12/22

するどいつぶやき。 一番最後の記事は意図的です(笑)

2009年12月21日 02:08Fujii

すべてのものは場面にあわせて省略された記号

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UI設計の場合は、簡単にいうとこちらの『オブジェクトのマルチ表現』ということになります。

その場面にあわせて省略された記号

言いたくなる言葉』や『海外の人のWeb上のログを見て思ったこと』で描いたように、「意味するもの」と「意味されるもの」が対になっているというようなことではなく、もっと何層にもなっているものなんだと思いました。

そして、そのすべて表すことはできるはずがなく、その場面にあわせて省略された記号となっています。

なのでそれはもちろんUIの設計上でもそうですし、Ixのための画面展開の場合でもそういったことを考えます。ざっくりとした用語解説については、こちら→UI、UX、IXという用語を少し説明

業務システムでも、アプリケーションでも無いようなWebサイトでも、ナビゲーションあたりの話だとイメージしやすいかもしれません。イメージしにくいところかもしれませんが、写真一枚でも関係してきます。また、すべて表すことができないというのは、トップページに全部大事だから載せてくれというようなことが不可能であることがその典型的な具体例だと捉えてもいい思います。

UI設計というものに限らない話

そして、最初に「すべてのもの」といったように、いわゆるUI設計というものに限らない話だと思います。

我々が普段会話することもそうですし、世の中のものを見て捉えるときもそうなります。

コンピュータのデータベースよりも、より複雑で、素早く記号化の切り口を何十回も一瞬で変えたり、同時に記号化されたものが、また組み合わさって別の記号化の要素をつくるということもありそうです。

文字も写真のようなものも同じ

そういった意味では、『ある意味写真も文字も同じなので、適当に組み合わせてはダメですという話』で描いたような、すべてのもの、つまり文字も写真のようなものも同じということがすんなりわかってきます。

意味同士の境界ははっきりしない

意味同士の境界ははっきりはしません。はっきりはしないからこそ、いろいろな表現になります。それは、『友人の3歳のこどもが片付けをしないときに「天の岩戸作戦」を試してみた』で、どこまでを「遊び」してしまうのかということもそうです。

厳密ではない境界線だからこそ、今ある境界線をもう一度引き直すことも可能になります。もちろん、再度ひいた境界線もまた、厳密なものではありません。

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2009年12月17日 22:09Fujii

「テスラーの複雑性保存の法則」と「あっち」と「こっち」について

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「インタラクションデザインの教科書」という本に「テスラーの複雑性保存の法則」というものが紹介されています。

あらゆるプロセスには本来備わっている複雑性があるというものである。プロセスには、それ以上単純化できない「臨界点」があり、それ以降は、本来備わっている複雑性を移動できるだけだというものである。
例えば、電子メールメッセージには、2つの要素が必要である。差出人電子メールアドレスと、宛先であるメールアドレスである。もしこのうち1つが欠けていれば、電子メールを送ることはできないし、メールソフトがそう告げるだろう。これrが必要最低限の複雑性である。ただ、その負荷の一部がメールソフト側に移ってきているようではある。

「インタラクションデザインの教科書」/Dan Saffer

と書かれています。実は会社の上司に以前、この部分興味ない?と言われたことがあったんですが、特にピンときませんでした。

当たり前といえば当たり前だと思ったからです。

それが、今回「あっち」と「こっち」がつながっていて、シーソーのようになっていたり、「こっち」が熟練すれば「あっち」が今までと変わらなくても状況が変わるということを考えていたときに思い出しました。ぴったりと重なったという感じです。

さらに、この本の著者は、その法則をインタラクションデザイナーが覚えておく理由をこう語っています。

まず、デザイナーがどれだけがんばっても、デザインのプロセスにはそれ以上単純化できない要素があることを認める必要がある。(中略)単純そうにみえることもすべて複雑なのである。

