2009年08月30日 17:45Fujii

グループワーク型ワークショップ開催時の注意点とその対処法10パターン

ワークショップでグループワーク等をやるときに学んだことをメモしました。
経験から、こんなことが役立ったというようなことです。

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ワークショップもウォークスルーが大事です。

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2009年08月29日 02:40Fujii

「東京と同じ」じゃ旅・観光にならないが、楽しさに関わる要素はほかにもある

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簡単にいうと、

単に見るだけよりも
体を動かしたほうがおもしろい。

というだけなんです。

例えば、移動目的ではなく、楽しむという意味では、ドライブよりもサイクリングです。

もちろん珍しいものを観たりすることも、楽しさのひとつではあります。が、それ以外にも楽しさに関わることがあります。
一番良いのは、いつもと違う場所で、違う体験をすることが合わせ技ですが、それがそろわなかったときは、体験が大きな分かれ目になります。

旅・観光の楽しさに関わる部分の一部は場所と一切関係なさそうです。

2009年08月27日 23:32Fujii

非日常がなければ旅行・観光にならない

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ちょっとした非日常を考えて作ることが大事だと思います。が、見てのとおり、非日常とはその人の日常を知ることからはじまります。

均質化は旅の敵というのは、その地域の特色が無いと、旅をした気分にならないということです。どこにいっても、チェーン店だったりという感じだと、旅行の楽しみが減ってきます。

そのあたりは、すでに去年描いているので省略。

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「違う」時間を心待ちにして、その時間は皆で「同じ」様式を楽しむ

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夏を振り返り、お題は「お祭り」。
「ユーザビリティ」とはあんまり関係ないですが、情報の見せ方の話として読んでいただいてもいいです。普段「お祭り」に例えていろんなことを考えて理解したり発想したりします。

いつもの道だけど、夜空にぷかぷかちょうちんが浮かんでいるのを見ると、違った印象を持ちます。このように、お祭りには「非日常」という面があります。いつもと違う日と言う意味です。そして、長くは続かない限定された時間ということです。

お祭りにはそのほかにも、決まった服装という面があります。皆で同じ様式の服を着る。これも楽しい。これはある意味、個性が無いということですがそれを楽しみます。もちろん様式が同じでも、そこに違いを出すこともあります。浴衣着るけれど柄が違うというように。

いつもとは「違う」時間を心待ちにして、その時間は皆で「同じ」様式を楽しむというようにいろいろ入り混じっています。
引き続き、この延長で「旅行・観光」についてもちょっと描いてみます。

このあたりの非日常性の様式についての本ないかなーと思うんですがイマイチ出会わないですね。「観光学」とかはちょっと違いました。

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2009年08月21日 04:13Fujii

2009年、夏以降のIA、UCD、デザイン思考、情報デザイン、ユーザビリティ、マネジメントなどなどそれ系のイベント一覧

せっかくなので、告知ついでに夏以降のイベントをまとめてみましたよ。

ちょっと前に告知してといわれていたので、一個目は、告知です。
せっかくなので、ほかのイベントも一言コメントつきで。日程など変更もあるかもしれませんので、詳細は公式のそれぞれのサイトで確認してみてくださいね。

【追記】せっかくなので、関連情報も追記しておきますね。前も1回手間をかけてやりましたが、ひさしぶりに収集してみました。順番は適当に。
それぞれの視点の振り返りをみるとまた得るものがありそうです。(前回はTwitterはまだでしたね。)

【終了】2009/8/27(木)、28(金) DESIGN IT! Forum 2009  - 企業情報の構造改革:DITA-XML-CMSによるコンテンツマネジメント戦略 -
メインのテーマは、Webだけではなく企業が持つ情報の視点から、コンテンツを管理するマネジメントがテーマのようです。バランススコアカードなど、組織的な面も絡めたはなしがきけたらおもしろそうです。結局部署間の壁が色々なところで出てきますので、経営というか全社的な視点というのが大事かなと感じています。29(土)ワークショップもあるそうです。UCDとアジャイル開発をからめたものだとか。UCD自体循環型なので、相性は良さそうです。予算もアジャイルになるあたりがアジャイル手法の課題なのかな。

