
こんにちは!
「5W1H」は、情報を浮かび上がらせるときや、適当に考えたことを、シーンとしてイメージするには、とても使えるかもしれないと気づいたという話です。
ちまたに溢れるフレームワークをうまく使えていますか? 自分は使えてません。なんでだろう?どうしたらフレームワークをうまく扱えるんだろう?
そんな話も含めて、長文です。
「本の表紙を見る」を5W1Hで改めて考える
まず最初に、整理してみます。昔からあるフレームワークを使ってみます。 というのも、最初は、適当にステップを思いついただけなので、もう一度おさらいしてみようと思ったからです。
5W1Hというフレームワークがしっくりきました
実は今までは、5W1Hってあまりピンときませんでした。
小さい頃から作文とかで聞いていたけれど、あまり分けることによって何か役に立った経験というのも無かったからです。
そもそも、フレームワーク自体があまり好きではありません。「その分け方でいいの?」という単純なつっこみです。結論を出すために、フレームワークに当てはめるのであれば、こぼれ落ちる情報が多すぎるのでは?と思っていました。
フレームワークという言葉自体が何か大げさな感じもしていましたので、どこか期待している部分もあったかもしれません。フレームワークに当てはめるだけで終わっている人を見ると、「もっとほかにもあるよ」と思うことがありました。「むしろ、それ、人の視点が抜けてるよ」とか。「フレームワークにあてはめるために、ほかのこと見て見ぬふりしたでしょ?」などなど。
また、フレームワークに当てはめて分類してしまうと、今度はそれ以外を見ることができなくなり、「フレームワークに当てはめたんだから間違いない状態」になる人もいます。
そういった人と接するうちに、「もともとフレームワークは、答えでもないし、結論をだすためのものではない」「乱用と期待しすぎは危険」「どのフレームワークを使うかも大事」「フレームワークを考え出すことも大事」「コツとかヒントのほうがしっくりくるかも」「やってること自体はあてはめてそぎ落とすことだとしても、見えていなかったものを見るためで、全体を見ようとする気が無ければ、変な情報だけ手元に残る」と感じてきました。
もともと、多い情報を整理するときに困ったときは、自分はいつも「人の視点」を使ってました。なんだかんだ、人間が関わるので、「その人から見たらこうかな」とかです。「肩書きがあっても人間だもんね」とか。
なので、あまり「フレームワーク」をうまく使えていた感覚がありませんでした。
ところが、今回は、適当に考えただけなので、最初の情報が少ない状態からでした。
「5W1H」という基本的なものでしたが、このような場合は暗闇の中で、スポットライトが次々増えて、その物の姿が浮かび上がってくる感じがして、なかなか良さそうです。
シーンとして明確にイメージしやすくなる
スポットライトといいましたが、Whenを想像するのも、Whereを想像するのも、すべて、シーンを具体的にする感じで、分ける感覚ではありません。
暗闇の中で、時間の流れがあらわれ、舞台の背景セットが表れ、カメラが本の表紙をクローズアップし、その人の気持ちを想像する、物体・身体的な方法はどうしているか?をカメラが写していく。そんな感覚でした。
シーンとして明確にイメージしやすくなるので、「計画を練る」ときにもぴったりです。旅行の予定などでは自然とそうしてるはずです。(いきあたりばったりの旅もしたことがありますが、それでも出発時は考えています)
「絵に描く」ことや、「シーンを撮る」こと自体がフレームワーク
シーンとして明確にイメージするという意味では、「絵に描く」ことや、「シーンを撮る」こと自体がフレームワークと言えます。
描いたり、撮るためには、「Who,When,Where,What,Why,How」が無ければすぐにばれます。「Why」は少しばれませんが、シーンとして考えるときには必要です。もちろん、このマンガのように、人間を丸で描けば、Whoの部分はちょっと簡略化しています。
絵に描く、シーンを撮るのは通常は、別の目的です。「相手に何かを伝えるため」という目的です。 その目的とは別に、「描く(or思い描く)」「撮る」ことは「書く」「話す」と同じように、その行為を行ううえで、必要とされること条件があって、それが無意識のうちにフレームワークの役割を果たします。
フレームワークをうまく扱うには、フレームワークに当てはめた結果のみではなく、フレームワークに当てはめる行為で、見えていなかったものを自分が浮かび上がらせることができたか?のほうが大事だと思いました。
無意識のフレームワークも探し、名称のあるフレームワークだけにこだわらないことも大事かと。
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