「インタラクションデザインの教科書」/Dan Saffer

と書いていて、最後に、

インタラクションデザイナーが作る製品ができるだけ複雑性の負荷を請け負うべきである。

「インタラクションデザインの教科書」/Dan Saffer

と言っています。

1つめはそのとおりだと思いました。このブログでは「あまり難しい言葉を使わないようにしている」とよく書いている気もしますが、実は言い方を平易にしても、その対象自体の構造が簡単になるわけではないということを日々感じています。

2つめは、インタラクションデザインというのがパソコンのようなものを指しているのであれば確かにそうだと思うのと同時に、もう少し、広い意味でのインタラクションであれば、複雑性を使う側が引き受けることによって同じ道具がちがった意味を持つこともあるのかなとも思いました。

例えば「複雑性保存の法則」という言葉とのインタラクションの場合、「複雑性保存の法則」と言わずに、平易な言葉にするという場合と、こっちがその他にいろいろ考えて調べて経験して変化することによって、「おおつながってるかも!」と思う場合と2つあるのかなと思いました。

あとは、物理的な箸とかペンとかもそんなイメージがあります。

ちょっと拡大解釈。

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インタラクションデザインの教科書 (DESIGN IT! BOOKS)
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友人の3歳のこどもが片付けをしないときに「天の岩戸作戦」を試してみた

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こどもはどこからどこまでが「遊び」なのかわかっていないという仮説。

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実はパズルでこんなエピソードが。自分が最初にバラバラにして「さあ準備出来たよ」とやったら、こどもが怒り(泣き?)だしました。どーした?と思っていると、どうやら、パズルをバラバラにするのをやりたかったらしいのです。すでにそこから遊びはスタートしていたのでした。

「遊び」の区切りをなくせば真似するということを検証。

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例えばこどもが「ご飯いらない」というのはご飯が食べたくないわけではなく、遊びが終わるのがイヤということもあります。

どこまで遊びなのかは、大人の真似をしているだけ。

このように言葉ではなくこどもに伝わっている情報に気づけば、試してみることはあるのではと考えました。 問題は大人自体がその情報に気づいていないことがあるということです。

これは、大人同士の情報の伝達も実はそうだと感じています。

これが「天の岩戸作戦」です。楽しくしていると神様も気になってしまうんですね。

そして、情報の捉え方自体もそうです。再定義してみると見えてくるものがあるはずです。

ジムはお金を払って走りに行くんです。スノーボードもお金を払って、寒いところに出かけて、上に登って滑って降りてを一日中繰り返します。

どこからどこまでがなんであるかというのはこういったことを題材に改めて考えることができます。

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2009年12月16日 00:41Fujii

ケータイと本を比べてみました

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ちょっと比べてみました。液晶は暗いところでがんばれますね。

2009年12月15日 03:08Fujii

はやいですが年末のご挨拶

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今年も残すところあと僅かですね。

少しづつですが、楽しんでいる方もこのサイトらしくゆるく増えているようで(笑)

難しい言葉は他の方にまかせて、境界線あたりをこれからもうろうろする予定です。

狭い範囲ではUIとかユーザビリティなどに少しでも興味を持っていただいたり、広い範囲では今までとは少しだけものの見方がかわるきっかけになどなれば幸いです。

自分も日々周りの方から刺激をいただいています。

銀の弾丸はありませんが、あとちょっと良くなるなら小さいことでも。

風邪やインフルエンザなどお体に気をつけて。

2009年12月14日 23:47Fujii

差し引いても、今の建物よりも文化的な何かがあるかな?