いろんな人のレポート等


【終了】2009/8/31(月) 第4回情報デザインフォーラム
去年は、何回かワークショップに参加しました。毎回なにかしらテーマもあるかとは思いますが、発表者募集などもしていて結構オープンにやっている感じがします。情報デザインフォーラムの先生方がやっているせいでしょうか、学生と企業の個人が入り混じっている感じです。IDEO訪問の結果が聞けそうですね。今気づきましたが、先生方が活発なので教育とか、社内研修とも絡めてききにいくといった視点もいいかもしれません。

いろんな人のレポート等


【終了】2009/9/12(土) CSS Nite LP, Disk 7「IAスペシャル」
スペシャルとつくので、IAが盛り上がってる感じでしょうか。じつは、まだ一度もCSSniteは行ったことはないんですが、いろいろな話が聞けそうです。専門で無い人がIA的な考え方をどうとりいれていくかというところがテーマのひとつようです。UCDにしろ内製化、また専門でない人でも十分ヒントになる考え方があると感じていますので良さそうです。あとは、専門家だけでも全然ダメで、多くの関係するメンバーにいかにそういう考え方が浸透したりするかもポイントな気がします。

いろんな人のレポート等

資料


【終了】2009/9/19(土)、26(土) 第3回ユーザー中心のWebサイト設計ワークショップ
これは以前に参加しました。ワークショップ好きとしては楽しかったです。棚橋さんのいういわゆる現代版の「連」というものだと思います。メンバーへの浸透という意味では、その場を共有することで関係者が直接その場で変化していくことを目指していると感じています。ただ何かを読むだけ、会議するだけという思考方法ではなく、場を共有して、作業の流れを可視化しつつすすめることで、頻繁に参加者の間で刺激を与え合ったり、方向を修正したりしながら思考していくということかなと感じました。

いろんな人のレポートなど


10/17(土)、10/31(土)のどちらか(未定?)11/14(土)になったみたいです インフォグラフィックス・ワークショップ 2
こちらもワークショップなので前回参加しました。TUBE GRAPHICS木村さんが従来はプロ向けにやっていたワークショップを、オープンにしてやってみたというのが前回だったと思います。一日でしたのタイトな時間で、それがまたよかった記憶があります。事前取材が生きた覚えがあります。参加したいという意思があればできるというオープンなところがいいですね。インフォグラフィックがテーマで雑誌の見開き企画を作るという流れでしたが、参加者はWeb系の人もたくさんいましたよー。

音楽の夏フェスのような感覚

音楽の夏フェスなどみていると、色んなアーティストがひとつの舞台に上がります。あの独特の感じが良いですね。ジャンルも違えば、もしかしたらファン層も違うかもしれないですが、お祭り感覚で楽しむというのがいいです。

特にレゲエ好きではないんですが、レゲエでは「Unite」とか「One Love」なんていうことがよく言われたりします。もしかしたら、本場ジャマイカなどでは殺伐としているが故の裏返しかもしれませんが、「みんな、ひとつですよー」というような意味があるのかと感じます。別にレゲエじゃなくてもロックフェスなんかも似た思想を感じます。

そんなことと重ねつつ、パネルディスカッションなどはイベントのテーマにあわせて、無理やり喋るというのではなく、それぞれ個性や考え方は違っていても、その違いもまたおもしろいと捉えるほうが良いなーなんて考えたりもしてました。音楽のフェスで周りに合わせて音楽は変えないですよね。選曲はかえそうですけど。違うなら違うでよくて、それが同じところにいるほうがおもしろいんじゃないかな?なんて思います。

話がそれましたが、自分は去年色々なワークショップに参加させてもらいましたが、社外に出ると、色んな会社があって、いろんな人がいて、色々な仕事のやり方もあるんだなーなんて刺激受けると思います。そして、同じ苦労してるんだなーなんてことも。よくわかりませんが、そんな感じで皆様もどれかに足を運んでみてはいかが?

