キッズのための、紙で作るWebサイト(というかページ)設計

こどもでも、コンピューターが触れなくても、絵があんまりかけなくても。作れるとはいわないけど、ほんの第一歩?にはなるかな??

「キッズのための、紙で作るWebサイト(というかページ)設計」

↓台紙セットをしよう!

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ロゴをつけてみよう!急にサイトに愛着が沸くかもしれないけど、見る人の気持ちをシカトしたらだめだよ!

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次にグローバルメニューを置いてみよう!全部のページ共通のメニューだから厳選して項目は考えよう! でも、サイトを作ってから後でよく考えてなおせばOKだよ!

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さて、サイドメニューだよ!横っちょによくあるやつだけど、いらなかったら置かなくてもいいよ! 最後に必要なかったらとってしまってね! サイトのページがどんどん増えていくときはあったほうがいいと思うけど、横にあるのがベストかどうかは決まってないよ!紙だからどんどん動かしてみてね!

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次は地味だよ! いわゆる、個人情報保護方針(詳しくはお父さんお母さんにきいてね)のリンクが置いてあったりするよ!でも、無理にリンクを増やす必要はないので、必要なときに置いてみてね!

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次は、このページのタイトルだよ!このページが何のページかわかるように、一番大きい文字サイズで書かれることが多いよ!ほかのページからきたときに、ページが変わったことがわかるためにそうしてるんだ! でも、こまかいことは、紙だから後で考えればいいよ!

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次は、文章だよ!ここでは線で書いてあるけれど、実際は用意してね!でも、必要なかったらとってもいいんだ! どういうときに書いて、どういうときにとっちゃうのかは後で考えて、変えてもいいよ! あと、写真も必要なら載せてね! やっぱり目で見なきゃ伝わらないこともあるからね!

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位置を動かせるよ! 箇条書きで写真の説明を入れても良いよ!これも必要だよ! Webを使う人は長文をじっくり読むこともあるけれど、流し読みする人もいるので、そういう人には箇条書きが良いよ! くわしくはニールセンおじさんの意見も参考にしてみてね!青地の背景がちかちかする時は目を休めて気が乗ったら読んでみてね!無理は禁物だし、おじさんだけの意見にこだわりすぎないでね!

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次にボタンだよ!ぽちっと押すものだよ!たとえば「お問い合わせ」とかね。 コレも必要なら置いてね!

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疲れて、解説に飽きてきたよ! ボタンよりも別の場所にリンクをはったほうがいい時は、そこに置いたほうがいいよ!いろいろ動かして試してみてね!

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ひとまず、コレで完成だよ!ただしココから色々動かしたりして、しっくり来るものをみつけてみてね!

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おまけだよ。 前ページ共通のメニューは使いまわしたいよね!同じの何度も作ると吐いちゃいそうだよね! そんなときは、OHPシートっていう懐かしいもの使うと良いみたい。でも糊付けしないと儚いことになるから気をつけてね! 技法に興味があったら、ペーパープロトタイプの本もあるよ!

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さあ、おまけ2だよ! でも、一番大事なんだ!このサイトを見る人のことを考えてみよう。 このページを見るときに、どんなものを探していそうかな?? シンプルだけど一番難しいところなんだ、このページの前のことまで考えなくっちゃいけないからね! でも、最初は書き込んでみよう! それで、不自然なところがないか考えてみよう!

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例えば、写真でもこんな風に思ってくれるなら必要だよ!文章も、それを読んだ人がどんなことを思うか想像してみよう。心のつぶやきを想像してみて!

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例えば、こんな風になると足りないものがでてくるよね!この場合は検討の余地アリだね! でも、色々動かしながら試してみると、無駄な写真が減ったり、必要な写真が絞れてきたりするよ! 写真でも、関係ないものだと混乱もするしね!

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おしまいだよ! 実際にはネットで見れるようになるまではまだいろんなことがあるけど、役に立つ部分もあるはずだよ!

紙でやると、みんなで同じものが見れるし、動かせる! それに、絵がかけなくてもある程度話もできるよ! でも、必要な部品は、どんどん追加してね! あとは、自分なりのやり方で工夫して使ってみてね!

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※今回は、よくプログラマーさん達が、コードをネット上で次々公開している感じをメタファーに。

■追記(2009/03/31) 『キッズのための、紙で作るWebサイト(というかページ)設計』 型紙テンプレート「ペパプロ君(試作・保証なし)」(とても言いにくい) pepaprokun.pdf(PDF/594kb・手書き風ときれいな線バージョンの2ページ) ※万が一使う方は、自己責任(どんなだ)で、はさみで手を切らないように、商用・非商用・教育・研修限らず、自由に試してください。

追記(2009/04/08):マグネット版はこちら

これを、ポストイットA4印刷用紙(ピクプレ)に印刷して貼ったらペタペタしていいのかな・・? 探し回っていたら無印良品の「透明付箋紙」というものを発見。メモしとこう。

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2009年03月29日 18:44Fujii

「体験」を伝える(受け取る)ために「文書」以外にも方法はないのか?