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基本的には、昔の人のお金持ちの人の家が残っているので、古いけれどそれなりに豪華なものが残っているところです。

お寺と少し近いかもしれませんね。ただ、たてもの園の一角は銭湯や交番や商店もあります。ここもいい感じです。

お祭り、旅行に共通する非日常性というのは、良さの源だと感じていますが、それを差し引いても、今の建物よりも文化的な何かが残っている気がします。

建築に関しての解像度はとても低いので、それが使われている木の素材から感じるのか?建物の周りの風景からも実は影響を受けているのか?瓦屋根を下からみたときの木の複雑な組み方からなのか?部屋に置いてあるものからなのか残念ながらわかりません。もしかしたら、庭があるとか広いとかいうこと自体からなのかもしれません。

京都などでも、景色や街並みもいいなと思うので、家だけでもなさそうですね。うーんなんだろう?カッコいいという表現も近い気もするんですが。

専門ではない特権で良さだけ味わっておくことにします。

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物理的な大きさ、視覚と聴覚の違い

同時に使うという利用状況から考える』の続きです。

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利用状況で考えてみて

目次

  • 物理的な大きさ
  • 視覚と聴覚の違い
  • 機能も利用状況の中で考える

物理的な大きさ

物理的な大きさの問題がでてきました。パソコンはやろうと思えば切り替えてできますが、同時に表示しておくというのはモニターが大きくなければいけないようです。

視覚と聴覚の違い

視覚と聴覚のそれぞれ使うときは大丈夫です。iTunesで音楽を聞いたりしながらブログを読み続けるとは可能です。

今もiTunesではないのですが、「京王×高尾山」(音でますよ)というサイトで音楽だけ聞きながら書いています(ちょっとストーリーがあって泣きそうになる曲ですけど)。

余談ですけれど、このサイトも音楽と綺麗な写真が見れる(Flickrにあるような) のであれば普通のhtmlベースのサイトのほうがいいのではないかなとも思います。

機能も利用状況の中で考える

機能表だと、「音楽」「動画」という文字になってしまいますが、やはり実際に利用する状況で考えてみると、文字だけではわかりにくい違いを感じることができます。

今回はデスクトップなどのパソコンでしたが、たとえば、モバイルではどうでしょうか?

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はなよりほかに(初回限定盤)
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同時に使うという利用状況から考える

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機能の集合としてとらえるのではなく利用状況で考えてみました。

テレビは自分はあまりにもみなさすぎるんですが、題材にしてみました。もともと、『利用する人と画面の動きは反比例する』で画面の動きが活発だと、眺める状態でないと成り立たないと思ったのはテレビのような動画コンテンツをイメージしていました。

さて、まず自分の利用状況を考えると、同時に使うという利用状態もあるのではと考えました。それは、パソコンとテレビを一台ですますことは可能か?という素朴な疑問からです。

テレビはコンテンツの量がその時に流れている10程度のコンテンツから選択するしかありません。なので、見ない部分がほとんどになります。いわゆる「ながら見」をしたい。というか、つけっぱなしでならオマケ程度で見てもいいかなという感じです。

動画はDVDに近いです。ただし、これも流しっぱなしにしたいときもあります。テレビとの違いは、選択肢が多いことです。

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2009年12月13日 12:31Fujii

強制的に見せても立ち去る

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利用する人と画面の動きは反比例する』の続きです。

フルスクリーンでなにか動かしたりする場合は、フルスクリーンにするのかどうかをまず、選択できるようにします。youtubeの場合も選択可能ですのでそういったイメージです。

常にフルスクリーンであるテレビはつけるとどうなるか予想していますが、ネットの場合は通常の予想は、静的なサイトが出てくることを期待し目的を達成しようとして、クリックするからです。そもそも、動画を見る、動きのあるサイトを使うモード(使う人の動きが少なくなるモード)に入っていない時には、コンテンツの中身は関係なくなってきます。強制的に見せても、あれ、本読んでたらテレビがいきなり付いたというのと近く、テレビを消します。サイトでいうと立ち去ります。

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2009年12月12日 00:29Fujii

利用する人と画面の動きは反比例する

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利用する人と画面の動きは反比例する

画面が動いているときには、利用者の動きが遅くなる。 利用者は、画面が止まっている方が動きやすい。

画面の中で動くものが何かを判断するための時間がかかるから、遅くなる。 積極的に動いているときに、予告もなく強制的に止まらざるをえない動きの画面に遭遇すると引き返す。