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2009年08月20日 02:22Fujii

息抜きに今までに登場したキャラクターの解説でもしてみます

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何かを説明したり、新しい視点を登場させるときに、擬人化して生まれてくるようです。

2009年08月18日 23:52Fujii

『行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由』を読んで

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行動分析学の考え方は、本書でも例としてでてきますが、「多動性があるから動き回る」といった一見もっともらしい循環論を使わないとしているところです。ボールがゴールにはいるのは、ゴールにボールがはいったからだという説明ではおかしいのは、スポーツのように物理的に可視化されている世界ではわかりやすいですが概念の世界だとなにかもっともらしく聞こえてきます。

また行動分析学は、現場での改善も視野に入れているようです。「改善」という表現になるのは、具体例でいうと「工場などの安全のための規則などをどうしたら守る人を増やせるのか?」といったアプローチをするからです。マネジメントやコーチング、教育の方法などに応用されているようです。

自分自身は読んでみて、人によって「好子」と「嫌子」がそれぞれだなーとか、「好子」と「嫌子」が同時に発生することもあったりするなーとか感じています。ですので特効薬というわけではありませんし、行動分析学という考え方自体も知ったばかりですので消化しきれてません。

ただそれでも、ユーザ調査などの「行動観察」とはまた違ったアプローチをとることを前提にしていますが、ひとつのものの見方の参考として読んでみてはいかがでしょうか?
「民族学的な行動観察」と「行動分析学」、人間を対象にしているのでつながる部分があると思います。
観察!観察!といっても、いざ、目の当たりにすると、観察したものをどう捉えたらいいのか、困ってしまう、という時にも捉え方のひとつとして参考になるのかなーと。

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2009年08月17日 21:42Fujii

ほっとくと自分と似たような情報だけ集めてしまう?

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前回の記事で、人間が未知の情報を取捨選択するときの構造を考えました。で、どうやら「自分と関係があるのか?」というところで振り分けていそうです。
それは、明確に関係あるということだけでなく、自分が考えていることがキーワードとして入っているとか、何か自分と似ているものを選んでいるということです。
単にその人にとって表現がわかりやすいということだけでなく、例えばアカデミックで高尚な言葉遣いをしている方に「似ている」と感じたりすることも含めてです。

前回の記事では、そういう似ている部分を作り出して、さらに解釈の仕方を考えうまく翻訳して案内することで、ようやく未知の情報につなげられることを書きました。では、そのような情報になっていない未知の情報に出くわしたときにどうするのか、情報と出くわす側の立場で考えると「よくわからん」「関係なさそう」と処理しておしまいです。

そんなことばかりやっていると、似たような情報を繰り返し見て喜んでいるだけになってしまいます。自分と同じ考えの意見を持つ著者を探して、自分の意見に権威付けしたり、なんだか良い気分になったりするのも悪いことではないですが、それはたぶん自然とやるので、何か気をつけることでもありません。

自分と同じ意見が書いてある本を見つけたときに、良い本というよりも単に好きな本といえるくらいのブレーキは持っておきたいものです。もちろん、自分と同じ意見が書いてあるから良い本なのだ!わっはっは!と開き直っていればいいんですが。

そんなこんなで、偏り過ぎないようにするためにはどうしたらいいのかな?と思いました。

  • 開き直る。むしろ好きなものしか目に入らないならひたすら極限まで集めてみる。
  • わき道にそれる。周辺情報など、おや?なんだろ?と思ったらどんどんわき道にそれる。
  • 解釈の仕方を考える。人に聞いて、同じ情報をどう解釈したか聞いてみる。
  • あきらめる。偏ってることだけ忘れないようにする。

結構難しいです。

なじみの無い情報を説明するときに、相手にうまく興味を持ってもらう方法

ちょっと、人と話していて思いついたことですが「なじみの無い情報を説明するときに、相手にうまく興味を持ってもらう方法」として書いてみます。

何かを説明する社内資料を作る方、Webサイトのコンテンツの企画を立てるWebディレクターやWebデザイナーの方などは、普段仕事をする上で、「いい情報なんだけど内容がちょっと複雑で、興味を持ってもらえるか不安、表現に困ってる」という場面があります。「うまく説明しないと流されてしまうかも・・・」というようなときのヒントになれば幸いです。

長くなったので結論からまとめてみます。

  • 相手の属性を具体的にして共感してもらう
  • 相手のリアクション(気持ち・反応・感想)を入れ共感してもらう
  • そのリアクションと未知の情報の関連を案内する