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文字だけ書いて絵を入れていない状態のものを発見したのでマンガにしました。(メモして終わりのものがいくつかある)

以前の『本もいいけど、ワークショップが先でもいいみたい』という記事と同時期のメモです。 以前の記事を描くときに、「文書による議論や定義」と「やってみる」のバランスについて思考が向いたので、お蔵入りしていました。

何度か書いていますが、「体験」を、誰かに伝えるときに「文書化」だけが方法ではないということです。 「文書化する体験」と「できた文書を読む」も、全く異なります。

普段を振り返ってみると、接している文書はたくさんあります。

本、報告書、ブログの記事など、そこで伝えようとしているものが「体験」からくるものであれば、読んだだけでは抜け落ちた部分がたくさんあることを忘れないようにしておくと、より良い結果が生み出せそうです。

「体験」を伝える(受け取る)ために「文書」以外にも方法はないのか?を自分に質問することは大事かと。

この辺は長くなるのでまた別の機会にでも。

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2009年03月28日 20:39Fujii

作るものとデザインリサーチ

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もともとは収集癖があるわけではありませんが、振り返ってみると、なにかきっかけがあって、でもうまく整理できていないときに「集める」ことの有効性を感じています。

言葉で言うと、「洗い出す」ことに近いかもしれません。「洗い出すために集める」、そんな感じです。

頭の中で把握しきれていないから、外に出してみる。 外に出すだけで満足するのではなく、整理する。

外に出すことと整理する作業は中盤は重なってくる。

  1. 前半は、収集
  2. 収集しながら、整理する方向を決める
  3. 後半は、集めたものをおおまかにグループ化してラベリング

KJ法に似てます。(ポストイットは使いませんが) 自分では、まだまだしっくりきている手法ではないのに、不思議と似ています。

KJ法についてですが、「KJ法とは・・・」といわないほうがいいのかもしれません。 その理由は、手法をなぞることによって、正解がはじき出されると勘違いされてしまうのではないかと思うからです。

自分自身「なんだか、扱おうとしていることの量が多くてもやもやして、わからないな」という状態になったときに「集める」気になります。

この「わからないな、整理したいな」という欲求がある状態ができていないと、手法の順番だけなぞって、正解が出てくるのを待ってしまうという状態になることもあります。

つまり、「なんか、いわれたとおりにやったけど・・・それで、どこから答えが出てくるの?」という状態よりも、「わからないな、整理したいな、KJ法どうだろう?」と言う状態のほうが吸収が良さそうということです。

マンガの中に出てきたデザインリサーチはこちら

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2009年03月26日 23:59Fujii

『聞きとりの作法』を読んで「なかば構造化した聞き方」

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「仮説」を「検証」するといえば、ある意味そうなんですが、「検証」だけにこだわらない。過程で出会った新たな「仮説」の種を積極的に受け入れる心構えだと思います。

KJ法でも、短いスパンで繰り返していると思います。「見出しのつけ方は、こうかな?」とやってみて、しっくりこなければ、また別の見出しを考えたり。

ユーザーの使っているところを観察するときも、事前にウォークスルーなどで問題点の仮説を立てておきつつ、予想していなかった部分が出てくれば逃さずに記録したり。

都合の悪いものは見てみぬ振りして完結するような「仮説検証」とは違う点があります。常に、新しい発見につながるような「探索的な部分」を意識して残すという部分が違う点だと思いました。

最近、「あたりをつけて」「調べて、書き出して洗い出して」「整理して」「予想を立てて」「試して」「結果がどうだったか整理して」・・・という取り組み方はいろんな場面で使えると感じていて癖にしようとしています。

元々は、手法などを生活の中で体現(参加者から見た横浜ワークショップ2008 その14 「自分以外の視点を得る」)する(=使ってみるというか)としたらどうなるのかな・・・というようなことがきっかけです。

「相手の話をきかずに、ユーザ視点やユーザ調査の大事さを力説する人」ってのはコミカルなわけです。

それはそれで、人間は夢中になるとそういう矛盾しているところもあっておもしろいよねと思うんですが、と同時に、もしも、その人が実践しようとするならば、目の前の相手のヒアリングからはじめるのがスタートになるし、そこで得るものもあると思います。

そして、ただ力説する方法だけではなく、「こういうのはどうかな?」と考え(仮説を立て)、いろいろな方法を試してみて、効果を検証して・・・となったら、得るものがあるのではと思います。