ゲームは両方動く

画面が動いて、利用者も動くのはゲーム。

自分が動かないならばいいけれど

これが、「動けばいいのか?」という問題に対する、自分の回答。できたものを評価する際に、自分が動くことで回避しやすくなる。

比較的、組織によっては陥りやすい落とし穴なので、これを避けることのメリットはまだまだ続きそう。

部分的に動いたりどのタイミングで動くのならいいのかについて少し考えたことは、次回。

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2009年12月11日 00:43Fujii

『詩学』を読んで 〜人間は再現を好む〜

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ちょっと希望の持てる意見です。大昔のアリストテレスさんの意見ですが、「人間は再現することが好む」というのは、いい性質なのかなと思います。

悲劇のように自分には起こって欲しくないようなことでも、再現されたものをみるのは好きだったりするというようなことも言っています。

再現すること自体で場に活気がでる

自分自身、再現することで学ぶことがある(『考えるとは、たくさんの方法で再現すること』)と感じています。絵を描くことだったり、使い方をこうなってこうなってと考えることだったりです。

また、その行為自体が人間の興味をひくことであるなら、アクティングアウトや認知的ウォークスルーもとっつきやすいということです。 実際にやってみると、場に活気がでると感じています。黙々となにかやるというモードからすこし変わります。

以前にも描きました(『マンガ(物語)を描く」という手法 』)が、再現するときに物語のようにある主張を強調したり、起承転結の起伏をわざともたせなくて良いという点は異なります。

ペルソナのプロフィールから妄想してしまうのはこっちに寄りすぎた失敗といえます。

妄想よりも、まずは再現

ペルソナ/シナリオ法でいうと、シナリオのほうの「行動」を単なる想像だけではなく、丁寧に再現したり、シミュレーションすることがまず大事だと思います。

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詩学 (岩波文庫)
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2009年12月10日 01:05Fujii

行動を分析する(整理して、小分けにする)

旅先でのインタラクションの話をしていたのでレンタサイクルを例にしてみます。

「なんで?レンタサイクル?画面のデザインの話と関係ないじゃあないか!」と思うかもしれませんが、そうでもありません。

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どんなことをするのか整理して、小分けにすることは、画面をどうするか?画面の演出であるインタラクションをどうするか?に関わってくるからです。

作った後にこの業務システム使いにくい!とか、このサイト使いにくい!とかいうことにならないようにするためには必要になります。

ブランディングの面からだと、リピートするかどうかにも関わる面もあるのかななんて思っています。

なので、一回売るだけを最優先し、あの手この手で財布からお金だけとれればあとは知らない、もしくは自分達じゃなくて、社内の他の人が使うシステムだからどうでもいいという方針であれば、ちょっぴり関係ない話になりそうです。

ところで、実は「画面と関係ないじゃあないか!」というのも一理ありますし、目的を見失わないためにはとても重要です。なので、そう思ったときは、関係ある部分はどこになるか考えて手法自体も(つまり、行動を分析するということだけに絞らずに)分析するようにします。そうすると、『一つのことから多くのことを学び成長する方法』で描いたように、ひとつのインプットで多くのことが得られるかもしれないです。

結果、どのぐらいの単位で小分けにするのが自分にとって役に立つのかも見えてくるのかと思います。

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2009年12月08日 22:50Fujii

インタラクションが多いか少ないか

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インタラクションというものに重ねて

インタラクションというものに重ねて連想してみました。観光地を車で広く浅く眺めてまわるのに近いのがWebサイトの閲覧。

それに対して、狭い範囲を自転車で動きまわったり、裏道を通ったり、時にはBBQしたりするのが、アプリケーションを使うことと似ているのかな。前者がインタラクション(やりとり)が少なめで、後者は多い。

