2009年10月31日 12:52Fujii

人間は、向こう側の人間を感じとっている

20091029.jpg

人間は、物の向こう側の人間を感じとっている

「向こう側の人間」という意味は、こんなことです。

  • 人間に見立てる
  • 作った人の意図を感じる
  • 景色を見ている人間を想像する

例えば、壊れた自動車と新品の自動車が並んでいる一枚の写真を見ると、自然にこれらを感じ取ります。

人間に見立てる

若者と老人。怪我をしている人としていない人。そのような擬人化をします。全く同じ車であれば、時間の経過、歴史を感じ、そこに人間の人生を重ね合わせます。人が年を重ねることを感じます。

作った人の意図を感じる

次に、その車を作った人の意図を感じます。時間がたって、壊れた部分壊れなかった部分を見て感じます。どういった価値観で作ったのか?を感じます。そのときの時代も感じます。

景色を見ている人間を想像する

また、その作られたものが見える景色と景色を見ている人間を感じます。この場合カメラマンと、その場にいるであろう人の両方です。なぜ写真におさめたのか?なぜその対象を見ているのか?を感じます。

このサイト内の関連記事:

2009年10月29日 22:31Fujii

Webアプリケーションや業務アプリケーションとメディア型Webサイトの異なる点とそれぞれのユーザビリティ

20091028.jpg

である調で、今までのまとめメモであーる。

ユーザビリティとは

ユーザビリティとは、諸説あるが、
「ある「限定」された人の要求を実現するという状況での使いやすさ」
とする。

つきつめると、単純に人が変われば「使いやすさ」は変わるからである。
熟練者にとっての使いやすさと初心者にとっての使いやすさは違うし、求めるものが異なる人同士でも「使いやすさ」は違う。
同じ人でも、目的が変われば違ってくるのである。
参考:デザインをインフォグラフィックで図解

Webアプリケーションや業務アプリケーションとメディア型Webサイトの違い

アプリケーションは操作が複雑。
操作が複雑なので、操作性をあげると質が上がる。
使う目的もはっきりしている。
メディア型Webサイトは操作が単純
操作が単純なので、現在は定型化されている。
満足度は、必要な内容があるかどうか?のほうが関係する。

※定型化とは、ナビゲーションのラベルがリンク先の見出しとあっているのか?など基本的でチェックできる点が達成されているものを指す。

『ある「限定」された〜』とは何を表すのか?

限定された条件が変われば使いやすいかどうかが変わるということ。
では、その点についてアプリケーションとメディア型Webサイトの違いは、なんだろうか?

それは、メディア型Webサイトは、比較的アプリケーションにくらべて誰がいつどんな目的で使うのか?があいまいな点だ。正確に言うと「知るために使う」というのははっきりしていて、「何を」のほうが大事になってきているということだ。

なので、まずは限定された条件を、想定することが必要になる。

その理由は、必要な内容とそのサイトがあっていないと思われればそのサイトからすぐに立ち去るので操作性の面でのユーザビリティは、問題になる段階までいかない。
操作性が問題になるのは、「使ってみようと思ったけれどうまくいかない」という段階になってから。
とはいえ、操作性については定型化されているので、必要な内容を調べた後はその見せ方と順番(順番をつけるということは優先順位をつけるということ)をどうしたらいいか調べることが大事になってくる。

まとめると次の2点が大事になってくる

  • 操作性の面では、定型化されたWebサイトになっているか?
  • 誰にどんな目的で使われるものかはっきりしているか?

実際にはどうすればいいのか?

「操作性の面では、定型化されたWebサイトになっているか?」については、ガイドライン的にチェックすることができる。

もちろん誰にどんな目的で使われるものかはっきりしているか?がなければチェックできないところもある。なので、そういったあいまいな部分よりもごく基本的な部分のみをチェックすることになる。
もしくは、条件付になるだろう。
しかし「○○という使い方をするならば」という条件においての○×になる上、想定する条件が際限なく出てくるので踏み込まない。

「誰にどんな目的で使われるものかはっきりしているか?」のほうは、仮説を立てる以外にはない。はっきりとこう使われているというのがわかっていれば、最初からその使い方を想定すればいいだけだからだ。
では、仮説を立てるのはどうすればいいのか?

もちろんすべて今までの経験から頭で考えても良い。
天才はそれをやる。

天才以外の人が仮説作りをしたいときにやることをプロセスとしてきっちりやろうというのが近年のデザイン思考というものだ。

そのプロセスのひとつとしては、大まかにあたりをつけて、文脈的なインタビューをすること。
参考:Aさんの携帯電話の使い方

利用されていないという実態も明らかになる可能性がある。おおまかにつけたあたりが外れると利用している人ではないこともある。
その時はサイトとの接点自体をどのように作るのか?というテーマになるのでWebサイトを変えても変わらない。

コンタクトポイントの中にWebサイトがはいっていないので、各コンタクトポイントの中でのWebの役割はどんなものかを考えることになる。

参考:各コンタクトポイントごとに役割を考える

文脈的インタビューの目的

現実の人と接することで仮説をリアルにすること。
実際には間違った仮説を作ってしまう可能性もあるので、正しいというよりも新しい仮説を発想することが目的になる。

身近な人の観察

文脈的インタビューであたりが外れることもあるということは、現実の人がサイトに接するところに立ち会うことがいかに貴重かを物語っている。
身の周りで立ち会える状況があったら、かかさず観察することが重要になる。
参考:父と母が休日に利用できる郵便局を探すときの使い方を行動観察

「マンガ(物語)を描く」という手法

20091027.jpg

「マンガ(物語)を描く」という手法

マンガ(物語)を描くといっても、条件は二つ。

  • 現代を舞台に
  • おもしろい起承転結はいらない

例えば、ある人が何かをしているところを頭の中で想像する。

どんな人か?服装は?なぜそういう服装なのか?どこへ向かっているのか?
そのときに手に持っているものは何か?もしくは何かをデザインしたものがあれば、どう持たれているか?どんな操作をして、どんな顔して、どんな会話がなされているか?人間関係はどうだろうか?何か起こったら、その人はどんな反応をしているのか?表情は?体勢は?