なじみの無い情報とは、相手にとっては異世界の未知の情報です。人は毎日大量の情報と接していて、「果たしてそれが自分と関係あるのかどうか?」を取捨選択します。結果として、「よくわからない」「関係ない」と離れていくこともあります。その過程では「関係のないことを確認したがる」傾向もあります。なじみの無い情報(相手にとっては異世界の未知の情報)も同じように「関係があるのか?」判別されます。

生の状態で未知の情報を出しても、離れていくことは当然です。なので、未知の情報を説明するときには、まず少しでも「共感」してもらい「関係がありそうだ」「ちょっとわかる」「(無意識に)自分に近い」というように思ってもらうことが必要です。興味を持ってもらったあとは、相手のリアクションをベースに内容を翻訳して案内していきます。

「具体的にはどんな感じ?」と思う方もいると思いますので、以下具体例です。

具体例その1

  • お盆休みの計画を任された方(属性で共感)
  • 「観光地での慌しいお盆休みではなく、のんびりとどこか自然の中で過ごしたい」(リアクションで共感兼翻訳)
  • 家族で過ごせるナントカカントカキャンプ場(未知の情報)

具体例その2

  • この記事の冒頭

以下はそもそも、なぜこういうことを考えたのか?です。

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「人間は自分と同じ部分を情報の中に探している」というと「自分は個性を尊重しているし、広く情報を受け入れている、そんなことはない」と拒否反応を起こしてしまう方もいるかもしれませんが、機会があればそのあたりのことについてまた書きたいと思います。

2009年08月12日 23:46Fujii

Webサイト担当者になったらまずやること2 後編

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とりあえず、おしまいです。運営しかけているんですが、一体何を提供したり、誰に作っているのかがまだわからない状態です。イメージの中のホームページ制作だったり、どこかのWebサイトを再現することしかまだ考えられていない状態です。

自分達が何を作っているのか?自分がネットをどう使っているのか?コアな部分は人がどのように運営するのか?などなど、まだまだ先は長い状態です。
運営側の人の動きさえ見えていないので、当然そのサイトの利用者の動きもまだまだ頭の片隅にもでてこない状態というわけです。

例えばコールセンターは、電話を使っていますが、裏側の運営が無ければただの電話でしかありません。Webサイトにもそういう側面があり、その裏側の体制作りをイメージすることが第一歩だと感じています。前々回に書いた、知識は無いけれど、感覚でわかっている人というのは、「サイト運営」と「Webサイト」の関係が、「コールセンター運営」と「電話」の関係のような側面があると、パッと頭の中で浮かんでくるタイプの人達です。

このシリーズは、いつかまた。

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2009年08月11日 23:01Fujii

Webサイト担当者になったらまずやること2 前編

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続編です。

中小企業だけの話かなと思っていたんですが、大きい会社のサイトを扱う人でも、そっくりなパターンになることがあると言っていました。

扱うサイトの規模はあまり関係なく、人間の行動としては同じような流れになるのかもしれません。 大手のサイトのプロジェクトだからきっちりしているというわけではなく、担当者や参加メンバーの個人の皮膚感覚に影響を受ける気がします。

知識は無くても最初から入り口が間違っていない人もいます。

スムーズにまわすチームはそういう意味では有利に立てるのかもしれません。というよりも、落とし穴に周りが落ちてゆくという感覚なので当人達は有利になっていることに、あまり気づかないかもしれません。

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2009年08月10日 01:27Fujii

「コミュニティ」で考える〜正統進化で生まれてこないものをどうしたら発見できるか?〜

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続きです。

商品企画、サービス企画のような話ですが、サイトにももちろん関係してきます。「ユーザビリティ」という観点からも、どのようなコミュニティにとってのユーザビリティを考えるのかという意味で、大事な話です。

今回の記事を「自分の価値観がイノベーションが起きない理由になることを考えたことがありますか?」なんて派手なタイトルにしてもいいんですが、なんか自分としては地に足が着かない気もしますので、「アイデア探しのヒント」くらいで読んでみてください。