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聞きとりの作法

「視点」は「発想」、会議に別部署の人にあえて参加してもらう理由

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「発想」を得るには、

  1. 外の人の頭を利用して、「視点」を借りる
  2. 自分の「視点」を変える

必要がある。

以前に「自分は関係ない会議に呼ばれて、なぜか企画だけだしてくる」という方の話をきいたことを思い出しました。

会議で別部署の人にあえて参加してもらうというのも納得。

「視点」は「発想」。 デザインリサーチ(『考現学入門』と『発想法』と調査(デザインリサーチ)の情報収集)もそのためかと感じます。

かなり今さら感想ですが、『ペルソナ作って、それからどうするの?ユーザー中心デザインで作るWebサイト』でおもしろいと思ったのは、文書による共有をゴールとしていないところなんです。あくまで、「視点」を得ることを重視していると自分は読みました。

今、少し考えているのは「視点を生かす」こと。

意外と多いなと思うのは、「視点」を手に入れたものの、結局モードが切り替えられず、「今までどおりで・・・」になってしまうこと。核心に触れるような「視点」こそなかなか切り替えられない。

これはある意味とても人間らしい行動ですが、勿体無いので気をつけねば。

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ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト
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2009年03月24日 21:53Fujii

「能力」は「動き」ベース

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※マンガの中、遷移の間違いですね。

「能力」は「動き」ベースなので、変に役割が決まっているよりもずっと楽です。 全体の作業ステップを見通していれば、足りない「動き」もわかります。

全体を見通したマネジメント感覚があるかどうかは、初対面でもすぐわかります。 苦手な人はほかのことをすれば良いしというか自然におさまる、という感じでここもまた「動き」ベースなので、役割が決まっているよりはずっと楽ですね。

役割分担に捉われがちな場面と比べると、この「動き」ベースというのは非常に重要な気がします。 おそらく、「役割」というのが、「動き」とうまくひも付けられていないことが多いからかもしれません。 時間のない中でワークショップをやっているとものすごく感じます。 (先に「役割」を決めて、お互いに頑なに踏み込まないようにしていると、時間切れになります(笑))

ワークショップは、人の仕事の進め方を知るチャンスでもあります。知るというよりも、体感する感じです。 「ノリ」がわかるので楽しいです。

さらに、参加後のその人のブログを読むと、あのときにこんなこと考えていたんだとわかるので、また得るものがあります。 口下手でも、文章では色々書いていたり、人それぞれ持ち味があるんだという当たり前のことを再確認します。

人相手ですので、たくさん失敗しますが、そういった経験を積むのもいいのではないかなと思います。

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「やる気」があるときに「やる」

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「やる気」をどう出すか?について論議されるのは「やる気」が重要だからです。 と同時に、「やる気」は人それぞれ決まっているわけではなくて、時期によって変わります。

だから、「やる気」があるときに「やる」という状態が良い。あとは、その受け皿が良いタイミングであるととても良い。

「ワークショップに行きたいな」と思った日が、ワークショップ日和であるし、時間やお金を払って行くという時点でやる気があるわけです。それって、テンションがイマイチ上がっていない人と比べたらすごいことなんですね。当然、「非日常」も受け入れられます。

なぜ「非日常」が大事かというと、「いつもと違うルールを試してみる」ことがない限り、絶対に進化は起きないというシンプルな原則が関係するからです。

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2009年03月22日 16:45Fujii

「肩書き」よりも「動き」をベースにした役割分担

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「『動き』によって判断される。」ということ自体が、ワークショップのルールにも関係があるかもしれません。 「非日常」なので、事前に「役」を決めることが一番ではなくなることが、原因ともいえます。

ワークショップによっては、事前にこの役でということがあるかもしれませんが、そういった場合は変わってきそうです。ただ、「初対面」の人々が集まることを前提とした場合は、やはり肩書きよりも、「動き」がベースになるのが自然です。

「役」に「やること」がひも付けられている場合に、「役」を固定化することは、「やること」を固定化することになります。その「役」になった人の動きや能力が、ひも付けられた「やること」とあっていない場合も修正ができません。

対して、「動き」を観つつ、「やること」を振り分けていく(というより分担がどうのというより時間もないので自然におさまるところにおさまる感じ)ほうが、「役」に縛られないので、その「人」に適した「やること」を振り分けることができます。 (明確にワークショップのルールとして「役」を決めなければ、自然発生的に起きることが多い)

※余談ですが、ワークショップのテーマやメンバーによっては、「今回は動く余地がなかったのでサポート」という参加者もいるのが自然です。無理に役ありきではないので。

例えば、「Webデザイナー」や「Webディレクター」という肩書きが同じ人でも、情報の構造から、ビジュアルにスパッと落とすことが、できるかできないかで違います。

役だけが先行でいくと、「Webディレクター」であるけれども「情報の構造化ベースのスケジュール管理」ができないということが起きた場合に、チームとして対応できなくなる可能性もあります。