喋るタイミングは?声のトーンは?間は?

そういうことを頭の中だけで想像する。

そういう手法。

大抵は思い浮かばないところばかり。もしくは、自分が見たり、経験したことしかうまく想像できない。
その後に、街中で人に会う。色んな経験をする。関係しそうなことを気にしながら。

そして2回目、想像すると、その分だけリアルになる。

そういう手法。

言い方を替えれば、前半が仮説、後半がリサーチ。
見えない部分を確かめようとすると、時々問い詰めているように受け取られることがあるけれど、映像で再現しようとしているとそんなに確かめている情報量は多くない。問い詰めているようになってしまうのは、言葉の情報とビジュアルの情報の種類の違いがでてくるのかも。

そういう時は一緒に物語をつくるのが良さそう。

とはいっても絵にするのは大変なので、頭の中だけでも良い物語をつくろう。

このサイト内の関連記事:

2009年10月27日 22:31Fujii

『プログラマーのジレンマ 夢と現実の狭間』を読んで 〜一体、何を作っている?〜

20091026.jpg

先日書いた『1人でやることは強い』という話は、小さなサイトの運営をイメージしていたんですが、プログラミングにおいてもそうかもしれません。

ただ、この本はプログラミングの問題というよりも、プロジェクトの問題を主に扱っています。

以前に「パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!―複雑さに別れを告げ、“情報アプライアンス”へ 」という本で「人月の神話」という本の引用がありました。

実際に元の本を読んでいないので、二重の引用になってしまいますが、こう書いてありました。

問題に対して多くの人々を投入することは事態を一層悪くするだけで、改善することにはならない。『人月の神話』という有名な本の中で、フレッド・ブルックスは、問題に多くの人を投入すればするほど一層ことが難しくなる、と説得的に述べている。この本は広く引用されているが、こんな風に始まる。「もし一人のプログラマーがプログラムを一ヵ月で書けるとしたら、二人のプログラマーでは完成させるのにどのくらいかかるか?答は二ヵ月」。なぜか?同じものに二人以上の人間がかかわるや否や、彼らの仕事が矛盾しないように調整し、作業遂行の枠組み、考え方、個々が作っている異なるコンポーネントが互いにやりとりできるようにする方法について意見を一致させなければならないからである。
『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!―複雑さに別れを告げ、“情報アプライアンス”へ』より

今回の本の帯の「人月の神話」というキーワードで手にとってみたものの、中にでてくるのはそのままの混乱した状態ではなく、「人月の神話」を知っている人もいます。それでも混迷するのですが。

話を戻すと、単純に物を運ぶ作業を大人数で手分けしてやることとは全く違うということを意味しています。

プログラマーの方ならば、すぐにわかるのかもしれませんが、自分は「シナリオ」に例えて消化してみました。

シナリオを手分けして二人で書けば、短い時間で終わるかというとそうではありません。シーンの整合性や意味がなければめちゃくちゃになってしまいます。

人が入れ替わり立ち代りかわっていけば、変わるたびに、この物語はどんな話か確認しないといけませんので、時間がかかるのもなんとなくイメージできます。

以前にも書いたと思いますが、小学生のときに、クラス全員で交代で物語を続けていくということをしましたが、それはもうカオスでした(笑)。(『ストーリーテリング〜「本当に予測できないもの」は居心地の悪さを感じる〜』)

ましてや、おもしろさと、一定の量の文章を書くことはつながりません。短くすればいいこともあります。そういった点では少し似ているのかもしれません。

これは一体どういうことなのでしょうか?

シナリオを書くことは手分けはできませんが、できた文章をそのまま写本するのであれば、手分けすればしただけ早く終わります。
この、2種類の作業の違いがわかっていないと計画がめちゃくちゃになってしまうのかもしれません。

ちなみに、自分は以前読ませていただいたこちらの方の記事がとても参考になりました。

製造というのは"設計書に従って製品を作る行程"です。設計はデザインと訳されますから、デザインの成果物が設計書なわけです。では、ソフトウェア開発やその他の知的生産活動において"設計書をもとに作る"という行為は製造なのでしょうか?それは明確に違います。
モノづくりと製造は違う』arclamp.jp アークランプ

皆さんにとっては当たり前なのかもしれませんが、うまく説明できずにもやもやしていた自分にとっては、こんな明快な説明のしかたがあったのか!とちょっと衝撃でした。

さらに、終わりのほうで、

同じようにウェブデザインの「制作」も、若干、誤解を招く用法です。HTMLを書く技術は、本当に高度で、CSSとXHTMLで美しく作られた文書は再利用性やメンテナンス性の面ですばらしい効果を生みます。これはデザイン行為そのものです。 『モノづくりと製造は違う』arclamp.jp アークランプ
とも書いてあるので、プログラマーでない方も一読すると良いかもしれません。自分が説明するよりもずっとわかりやすいので。