新コミュニティと旧コミュニティの仕組み

  • 作る人のコミュニティと使う人のコミュニティがあり、その二つは密接に関係していて、ひとつの大きいコミュニティができている
  • コミュニティによってそれぞれ「文化」を持っている
  • コミュニティの「文化」が持っている暗黙の価値観が、商品やサービスの絵を描く際に、取捨選択の基準となっている
  • 各コミュニティに属する人が、自分がコミュニティに属しているか気づいてるとは限らない
  • 各コミュニティに属する人が、他のコミュニティに気づいているとは限らない
  • コミュニティの多様性に気がつかない場合、旧コミュニティは、新しいコミュニティを単純に否定する
  • 作り手側が新しいコミュニティを無視したり、否定する側のコミュニティに属する場合、当然、新しいコミュニティ向けには作らない

先ほど、「自分の価値観がイノベーションが起きない理由になることを考えたことがありますか?」というタイトルを思いついたときに、最初は「イノベーションが起きない理由」と短めでした。でも、自分もそうなんですが、こういう記事を読むと自分が「新コミュニティ」でイノベーションを起こす側と思い込んで読み始めてしまいます。そして、読み終わった後に、「うん、そうそう、困ったもんだよなー」と感想を持ってしまいます。しかし、実は自分が「旧コミュニティ」の場合もあるわけで、そこを最初から考えておかないと、みんな自分が「新コミュニティ」で「イノベーション」を起こす側と思ってしまうのかなと。 まわりからしたら、「実は旧勢力は自分では?」というつっこみです。自分は思い込みが激しいタイプなので、そのあたりをバランスよく考えておきたいです。

文化が違うけれど近いところにいる例としての「家族」

簡単に考えると、コミュニティが違えば、遠いところにいる場合が多いですが、物理的な面で実は近い場所にいることも多いです。 例えば、「家族」です。そのほかの例を整理。

  • 場所=家、集まる人、親と子
  • 場所=スキー場、スキーヤーとスノーボーダー
  • 場所=カメラ屋、雑貨の延長のようなファッション感覚の使い手、従来のカメラの使い手

これは、文化は違うけれど、ニアミスするゾーンだといえます。本来コミュニティが違えば、存在に気づけないぐらい別の世界を生きているはずですが、それでも重なり合う世界があると思います。わかりやすくいえばやはり上記のような物理的な空間です。ここの線引きは当然あいまいになります。隣に商品が置いてあることであったり、隣に別のコミュニティの人がいることだったりします。

ニアミスゾーン以外は、おそらくほとんどお互いの世界は交差しなさそうです。各コミュニティがどういった世界観で動いているかは、ほぼわからないはずです。それはやはり、習性として、意識しておかなければ、自分の属するコミュニティ以外に興味を持たないからだと思います。それは、使い手だけでなく、作り手でもそうだと思います。

ニアミスゾーンにも種類があるのか?

物理的なニアミスゾーン以外にも、例えば一般の大手新聞などで取り上げられることで、ニアミスすることもありそうです。ただ、時間的な面で多少違うのかなと思うこともあります。それは、大手の一般紙に取り上げられるときは、流行などであれば末期(もしくは定着期?)なことも多いです。ですので、やはり、ニアミスゾーンは物理的にニアミスしているところのほうが早期に発見できるのではないかと思いました。もしくは、そういった物理的な面を逐一取り扱えるメディアならOKだと思います。まとまっていませんが、別コミュニティの存在に気づけるチャンス自体が少ないので、物理的にニアミスしているところは少なくとも注意深く見ておくことが大事なのかなと。

「ユーザビリティ」もコミュニティ間の問題といえる

作り手と使い手は小さい面では、別々のコミュニティです。そこでも、ギャップができます。それが「ユーザビリティ上の問題」として表面化します。 ニアミスするゾーンは、擬似的にはウォークスルーなどで確認したり、ユーザビリティテストのリクルーティングやタスク設計の場面で確認したりします。

さらに、ユーザビリティテストで人工的にではありますが、ニアミスするゾーンを作ります。ここでは、作り手は観察者(ざっくりというと見学する人)として、使い手は、被験者(というと実験チックなので使う人)として、物理的にも近い場所にいることになります。