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アプリケーションの場合のインタラクションは、お客さんが舞台に上がってくるぐらい関わるイメージ

実は、IX=インタラクションという言葉を『UI、UX、IXという用語を少し説明』の中で、劇のシナリオと例えました。単なる見た目ではなく、順番だったりが大事なのでそういう表現になりましたが、もうちょっというと少し違います。

劇の場合は、お客さんの心理を考えつつ順番を決めますが、それでもお客さんは座っているだけです。アプリケーションの場合のインタラクションは、お客さんが舞台に上がってくるぐらい関わるイメージです。

目的をもって積極的に操作する時は特にユーザビリティが大事になるのでは?

目的をもって積極的に操作する。その場合、「できる」のか「できない」のかはとても大事です。なので、ユーザビリティという概念ができたのではないかと思います。

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小さな思い出は、あなたのそばに

線が絵に見えてくるときに何が起こっているのか?』の続きです。描いたけど載せてなかったものです。

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『見ている』と思っているものも、それは断片的なもの

自分が普段から『見ている』と思っているものも、それは断片的なもので、自分の頭の中で再構成されている部分が結構あるということを考えました。

UI設計でも、学習という要素がでてきます。一貫性というのもルールを学ぶことと切り離せないことです。

ブランディングは考え中の分野ですが、たとえばマークを見ると連想することがあるので少し近い部分もあります。

このサイトを見ていただいている方とそうでない方

現実に例を挙げると、このサイトを見ていただいている方とそうでない方では、すでに蓄積されているものが違います。

ある日どこかで、このマンガのキャラクターを目にしたときに、見ていただいている方は、いろいろなものが頭に浮かぶと思います。逆に、このサイトを見たことない方ですと、見ても何も思わないか、なんだろう?と思うだけです。

もしかすると、目に入ってこないかもしれません。

では、いろいろなものが頭に浮かぶ方は、どこでそういうことになったのでしょうか?

このサイトはネットの片隅でひっそりやっているので、主にこのサイトだと思います。では、ここでコンタクトポイントの考え方を使ってみます。

接点をどこで持っているのか?例えばほかのサイト経由で見たという思い出。または、どこで知ったのか忘れてしまったけど、気がつけば時々見ていたケースもあります。

ついったーで自分がフォローしている方が言及していた。ネットではなく実際に人から、へんてこなサイトがあるよという噂をきいた。

などなどです。これらの小さな思い出というようなものは、書いているこちらには実はありません。

全部そちら側にあります。へんてこな感覚ですが、多分そうなんだと思います。これは、最初の例のように、このサイトを見たことない方ですと、キャラクターを見ても何も思わないということが如実に物語っています。

ほかのことにもあてはめてみると、なんだか不思議な気分がします。

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2009年12月07日 00:15Fujii

一つのことから多くのことを学び成長する方法

アウトプットすることが大事とはいったいどういう事なのか?

知っておくといい対象の人

  • 成長したい人
  • 成長させることが役割の人

成長の矢印を意識する

実は、成長でも理解でもスキルアップでもいいです。ただ、この矢印を意識することが大事かなと。

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話を聞いただけの状態はこれ

話を聞くだけ、本を読むだけの状態はこれです。また、立場を変えれば、話をきかせるだけ、本を読ませるだけの状態とも言えます。

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人に教えるとこうなります。

インプットしたことを何かしらのアウトプットをした状態です。

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実践してみることでも成長します。

実践というアウトプットとは、一度、インプットしたこと、つまり、きいたこと、読んだこと、見たことを再現してみることです。

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質問や問題に対応することで成長します。

やってみるとうまくいかなかったりすることがでてきます。誰かに質問されることもあります。

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大抵対応するときに新しいインプットが必要です。

忘れていることや、疑問点です。

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対応することが増えるとインプットに敏感になります。

なんだろう?という疑問をいくつか持っていると、関係ありそうなことに敏感になります。

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つまり、アウトプットの形や目的が明確だと・・・

なんだろう?という疑問を持っていること。仮説を持っていること。成果物が明確であると・・・、

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ひとつのインプットでも多くを学べます。

アウトプットの形に応じて、ひとつのことを数種類の切り口で捉えることができるようになります。

skilup_input_output_009.png

この話自体も数種類の切り口で考えてみます。

対話がもたらす効果という切り口では、どうなるのでしょうか?