自分達は一体何をつくっているのか?という結構深いテーマなのかな?と感じています。なぜかと言うと、本の話に戻りますが、このプロジェクトの中でもシリコンバレーのプロ集団なはずの人たちの口から「時間が足りないので人員を増やそう」という話がでてくるのです。なので、プログラミングの話というよりも人間の独特の動きに興味をひかれました。

色々と書きましたが、そのほかにもプロジェクトの資金源がちょっと特殊だったりしますし、来る人去る人の色んな人間模様が楽しめました。

アジャイル手法とかの話題も少し出てきますよ。

関連書籍:

プログラマーのジレンマ 夢と現実の狭間
プログラマーのジレンマ 夢と現実の狭間

パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!―複雑さに別れを告げ、“情報アプライアンス”へ
パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!―複雑さに別れを告げ、“情報アプライアンス”へ

このサイト内の関連記事:

2009年10月26日 23:27Fujii

わかった結果だけを説明しても相手はわからない

20091024.jpg

20091025.jpg

段階を踏んでわかってもらうことを最初から計画しておく

自分が何かをわかったとします。その後に誰かに説明をするときにうまくいかないことがあります。
また、一度に説明されて、ついていけないこともあります。
話していて、説明がわかりやすいなと思うときもあります。

とはいっても、人だけでなく本が相手だったりもします。
マンガの中ではガイドブックを見ていて思いました。

そんなことを考えていたときのメモ。

わかった結果だけを説明しても相手はわからない。

わかった結果だけを説明しても相手はわからない。
そんなときは、自分がわかったときのプロセスを思い出すようにする。

自分がわかったのもそのプロセスを経たから。
だから、結果だけ説明してわかってもらおうとはせずに、段階を踏んでわかってもらうことを最初から計画しておく。

遠回りなようで実はわかってもらうためには近道

物語も最後のシーンだけ説明されてもわからない。
シーンの連続を見ることで、蓄積されていくものがある。

複雑な人物相関図は一度では覚えられないけれど、段階を踏んで、徐々に付け足されていくと知らないうちに頭にはいる。
結果だけ見せて説明するよりも、遠回りなようで実はわかってもらうためには近道だったりする。

もちろん、自分がたどった道をそのままではなく、要点を抜き出さないといけない。
絶対に勘違いしてはいけないのは、結果と関係のないプロセスなのに、関係があると思い込んでしまうのは良くない。
(いわゆる、「赤い服を着ていると足がはやくなる」と言うようなこと。)

一枚絵のインフォグラフィックスではできないこと

インフォグラフィックスにも一枚で説明するものもあれば、そうでないものもあります。
時系列や、レイヤーを組み合わせることで説明するものや、動画でのインフォグラフィックスもあります。
この表現のアドバンテージは、段階を追って「大体」に「詳細」を付け加えることで理解するスピードを上げることができると言うことだと思います。

絵として比べると、段階を追ったものは、同じ絵のコピーにちょこっと何かを付け加えた複数の絵になり、無駄が多く感じますが、「理解」という意味では一枚絵ではできないことができますので、無駄にはなりません。そういったものの評価は「理解」できるか?の尺度で見たほうが間違いが少なくなります。

具体的には、アニメの絵を一枚づつみてもあまり変化が無いからわからないのと同じです。あれは、連続してみることを念頭に作られていますよね。

そういえば、以前に、このマンガを描いているところを動画で載せました。こちら→『「生活の中で」を実感する
連続してみることと、完成形のものを見ることで感じ方が違うのはこの動画でもちょっぴりわかるかも。

このサイト内の関連記事:

2009年10月22日 00:06Fujii

もう一度ペーパープロトタイプをつくる

ペーパープロトタイプの次にやること』の続き。
再度ペーパープロトタイプ。

最初のプロトタイプより画面遷移を入れています。

20091022.jpg

今回は、アプリよりに振り切ってのペーパープロトタイプ。

とはいっても、ザ・UIというようなものはそれっぽくみえてしまうけれど、ダメな時はダメ。
機能主義と同じで、ザ・UI主義に陥らず、全体を見て、普通の縦長のレイアウトで、写真をきれいに撮ったらOKならばそっちを選ぶ。

ワイヤーフレームではよく□(矩形)に×で写真を表すけれど、その写真の中身が大事なときは表現しきれない気がします。
もちろんああいったものは、省略したコミュニケーションツールなので、関わる人が、頭の中で写真の中身まで再現できる場合は問題なさそうです。

このサイト内の関連記事:

2009年10月20日 23:06Fujii

1人でやることは強い

コンタクト・ポイントを簡単にイメージしてみる

こんな感じかと思います。

20091021.jpg

1人だと楽そう

Webサイトにしろコンタクト・ポイントの管理にしろ一人でやるほうが楽だなーと思うことがあります。
どのあたりが楽なのかリストアップ。

  • 承認プロセスが無い
  • やることが一元管理できるので統一感が出る
  • 全プロセスから判断して最適化ができる

以下、ちょっと詳しく。

承認プロセスが無い

複数の人数が関わる場合、いわゆる権限の問題になります。
同じことをやる場合、スピードは1人でやる場合と比べて必ず負けてしまいます。

やることが一元管理できるので統一感が出る

方針も関係者ごとにばらばらの意見を無理に取り入れると、カレーの中にラーメン入れてお刺身いれて、辛くして、砂糖入れて、ヨーグルトいれて鉄板で焼かなくてはいけなくなります。

全プロセスから判断して最適化ができる

Web制作する人が、普段は普通のサイトを作っていても、個人ではブログを使うのはなぜでしょうか?
答えは楽だからです。コンテンツをつくり更新する、それらの管理、すべて自分です。凝ったレイアウトもしません。
自分で行うことになり、やってみると更新がままならなくなったりするからです。
このように、ひとつの側面だけでなく、こっちを動かしたらこうなるということがわかるので最適化されます。

対抗策はあるの?