リクルーティングやタスク設計はユーザビリティテストの前段階で行いますが、思考しながら別コミュニティとニアミスしているともいえますので、単なる事前準備ではなく、部分的にはユーザビリティテストで得ようとしていることそのものです。 ユーザビリティテスト以外にも物理的にということであれば、家族が使っているとかでももちろんOKなはずです。ちょっとしたニアミスゾーンはあります。

さらに、作り手と使い手が、もうちょっと大きく属しているコミュニティが違う場合。スキーとスノーボードのように。うーん、これはユーザビリティと言ってしまっていいのか悩みますが、物理的に近いのであれば考えなくてはいけないと思います(同じ場所、同じサイト、同じ道具を使っている場合とか)。ただ、この発見自体はなかなか難しい。ニアミスゾーンの発見なので。

書き散らかしてまとまってないけど、とりあえずここまでで。

このサイト内の関連記事:(最近の一連の流れを古いもの順に)

2009年08月06日 22:52Fujii

物事を捉えるときに必要なこと〜カメラ選びを題材に〜

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カメラが好きなの?写真が好きなの?何したいの?〜カメラ選びを題材に〜』の続きです。

そのひとのやりかた

ということで、友人の答えは「迷いながら選ぶのが楽しい」ということでした。そういう買い物のやりかたなわけですね。 商品の対象者を自分の頭の中で考えてしまうと、「よければ買う」だろうとイメージしてしまいがちです。

たとえば、その「良さ」は人それぞれであることはイメージできたとしても、買い方そのものも人それぞれであることも頭のすみっこに入れておくと良さそうです。

そういう「やりかた」の違いが表に出てきている現象として、最近のカメラ雑誌のコーナーはナカナカおもしろいです。扱っている商品は同じカメラでも「カメラ日和」「女子カメラ」といった明らかに違う文化が生まれてきています。これは、カメラのある生活が従来の世界観とものすごく異なっているからおもしろいんだと思います。

簡単にいうと、いわゆる「おじさん」の価値観とは違う世界が広がりつつあるという感じです。どんな世界観かというと、下記のお店が生まれてくるような世界観です。

Acru(アクリュ)

文化とは人である

前にも、スキーとスノーボードって道具ややる場所は似たようなものですけど、どうして違うものになったか考えました(『文化を創る=スノーボード「style is everything」、文化がスキーとの違いを生み出す その1』)。結論としては、スキーの進化ではおそらく生まれなかった文化がそこにあるということ。

では、その文化とはなんだろう?と考えたところ次のような考えに至りました。「文化とは人(達)の振る舞いや価値観である。」 ということで、そういった振る舞いや価値観を持つ人が、関わりだすことで異なるものになったと感じています。

カメラの話も同じで、違った文化を持つ人(達)が使い始めてきて広がっています。 なぜ、そんなことを考えているのかというと、物事を捉えるときに、そういった文化を見ずに、「カメラ」だけ見てしまうと、とても捉えきれないのだろうなと思うからです。文化っていうとおおげさですが、「やりかた」だったりです。

「(従来の文化の中の)カメラ」というように、実は「カメラ」の前にはカッコがついていることに気づかなければ同じ「カメラ」でも「(異なる文化の中の)カメラ」という捉え方ができなくなってしまいそうです。

伝統もいいですがそういった正統進化では絶対に生まれてこないことにも目を向けてみるといいのかなと思いました。

もうちょっとつっこんで、どうしたら、それが生まれてくるのか?(とはいえ、コレは、今回書いたように違う文化を持つ人が使うことだと思います)または、生まれてかけているシーンをどうしたら発見できるのか?を考えてみたいと思います。

続く

このサイト内の関連記事

暑中見舞い申し上げてみます!

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夏ですね!