図では簡略化されていますが、聞くだけでなく対話するということは短時間で矢印のやりとりをしていることにもなります。

何か人に伝える時に大事なことという切り口

何か人に伝える時に大事なことという切り口では、一般的な教えるといわれている形=話すだけ、というのはたいして意味をなしません。

話したあとに、アウトプットをする機会を設けること、さらにアウトプットを明確にすることが大事になりそうです。このアウトプットの中には、「失敗を前提として何度もやるための最初の1回目であるというプロセスの説明」も含まれます。ここは勘違いしやすいかもしれません。勘違いすると、教えているのに元気が無いなーとかいう決め付けになってしまいます。暗黙のうちに失敗が前提となっていることが明確なスポーツは、どんなにおとなしい人でも、練習する際に失敗を恐れてボールを投げないなんてことは絶対にありません。

また、人に教える際にうまくいかないのは、成果物の一つでもあるこのプロセスにすることがそもそも出来ていないか、自分の場合のプロセスのみを前提にして決めつけてしまっていた場合が多い感じがします。

一般的な試験の場合でいうとどうなるか?

一般的な点取りゲームのような答えが決まっている試験というのは、そういう意味では簡単です。テストから解きます。できなくてもテストからです。できなかったところを調べる。またテスト。という感じです。あまりおもしろくはないでしょうけど。必要なことを明確にすると、インプットが敏感になるということだと思います。

ユーザ中心設計的な視点だと

ユーザ調査などのレポートを読むだけでなく、なにかアウトプットする。また、再現してみる。体験してみる。ということが大事な理由にもなってくると思います。

新しい手法の話をきいて鵜呑みにするだけでなく、実際にやってみることなどもそうです。プロセスの途中からでもなにか手をつけてみると、必要なインプットが見えてくるということもそうです。余談ですが、ユーザー中心設計の場合は最上流(ユーザーの使い方を調べるところ)と最下流(作った後にユーザーに使ってもらうところ)は結構近いと思います。

人の話をきいているときも

頭の中で、仮説があったり、普段から疑問に思ってることがあると違います。また、きいたことを自分の言い方で誰かに説明する、そのときにどういう質問がきそうかなど想定しながらきくことによって、単なるインプットではなく、アウトプットをしながらのインプットにすることもできます。

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2009年12月05日 18:44Fujii

言いたくなる言葉

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以前に『言いたいだけでしょ それ』というエントリーで書いた「3種類の言いたくなる言葉」があります。

今回「シニフィアンとシニフィエ」もそうなのではないかということです。

  1. 音がおもしろいこと
  2. 知らない言葉
  3. 言い回しがおもしろい

このなかの、1と2を兼ね備えているのではないかと思った言葉ですね。

この言葉自体が一般的な言葉ではなさそうなので、一般的な人相手にこの言葉を使う時点で自爆行為かなと思います。しかし、それでも使うのはやはり「言いたくなる言葉」だからかもしれません。つまり、「ポコペンポコペンダーレガツツイタ」とか「ぐりとぐら」と一緒です。

というのが本題ですが、この「シニフィアンとシニフィエ」というの言葉に興味は無いんですね。で、内容的には、言葉と意味の関係というのは、色々考えていて『頭の中の辞書』という記事やほかの『海外の人のWeb上のログを見て思ったこと』という記事ですでに書きたいことは書いてしまったので今のところとくにありません。

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ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)
ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

インフォグラフィックスを作ろうと思ったときに最初に考えること

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インフォグラフィックスをつくるぞー!というときのメモです。