さてさて、単に人を増やすのでは、効率が落ちていき、ますます勝てそうもありません。
勝つためにはどうしたらいいんでしょうね?

コンタクトポイントごとに特徴があるので混同しないようにする、と同時に重なる部分はどこか考える

20091019.jpg

UCDなどが関わるのはどのコンタクトポイントなのか?そんなことを考えるためには、ほかのコンタクトポイントとどのあたりが違うのかを整理しておくと良いと思って考えています。

考えたところ、世界観、コンセプトは書籍と重なるところはあります。また、取材して記事にするという面も。

ただそこの部分と、Webを顧客がどう使うかというのは別で、おのずと役割が変わってくるので混同するとずれてくるのではないかと思います。

顧客が目標があれば、ユーザ中心設計とかそういうものの視点の出番になると思います。

自分自身「ユーザ中心」と「人間中心」という言葉では「人間中心」のほうが広いと感じているので、一応ここではユーザ中心と言う言葉にしてみました。

「女子」×「登山・アウトドア・おでかけ」=東京近郊ミニハイク

マンガの中で紹介した本はこちら。決して情報が少ないわけではないのですが、大事にするポイントを絞ってきている感じです。気軽さや、街に出かけるような視点で山を捉えている感じです。

DVC00027.JPG

大きさを表すのには携帯電話が良さそうだったんですが、携帯電話のカメラを使ってしまいましたのでスライムを置いてみます。

DVC00028.JPG

「女子」×「小旅行」=ことりっぷ

こちらも、旅行の扱い方がおもしろいですね。

DVC00026.JPG

まわしものみたいですが、よくみるとどちらも同じ昭文社さんでした。

DVC00029.JPG

二つともamazonに載っている情報だと「17.8 x 15.2 x 1.2 cm」だそうです。ミニサイズ。

旅行も登山も昔からあるけれど、伝える人によって変わるのでは?

さて、世界観はどこから来るのか?ということです。

こんな風に考えました。やはり人なのかなと。

一つ目の「東京近郊ミニハイク」は、山登りやハイキングの楽しさを、初心者の女性に向けて、山登りに詳しい女性が、手紙を送るとしたらこうなるのでは?と捉えました。

そして、さらに手紙を送る側の世界観が現れているのかもと思うと少しすっきりします。

だから、いわゆる50代とか(年齢に関係なくですが)体育会系の登山の世界観、または「山登りとは!健康、自然とのふれあい!」という世界観を持っている人などが手紙を書くものと違いがでるのではないかと思います。

世界観があってもコンタクトポイントの役割をしっかりまず考えないと落とし穴に落ちる

世界観という点に注目しましたが、ただ、ポイントなのはやはり、コンタクトポイントごとの役割があるということだと思いました。「世界観」以前の「役割」があって、まずはそこを考えなければ、すべて広告のようになってしまうという落とし穴に落ちてしまう気がします。

関連書籍:

東京近郊ミニハイク
東京近郊ミニハイク

京都さんぽ (ことりっぷ)
京都さんぽ (ことりっぷ)

2009年10月18日 22:51Fujii

各コンタクトポイントごとに役割を考える

20091018.jpg

役割をざっくりと捉えておくことで、ずれがなくなる

想定としては、自分で何か計画を立てたり、自分がやってることをうまく捉えたいと考えるときに良さそうです。
クライアントへの提案以前に、自分で落とし穴にはまらないようにするためのチェックです。

表を作って戦略を立てて、どうするとかではなく、この表のイメージを持ってることが良いのかなと思いました。
前回と同様に、例えば、Webサイトでやりたいことを考える前に、役割をざっくりと捉えておくことで、ずれがなくなるかと思いました。

例えば本の例では、見込み客が「特徴を知る」というところにWebサイトのチェックがつけられています。
この場合は、特徴を知るという部分がまずできるようになっているか?実現できているか?を考えるということ。

表のイメージを持つことで役割を確認できることはメリット

感じたことは、よくある雑誌とWebの混同を予防しやすいかもということ。
例えば、役割がはっきりしていることで、その役割が達成されていないのに、雑誌のようなレイアウトというのは、やる意味がないことがわかる。
ブログなどでわかるように、更新することや、運営すること、データをアーカイブすること等が先にくる。

とはいえこの表の場合でも役割を考える際には、実際のユーザがどのようにWebというコンタクトポイントと接しているかをよく考えることがなければ役割自体がずれてしまうかもしれません。

「Webでブランディングするために、ほかのどんなことよりも優先してかっこいいサイトを作る!!」というのはちょっとずれている気がします。なので、この表を使ってもWebの役割をそうしてしまうとあまり意味がないかもしれません。なので、行動に目を向けるという点ありきかと思いました。
とはいえ、カッコイイサイトを作るということが顧客の目標と整合性があるのか?というチェックすべき項目が思い浮かびそうなのでそれでも、表のイメージを持つことは大事かも。

このあたりの表を見ていて、例えば雑誌とWebとの混同、「ブランディングのためにOK」というような面との混同について整理できる気もしてきたので次回。

関連書籍:

「ブランド価値を高める コンタクト・ポイント戦略」を読んで

20091016.jpg

20091017.jpg

なぜ、ブランドの本が出てくるのか?