ちょっとブログの振り返りをしてみたいと思います。

時々ちょぼちょぼつく、はてなブックマークでのランキング

『パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学』を読んで あんまり普段はてなブックマークされないんですが、古川健介さんのささやかなつぶやき(たぶん)かなにかの影響で14個ついた記事。

プロペパ君で作るオーソドックスなWebサイトのレイアウト(9パターン) ペーパープロトタイプとか手法自体もそれぞれの人がさくさく新しいことを試したらいいんじゃないかな?と思った気がします。

キッズのための、紙で作るWebサイト(というかページ)設計 一個前の記事の元になったもの。こどもでもできるかも・・・。と思ったけどちょっとハードル高いことに気づいたのでした。

フレームワーク再考 どうしたらフレームワークをうまく使えるのか? これは、プログラミングのフレームワークではないんですが、「プログラミング」のタグがついてしまった記事。反射的にタイトル見てつけているんだと気づいたのでした。

「人間中心設計」をヒントにした5段階のデザインプロセスのまとめ なんかいろんなことに使えるなーと思ってた気がします。ただ、定義とかよりも、方法を自分達でアレンジするくらいの自由な捉え方でいいんじゃないかなと。なので、「ヒント」とタイトルにつけた気が。あと、あんまり大げさではなく身近な単位でいいのではと思ってました。

そのほかのはてなブックマークされた記事はこちらで見れるみたいです。

そろそろ皆さん夏休みに入られる方もいらっしゃる頃かと思います。 目一杯日本の短い夏をお楽しみください!

2009年08月05日 22:46Fujii

カメラが好きなの?写真が好きなの?何したいの?〜カメラ選びを題材に〜

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続きです。

あいかわらず悪魔のささやきをし続けていたんですが、実際に商品選びはどういうスタイルでいきたいのか?が関わってくることは確かです。

商品の利用状況と不可分

ぶれにくいものといって、雑誌にのっているような、同じ対象を撮った写真を穴が開くほど見つめたところで、それは三脚を使って撮っていたりします。 で、自分の生活の中に三脚かついでいくというスタイルをいれていくのか?というところを考えます。

カメラがなければ、写真が撮れない。商品の利用状況と不可分であるということが改めて出てきます。買ったけど使わない。一番楽しい思い出が残っていない。とかです。

自分自身思うのは、ドナルド・A・ノーマンさんの本で、こんなことを読んで言語化されたことがきっかけでもあります。

昔、私は旅行のときには必ずカメラを持って行ったものだ。しかし、旅を楽しむよりも写真を撮る時間のほうがずっと多いことにふと気づいた。さらに悪いことに、これぞというアングルやここぞという光景を得ようと色々努力したところで、いつも家に帰った後は忙しくてその写真やスライドを見る時間はとれない。つまり私はその場での経験も無く、写真による想い出も無かったのである。 D・A・ノーマン『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!』

この本自体は、前(『 『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!』を読んで 熟考するために描いた絵は捨ててもよい 』)にも紹介しましたが、「ドナルドさんと居酒屋で話したら」みたいな本だと思っています。写真は時間がたってから見るのがおもしろいと思っているので上記の引用の中で忙しいときは見なくていいと思うんですが、それよりも「写真を撮る時間のほうが多い旅」というのに悲しさを感じているところがいいなと思いました。実はさきほど、カメラが無くて一番楽しい思い出が残っていないというのは、写真で残っていないだけですのでそれは良い事でもあるわけです。本当に楽しい瞬間は定点カメラでしか撮れません。

とにかくカメラという商品を単にスペック上の数値の比較などで捉えるのではなく、旅行スタイルにダイレクトに影響を与えているものとして考える良い例だと思います。旅行スタイルというのは、そのひとの人生の楽しみ方でもあるわけで、当然スペックの数値上の比較よりももっと大きなものです。

旅行スタイル、買いもののスタイル

旅行スタイルのほかにも、生活の中では、買いもののスタイルもあります。

買うということからすでに、生活の中でのその人の個性やスタイルが出ています。大抵は意識しませんが。ドナルドさんのように、「カメラは行動を妨げる、邪魔するテクノロジー」と捉え、

写真には長所があり、絵画には欠点がある。しかし私個人は、旅行のときにカメラを持つことをやめ、外的支援の無い記憶に頼ることを選んだ。これまでのところ私はまだ絵画を始めるには至っていないが、いずれそうするかもしれない。今のところ、私は「心のスナップ」を撮ることに満足している。 D・A・ノーマン『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!』