前に、インフォグラフィックスってどんなタイプのものがあるのかな?と思って調べたときに考えたことです。あとはワークショップに参加しながら(『インフォグラフィックス・ワークショップ1』、『インフォグラフィックス・ワークショップ1「制作完了まで」』)、こういう要素がいるのかなとか考えたことです。ふと思い出したのでメモ。

簡単にいうと以下の2つのどっちになるかまず考えると良いと思いました。
  • 数字のデータを元にしているもの
  • 図解や構造を示すもの

数字のデータを元にしているもの

グラフを擬人化したりして、強調したものが多いのでそう思いました。最終的にはグラフィックの要素があるのだけれど、比率などのもとになる数字が無ければいけないと感じました。基本的には数字のデータをイメージしやすくするタイプです。

図解や構造を示すもの

数字が無いインフォグラフィックスは、図解や構造を示すものですね。こちらは数字は必要ないタイプです。アイコンとかはどっちかというとこちらでしょうか。

インフォグラフィックスを作る目的とは?

大きくは以下の2つです。

  • 気づきを与える
  • できるようにする

気づきを与える

例えば、グラフがどういうことなのか気づくようなインフォグラフィックスがそうです。どちらかというとメッセージを強調しているので主張に近いですね。

できるようにする

本来は、気づきの先にコレがあるので、目的はたった一つではないかと思います。言語の通じない相手に、道を説明するときに描いた絵がインフォグラフィックスです。その絵を見て相手がその場所にいくことができるようになる。こういった要素がなければ、ほかの絵とあまり差がなくなってしまいそうです。

とはいえ、すぐにできるようになる情報と、基礎として溜め込む情報があるのかなと思い、気づきというのは分けてみました。

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2009年12月03日 23:33Fujii

海外の人のWeb上のログを見て思ったこと

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題名どおり、海外の人のWeb上のログを見て思ったことです。

言語に依存しているか?という軸でWebサービスを比較してみました。言語が違うときには顕著ですが、同じ日本人でも、相手の話す言葉がわからなければ、通じないのは一緒ですね。

言葉を知らなくても、その言葉が意味するものは写真をみればわかる

写真のほうが、読めない文字よりもよくわかります。例えば、「apple」という字が読めなければ、それが意味しているりんごを理解できません。それならば、りんごの写真がでてきたほうがわかります。

「apple」や「りんご」という言葉を知らなくても、その言葉が意味するものは写真をみればわかります。

言葉とは、勝手にそう呼んでるだけ

もともと、赤い実を「apple」というのか「りんご」というのかは、決まっていません。つまり「これはappleだと言われても、そっちではそうかもしれないけど、勝手にそう呼んでるだけでしょ。こっちではりんごだよ」という世界です。なので、言葉が意味する内容を共有すれば言葉を理解する必要はなくなるということです。

表現する言葉というものと、言葉が意味する内容というものがあります。

写真が意味するもの

さて、確かにそうなんですが、りんごの写真もまた、何かを意味しているともいえます。つい言葉と写真は、正反対で言葉が表現方法で、写真が言葉に意味されているそのものと思いがちですが、実は違う面があります。言葉も写真も、どちらも表現方法で、意味するものは別であることだってあります。

もし、ビルゲイツの手にりんごが載ってたら、そのりんごはapple社を意味しているかもしれません。

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言いたいだけでしょ それ

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今興味のあることのひとつですね、「言いたい」ということ。

本来言葉は、相手と自分の共通のルールを元にして話します。言葉とはそういうものですが、相手がわからない言葉、つまりコミュニケーションという意味では機能しないはずの言葉を使いたいという欲求はおもしろいですね。

3種類あって、「音がおもしろいこと」と「知らない言葉」、「言い回しがおもしろい」などです。

パンチラインとかそういう類のこともはいります。

「知った振りしろ特殊な技能アーイ!」などもそうですね。

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