「ユーザビリティ」の担当領域を確認するために「ブランド」や「マーケティング」の本を読んでみようと思い、ちょっと前から読んでいました。
とはいっても単純な興味からという面も大いにあります。

もともと「ある領域を知るためには、その領域だけではなく、その外側にどんな領域があるかを知らなければ、領域の位置づけがわからなくなる」と思っています。
これは、人間中心設計の本を読む過程でも強くなりました。

例えば、何かを作るというときに、自分達が作っている物だけを、近視眼的にみて、その範囲で悩んだりしても、元々その扱っている物が、どんな位置づけなのかに注目しなければ、絶対に見えてこない点がたくさんあると思います。中を探求すると同時に、外にも目を向ける。
これは、中と外がどういう関係なのかにも目を向けるということになり、とても重要です。

読書では、新しい領域の話は戦いでもある

今回は「ブランド」という言葉です。今までだと、「ペルソナ」とか「ユーザー」とかになります。
何かというと、知らなかったり、自分の中でうまく説明ができない言葉に呑まれそうになることがあります。

今回の本は、「ブランド戦略」とか「ブランド・イメージ」とか「ブランド・アイデンティティ」とか「ブランド」という言葉がたくさん出てきます。
新しい領域なので気がつくと、よくわからないのに、その言葉を使ってしまいそうになることと戦いながら読むことになります。

当たり前のようにでてくる「ブランド」って何?ということ。
そして、「ブランド」という言葉は必要なの?戦略やアイデンティティやイメージでもよかったりしないのか?
○○戦略、○○イメージ、○○アイデンティティと売り出したかったり、その著者の領域の言葉が単純に○○にはいっているだけではないのか?ということを考えつつ読みました。

宿題のようなものですね。自分がうまく整理することができるように忘れないようにしておくという感じです。
自分の中では、このことは実は、図解のようなインフォグラフィックを作るときにつながっています。

言葉は、何かをまとめて(=パッケージして)新たな視点を提供する強力な面と、まとめることで、時々その中身がなんだったのか忘れてしまうという両面がありますね。

Webサイトは「コンタクト・ポイント」のひとつ

中身の話。

コンタクト・ポイントというのは、人間中心設計になんか似てるなと思っていたので興味をもちました。
ただ、ユーザーではない状態(使ってない人)の人間も含まれているので、いいんじゃないかと感じました。

今のところ、「ブランド」というとつかみどころがなく、「ブランド力を高めるためにごにょごにょ」という変な落としどころにつながってしまいそうなので、プランニングのヒントとして考えています。
そういう点に注意すれば、例えばWebサイトをざっくりと捉えるときにも、Webサイトはコンタクトポイント(=お客さんとの接点)のひとつであると考えることも容易です。

実は最初の話とつながって、Webサイトを考えるときに、Webサイトだけを見て悩んでも、どんな位置づけにあるのかにも目を向けることをしなければ、絶対に見えてこないこともあるということとちょっと関係します。

このサイト内の関連記事:

関連書籍:

2009年10月16日 00:44Fujii

クチコミはバックグラウンドとセットで!

20091003.jpg

クチコミで「同じものを観て、違うことを言う人がたくさんいる」これはどういうことかというと、それだけ背景やバックグラウンドが異なる人がたくさん見たということです。
バックグラウンドには、直前の期待のハードルの高さも入りますし、映画を見た数も関係します。また、映画にその人が生きてきた中で、似たようなことがあるとか、日々の生活の中での経験という長期的なことも関係します。それは最近のことか、真っ只中のことか、遠い過去のことなのかも関係します。

そもそも、実は主人公に自分を投影するのが映画の見方ではないこともあります。共感もする必要は無いということもあります。これは、ドキュメンタリー的にそこからかもし出される情報を見に行くこともあります。見方もまた人それぞれ多様です。

例えば、具体的には、登場人物に関して「主人公が勝手で共感ができなかった」という方もいれば、自分の場合は、「自分の子どもの頃を思い出すと分別ないから残酷だった」と思っていると、「高校生ならこのくらいが妙にリアル」とか思ってしまったりと色々見るポイントが異なります。

でも、感想を言い合ったりするのは昔からあると思いますが、ひとつは自分と同じ感想を分かち合いたいという気持ちと、人はどう観たか?という人々のバックグラウンドの多様性を無意識のうちに感じたい習性があるのかもしれません。「言いたい」という衝動ってなんでしょうね。もちょっと良く考えるとおもしろそうです。

多様性といってもクチコミに関しては、大多数の言葉にはならない多くの感想の存在もありますのでクチコミしている人自体が少数派の場合も多々あり。→『イベントの講演とtwitterの関係をインフォグラフィックで図解

色々書きましたが、書いているうちに、「思い出効果」というのはありそうだと思いました。
人間の習性として、思い出したいということが確実にある。
楽しかったこと、また乗り越えてしまえばつらかったことでも思い出したいという状態があります。これは、語ることと関係がでてくるのでおもしろそうです。

はい、物を語る。
つまり「物語」につながりそうなので。

このサイト内の関連記事:

2009年10月14日 21:56Fujii

同じもの見ているのに、同じものが見えない

20091002.jpg

これは、視点の違いということの延長ですので特に今更いうことでもありませんが、ひとつの事象もいろんな場面でひょっこりと顔を出すと違ったものに見えて認識できなくなることもあります。
例えば、人によって視点が違うとユーザビリティの世界の話ではそう思っていても、映画の感想が違うとなぜだろうと思ってしまったりというようにです。

映画を見て楽しむときは、俯瞰して見ないで、主観でおもしろい!!!!と感じることが必要です。

職業的に気になるところが見えてしまうという現象からは、見えているのは自分の職業の部分だから、そこだけが変なわけではないよねということを忘れないでおくことが大事かなと思います。
それと、ある意味そういった目に付いてしまうということは、自分が変化すると見えるものが自然に変わるといったことでもあります。ユーザを目の当たりにするとか、体験してみるとかが大事なのは、まさに自分が変化すると、イヤでも目に見えるものが変わるからなんだと思います。ある意味便利。

マンガの中で、見れば見るほどおもしろいと思えることは減るかもしれないと書いたけど、ストーリーや展開に関してではないところは、自分が年齢を重ねたり体験を重ねれば、見えていた部分が見えなくなり、見えなかった部分が見えるようになるかもしれない!