という「ロマンチックな心のシャッター派」を選ぶ人もいます。

さてさて、マンガの最後に「カメラが好きなの?写真が好きなの?」の友人の答えは次回。

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2009年08月04日 21:55Fujii

選んでいるのは商品だけではないから比べること自体無理がある〜カメラ選びを題材に〜

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続きです。

カメラから話が移ってきています。

これは、カメラでなくてもそうですが、商品の利用状況に目を向けると、全く違うものといえるぐらいそれぞれ特徴があったりします。

今回のカメラの場合は 、利用状況を考えると別物なものを一緒に比較しようとしていたことが浮き彫りになってきています。 カメラを選ぶということは、その商品との付き合い方を選ぶということです。よく「○○がある生活」なんていいますが、アレです。

アナログカメラを買ったあとの生活と、デジタルコンパクトカメラを買ったときの生活、デジタル一眼を買ったときの生活、トイカメラを買ったときの生活は別物です。 とまあ、こんなことをいいながらさらにカオスな状況を作り出していました。

そして、生活を選んでいるということは、唯一の正解はもちろん無い。 そして実は、単に買う買わないの話ではなくなってきていることになります。

続く。

このサイト内の関連記事:

「が」ではなく「も」が大事なとき〜カメラ選びを題材に〜

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続きです。

さてさて、自分は正直言って、この友人を見て「あ、いつかの自分がいる」と思いました(笑) それほど、思考のプロセスがそっくりだったのです。

なので、すぐに「写真」と「撮影」がごっちゃになっているとわかったのです。 「写真」と「撮影」がごっちゃになっていて、比較してはいけないものを比較しはじめます。そこに、お金も絡んできてよくわからなくなってきています。 ほんとうは「それ」良いのはずが、「これ」良いに無理にしようとしています。

ユーザになりきることが大事といいますが、元々は、同じ視点から体験することも良い。 といういうのも、自分がその視点を手に入れるには話が早いからです。そのときに、自分の前提(想定する対象の前提とずれていると、自分はこういう基準がいいと思うで終わっちゃう)と、思考プロセスを順をおって忘れないようにしておけばいい。

今回は、友人の前提が非常に自分と似ていました。「なんか、いい写真が撮りたい、カメラ買ったことないけど」。で、似ていると思ったのですが、違う点もあったりします。

それが「やりかた」です。

「ウェイ」です。英語だと(たぶん)。

あなたの「ウェイ」。私の「ウェイ」。Aさんの「ウェイ」です。違ってたら困るので、日本語に戻します。 あなたの「やりかた」。私の「やりかた」。Aさんの「やりかた」。

この場合、「カメラの選び方」もそうですが、それだけではありません。 友人をよりカオスにおとしいれる一言コメントをしつつ、ひとそれぞれの「やりかた」、「物事のすすめかた」、「流儀」、「スタイル」というようなものが確実にあって、きちんと意識しておかなければいけないと思いました。

続く

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何を「買う」のか?〜カメラ選びを題材に〜

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定義を無理にする必要は全くないの続きです。

人が何かを買うときの様子なんですが、カメラ選びとは、時にカオスな状態になってきます。 そして、もともと「買う」ってこと自体についても浮かび上がってきます。

なぜカメラ選びが題材として面白いのかというと、「写真」と「撮影」が最初にごっちゃになっているからです。 よく、「利用シーンを考えて作ろう」といいますが、できたものを買う人も混同しています。ただし、そこで話は終わりません。

2009年08月01日 03:50Fujii

定義を無理にする必要は全くない

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定義をするのはなぜいいのかというと、エンターテイメントになるからであって、定義自体がどうこうということにこだわると、考えが狭くなる。わざと、エンターテイメントするために、そうするのであればいいけれど、それ以外ではあまり考えを広げてはくれない。大抵の定義は、スポットライトのようなもので、そのときに興味があるというだけだから。

たった一つの答えは、先に出てしまっている。それは、「さじ加減(バランス)が大事だということ」。でも、これは盛りあがらない。エンターテイメントするにはパンチが足りない。とはいえエンターテイメントのことは忘れるとすると、やはり「さじ加減(バランス)」が大事なのだ。バランスやさじ加減は、相反するものを同時に考えることだったりするので、そこにはゆるやかさが必ず必要になるのではないか?ゆるゆるとした感覚。と、ユーモア。そういう意味では、定義はしてもよい、そして、真逆の定義もして、そして二つを混ぜる。

今回は、抽象的な記事になっちゃいました。