例えば、単純に年齢や立場の近いキャラクターに共感するようになるとか。

このサイト内の関連記事:

期待のハードルが低い状態で映画を見たほうが人生幸せ

20091001.jpg

ちなみに、ジブリ映画も好きです。
ポニョはそこはかとなくというか前面に漂う死(と生)の匂いと物語のぶっ壊れ具合がなかなかすごかったです。

期待のハードルが低い状態で映画を見たほうが人生幸せだと思いますが、人間の性で、見終わったら勢いでおもしろいよーと言ってしまうんですね。自分は見終わったからいいんですが、相手のことを考えると不幸なことをしている気もします。が、映画をやってる人にとっては、見てくれて賛否両論巻き起こってくれるほうがありがたいので、やはり素直におもしろかったというのが良いのかもしれません。

映画はわけもわからず連れて行かれるのが一番ハードルが低くおもしろくみれるのでいいですね。

情報デザインの最たる?ものかもしれません。期待とのギャップというのは。

2009年10月12日 16:01Fujii

改めて「コンテキスト」って何?

20090923.jpg

改めて「コンテキスト」って何?

気になっていた記事があるけれど、どう書こうか考えていたもののひとつが以下の記事です。
詳しくは記事を読んでもらいたいのですが、コンテキストは「利用状況」以外にも色々あるという話ですが、

そういうケースでは、むしろマーケティングコミュニケーションに役立てるために、会話のコンテキスト、社会のなかでの噂というコンテキストで、コミュニケーションのデザインを考えたほうがよいと思っています。
コトバとモノ』DESIGN IT! w/LOVE
と書いてあります。

「話題」ということは記事の最初のほうに一回書いてあっただけなので、自分が記憶するときに勝手にまとめた部分が頭に残っていたようですが、「話題」というキーワードで「コンテキスト」という言葉を考えてみようと思ったきっかけをもらった記事です。

コンテキストという言葉を、自分は「状況(シチュエーション)」「背景(バックグラウンド)」と勝手に訳して考えるようにしていましたが、何の状況・背景なのか?というのも少し考えてみたいところです。「利用」なのか「話題になる」なのかとか。
自分の中で、コンテキストという言葉だけで話を進めてはイマイチ役に立たない感じがするので。

今もまた「話題」の中

ということで、今回の記事も話題がありますので、「サマーウォーズ」とか「時をかける少女」とかが、登場していることになります。
マンガの中での自分のように、これを読んだ人もまた、ああ、なんかこのあいだどこかのマンガブログで話題になっていたなーということになります。

次に、引用した棚橋さんのブログに関しても、「関係しているという記事はどんな内容だろう?」と思うかもしれません。このブログで「話題」にしたからです。
自分としては前からひっかかっていたのですが、なぜ今「話題」にしているのかという理由は、ようやく書く状況が整ったからです。それは、自分の考えの中で、どの位置をその引用が占めるのかであったり、具体的な体験も含めひとつのテーマとして引用しながらも、記事としてアウトプットできるタイミングになったということになります。

そういったどういう話の流れなのかという前後関係も話題に関係する「状況」の要素のひとつになります。

ツール(正確にはアウトプットの型)によっても「話題」にするタイムラグが違う

もちろん書くツールや記事の更新スタイルによってはもっとタイムラグが無く「話題」にしていたかもしれません。例えばtwitterであれば、「何か気になる」と一言だけつけてリンクを貼るとかです。ブログでもできますが、ある程度アウトプットのフォーマットがツールや記事の更新スタイルによって型があるので差が出てくるのだと思います。

ちなみに、長い記事か短い記事かだけでインパクトが変わるかというわけではありませんよね。
近所の小さな悪ガキが道端で「核爆弾発射!」というのと、一国の大統領が国連の会議で「核爆弾発射!」というのではまったくインパクトが変わります。

誰がどこで言うかも話題に関係する「状況」のひとつ。

※関係ないですが、何か記事に追記したときはtwitterでお知らせ中(地味に手動で)

ブログを書きながら考えたこと
  • 汎用的な話と正反対で、役に立たなさそうな個別の話でも意外と具体的で、汎用的な話の説明と相性がいいかも

関連情報:

このサイト内の関連記事:

2009年10月08日 22:36Fujii

ぽけ〜っと自動販売機からジュースが出てくるのを待ってるような感覚だと、たいしたことは得られない

20090919.jpg

レポートでもいいんですが、自分でやって得られるものと別物という表現が正しいです。
レポートにしても、自分でまとめるか、まとめられたものを読むのかでも違います。(『「体験」を伝える(受け取る)ために「文書」以外にも方法はないのか?』)

実際にはレポートを読むだけしかできないこともあるとおもいます。良くまとめられているレポートであれば、全体像をつかむためにはとても役に立ちます。
なので、核はレポートという手法ではなく、「自分で考える」かどうかです。

極端な話、レポートではなく自分でインタビューしても、うまくいかないこともあるでしょう。

例えるなら、ぽけ〜っと自動販売機からジュースが出てくるのを待ってるような感覚だと、たいしたことは得られないのではないでしょうか。
(もちろんインタビュー自体で、無理に答えを誘導するとかそういうレベルの話ではないです)
逆に、レポートでも、想像をめぐらして考えながら読むのであればまた変わってくると思いますし、自分でやるときの参考にする資料として使ってみるという意味では効果がありそうです。

うまく表現できてませんが、人間自身が持っているものを忘れて、全部外部の手法任せにしてぽけ〜っと待つのはよくないのかなと。

気をつけること
  • ぽちゃーんと頭の中に自分から入れるようにする(自分でやってみる、能動的にやる)
  • ぽちゃーんと頭の中にはいるような方法を採る(ユーザを見ないよりはユーザを見るという方法、考えるだけよりは、アウトプットしてみるとか)
  • 人によって蓄積しているものが違うので、いろんな人の頭にぽちゃーんとしてみると自分と違うものがでてくる
  • 最初ぼけ〜っとする>次は真似してみる>自分で考える というように計画的にぼけ〜っとするを使う

このサイト内の関連記事:

2009年10月07日 22:31Fujii

僕もあなたも満たされたコップのように、何かのきっかけであふれ出してくる

20090918.jpg

人間が持つパワー

実際の人間が持つパワーがでてきます。
台本では見逃している点も、人間が演じてみることで、会話のほころびも見えてきます。

特に、役者は自分の役はどんな人なのか?ということを考えますし、その演じる役の視点に集中できます。
台本を書く人は、登場する人物それぞれのことを考えて、どんなやり取りになるのかを考えなくてはいけません。

台本を書くときに、書き手は好きではない登場人物はイマイチのりきれなかったり、やっつけになることもあります。

それが原因で生まれるイマイチな感じを観客は感じとります。おそらく毎日、人間関係の中で生きていて蓄積があるからだと思います。

※イマイチな感じは美しいやり取りだけだと、そんなうまくいかないし、不自然だよ〜という感じのことです。すこし汚い部分がないとだめというか。
登場人物にしても、美しいだけでなく、美しくない人もいないと、おかしさを感じてしまう。それは外見だけではなく行動もそうです。
ちょっと関係があるのがコレ→『美しいものを作りたいという気持ちが裏目に出る時
あとこっちも少し→『なじみの無い情報を説明するときに、相手にうまく興味を持ってもらう方法

僕もあなたも生活の中での蓄積がある

で、元に戻りますが、人間関係の中で生きていて蓄積があるのは、観客だけでなく、役者ももちろんそうです。
ですので、演じてみることで「あれ、なんかおかしい」となるんだと思います。
役者の場合はさらに、演じている人物の気持ちになりきり、アドリブが生まれてきます。
ユーザビリティ系から捉えるとまさにアクティングアウト、ウォークスルーの話ですね。

この場合、ある程度のしっかりした台本があるからまとまるとは思いますが、ひとりひとりが蓄積しているものがあって、それと何かが触れ合うことで新しく生まれるものがあるなあと感じています。

もちろん役者だけの特別な話ではなく、僕もあなたも生活の中での蓄積があるということです。

例えば、役者と台本の組み合わせでは、より明確なキャラクターが生まれたり、明確なシーンになっていくことだったりで、ユーザビリティ系の捉え方だと、ユーザ調査を自分でやることで、やった人自身が新しいユーザ像を感じることができてアイデアが出てくるとかです。

このサイト内の関連記事:

2009年10月06日 23:43Fujii

「生の人間に近づくこと」と「仕組みがわかること」は違う

20090917.jpg

物語を作るには、人がどんな風に喋って、対話している相手はどう答えて、それはどんな気持ちからなのか?もしくはどんな気持ちになっているように見えるかとか考えなくてはいけませんが、そう考えているのと実際に書いていくことは別物です。書いて、チェックしてを交互に行う感じです。

友人が物語の台本を書くのが好きなのですが、自分はその横から見ていてチェックマンの役割をすることがあります。で、仕組みの話をしてなおしたものを見ると、良くなることもあるし、なにか死んでしまうこともあるのです。その度に、「人間の会話ややり取りを、自分の手で書いていくということ」は、仕組みがわかるレベルではうまくいかないなと本当に思います。

書く人の頭に中にあるものをうまいこと統合して、仕組みになるようにすることが大事です。そこは、その登場人物がどういう会話の仕方をするのかがとても関係します。
だから、自分では何かココが変だと思っても、そこだけ指摘して良いものかも考えたり、書いている人の持つ情熱を消すことの無いように気をつけます。むしろ、情熱の発端になる初期の衝動の核の部分をより鋭くしていく方向を考えます。

特に、台本は人間のやり取りという仕組みだけでは書けないものを作っているケースなので、アドバイスというか意見は慎重にします。このあたりは、また別の機会に。

サイト内の関連記事:

言葉って変なつながり方してる時がある

20090916.jpg

「フロアガイド」と「お店を探す」はつながっていた。
本来、フロアガイドはフロア内の位置を示すはずのもの。フロアの中の位置を探すためのもの。

それが、単に自分のイメージしたお店を探すにつながってしまっていた。なぜだろう?
ロジックで考えるとずれているが、その状況下ではつながる感じ。要因は何だろう?

聞きなれている言葉だから?
実際の店舗で「フロアガイド」を見るときは、「店を探す状況のとき」だから?

どれも関係することな感じがする。ロジックで順番に考えるのではなく、頭の中にポーンとあるものや、その状況だとポーンと生まれるものがある気がする。
習慣とか習性とかそういうことに近い。

むしろロジックではおかしいのでその2つはつながらないものというか。
なんかロジックではわからない感性的なものがあるよね、ということがいいたいわけでは全然ない。

うーん、なんだろな。ある状況の人間の反応の仕方を目の当たりにしたときに、事前に予想できない妙なリアリティのある部分があるということなのかな。
もうちょっと考えてみよ。

2009年10月05日 00:55Fujii

twitterと連携したみたいです

20090915.jpg

seesaaブログがtwitterと連携したみたいです。
テストもかねて更新情報をつぶやく機能をつけてみました。

twitterでfollowする

あんまり関係ないですが、更新情報にひとことついていると、なんだかいい気がしますし、更新情報だけってtwitterで見たくはないよなーとも少し思います。
とはいえ、タイムラインをチェックしておけば更新もわかるというのはある人にとっては便利なのかもしれません。
なんて考えて、とりあえず更新情報だけですがピーチクパーチク。

このサイト内の関連記事:

2009年10月02日 00:52Fujii

ペーパープロトタイプの次にやること

ペーパープロトタイプを作る』の続きです。

さて、今回は3点。
  1. プロトタイプに似ているサイトを探す、同時に発想できそうなものは収集
  2. 気づいたことをメモする
  3. 根本的なことに関わることをピックアップする
これだけをちょこっとやるだけでも、また仮説を立てたり、発想するための刺激になる気がします。

ユーザーの利用状況の前提は、「行った事があるけど、階と店名がわからないときにお店を探す」です。
最初の自分のイメージに近いのはコレです↓

lumine_01.png

大きさが違うとこんな感じに印象が変わる例として、Flickrからパターンを。
詳細情報が付くとこんな感じになりそう↓

lumine_02.png

メモとしては、

  • 何を写すのか(食事のアップはおいしそうだけど店はわからない)
  • 大きさの切り替えは?
  • デフォルトは?
  • あったら良いけど大きさのパターンを用意する手間をかける?
  • お店の掲載数は?

lumine_03.png

大きさ変える必要ある?
Flickrはこんな感じ。

size_switch_01.png

「食べログ」さんはこんな感じ↓

size_switch_02.png

メモに追加

  • 大きさを切り替えるようにするとシステムや運営の負担が大きくなるかもしれない
  • 過去の自分の行動を記録したものを見ると、かなり適当に見ているようなので、切り替えに気づかないかもしれない、なのでデフォルトの状態を最も良く検討したほうがいいかもしれない
  • ひとつのデータの見せ方を複数用意しようとすると、検索するためのアプリケーションに近づいてくる

アプリケーションのiTunesはどうだろう?

size_switch_03.png

↓切り替えボタンと写真の大きさを変えるバーが付いている。
ただ、触らないとバーは、音楽の再生箇所のコントロールにも見える。

size_switch_04.png

  • フロアガイドにココまでする必要あるかな?

切り替えに関してはここまでにして、もう一度、写真に対して仮説を立てて発想してみよう。
「食べログ」さんはこんな感じ

store_picture_01.png

この種類は個人的な経験からだけど良いと思う。
その経験は、このどれかしかないなーということが多いという経験。
過去の自分の探し方を見ると、公式ページよりも体験者のブログのほうが縦長だけどずっと写真が豊富なことが多いのでそれを探している様子があった。
(※ブログが良いというより、豊富な写真を探している)

写真についてメモ

  • 外観
  • 店内(内装)
  • 詳細(料理・店員)
  • ロゴ(目印)

最後に、今回、Googleで「フロアガイド」で検索して感じたことのメモ。

  • 本来位置を示す地図に近い「フロアガイド」は、役割の違う「お店を探す」ということと結びつきが強い
  • 「お店を探す」ということと結びつきが強い「ショップガイド」「カテゴリーから探す」「五十音で探す」というのもあるが、これという決まった言葉と結びついていない
  • もともとフロア自体が「婦人服」などカテゴリーになっていることが多いが、それが書いてあるものと、単に階だけしかないものの両方があった
  • テキストの一覧は、店の名前が有名であればわかるが、知らないとどんな店か全くわからない
  • そもそも、どんな店かわかるということはどういうことか考える必要がある

長くなったので、ひとまずここらへんで。

2009年10月01日 03:31Fujii

秋のご挨拶

そろそろ秋です。ユーザビリティと関係ないですが、9月の連休は奈良へ行ってきました。
ということで、秋のご挨拶は和な感じで!

japan_atochotto_01.gif

japan_atochotto_02.gif

japan_atochotto_03.gif

japan_atochotto_04.gif

japan_atochotto_05.gif

japan_atochotto_07.gif

japan_atochotto_06.png

海外の常夏の地に行っていた友人が日本に帰ってきて、四季があるところが良いといっていました。
日本にいると気がつきにくい日本の良さが見えるんですね。The無いものねだり症候群。

そういえば、ユーザー視点は、多様な人種が混在する国に住んでいる人のほうが、相手と自分が違うという点はわかりやすいので、結構自然にとりいれることもできるのかななんて思いました。

でも、世代間のギャップのほうがおおきそうだったりもするのでそうでもないかも。
なんにしても、「自分は相手のことを知らない」と思うことがスタートラインというのを忘れないようにしたいところ。

話がそれたけど、季節の変わり目、体調に気をつけてねー。

ココ(『「言葉も忘れる」あめちゃん』)も少しづつ描き足し中