スポーツのフォーメーションもポジションはありつつも、その場のポジションごとの選手の能力や動きを見つつ、全体のフォーメーションを決めていきます。 ポジションごとに、固すぎる分担を決めても対応できないのは自然です。

このあたりは「初対面」か「社内のワークショップ」なのかはあまり関係なさそうです。 ただ、こういった役割分担の仕方自体を「今までのルールではなく、新しいルールで試してみる」ことがしやすいのは、やはり、「初対面」のほうかもしれません。

と、ちょっとそれてしまいましたが、ワークショップではよく「動き」をベースにした役割分担が行われるので、その視点で書いてみました。

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2009年03月21日 02:15Fujii

「非日常」=「当然、いつもと違うことが何か起きることはわかっている状態」にシフトしやすいのはどちらか?

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さっそくですが、棚橋さんの『グループワーク』(DESIGN IT! w/LOVE)では「意欲」「能力」「発想」の視点で書いています。一読あれ。

違う部署・チームのメンバーを集めてやると初対面に少し近い面があるかなと考えていました。

お互いを「知らない」ということが大事なのかもしれません。 「知らない」ので「動き」のみでフォーメーションが決まる。

そして、ルールや設定がうまく機能したときに、ワークショップという場が持つ、「その場の動きのみで判断されるというシビアで、尚且つ固い分担ではない柔軟なチームワーク」という特徴が顔を覗かせる気がします。

昔、自分自身で軽い社内ワークショップをやったときには、普段の上下関係がそのままチーム内に現象として表れ、非日常(=今までのルールを置いておいて、新しいルールを試してみる)にうまくシフトしきれなかった時間帯ができてしまったこともありました。

初対面同士だと、それだけで「非日常状態」になりますので、この点は入りやすいかもしれません。 ですので、社内ワークショップなどは、この「非日常」であることをいかに位置づけられるかも大事なポイントになりそうです。(内部でどこまでできるかが問題でもあります)

「非日常」とは「当然、いつもと違うことが何か起きることはわかっている状態」ということなのですが、これは結構大事かと。

ちょっと眠くて頭が働かないので、今日はここませ。

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2009年03月20日 16:49Fujii

ワークショップ再考(コート、ルール、下準備、そして参加者)

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昨日は書き損じましたが、ショックを受けたというのは、実際に結果が重要なのはワークショップよりも仕事のほうなのに、うまくいかないとしたら、それはいったい何なんだろう?と思ったことがきっかけです。

仕上がりの違いを考えるんですが、まずはワークショップの要素を挙げてみました。 この要素自体はどの場合でもそんなに変わらないはずですが、ひとまず前提として。

描いたようにルールや下準備は大変です。一度やる側を体験した人ならわかると思いますが、セミナーのように説明するだけではないからです。

短時間ですので、その際に問題が出た時の対処や準備も考えておく必要があります。(必要な物だったり、説明方法だったり)

また、何かを感じ取ってもらうというゴールが大抵設定されています。難しいのは、自分の説明ではなく、本人にやってもらうことによってです。 だから、そのためのバランスを考えなければいけないし、参加者のスキルによって手ごろなハードルを用意することがとても重要です。

と同時に、主催する人が進行も兼ねる場合だと、はじまってしまうと全体はざっと観ることになるので、どういうことが起きているかの詳細は掴めないはずです。 パーティーで司会をしても、各テーブルで何が起こるかは詳細に掴めないのと一緒で、参加者もワークショップのとても大きい要素です。

この時点で、いわゆる座学のような、わかりやすい先生、生徒の形ではないことがわかります。

さて、参加者が、まず、その用意された場に入ってまずやるのが、役割分担です。 明確な役割もあります。(タイムキーパーは誰でというような)

しかし、もうちょっと柔軟な役割分担がワークショップの特徴かもしれません。詳しくは次回。

↓手ごろなハードルはこんな感じです。

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なぜ、ワークショップの仕上がりが違うのか?について、事実(体験)ベースで考えてみる

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一般的にどちらが良いとか比較するというよりも、ちょっと単純に人の行動とかの視点で考えてみたいと思いました。

「仕事」「組織」という塊や概念ではなく、人は個人個人違うというくらいの視点を持ちつつ。

このあたり、Webサイト制作に関わっている人だけの話ではないですが、どうなんでしょう?

プロジェクト、部署、イベント、分業、ちょっとしたチームワーク。人の要素はかなり大きいはずです。 たぶん、人それぞれ振り返ると、いい感じのときと、イマイチなときがあるはずですが、どんなときに良いパフォーマンスを出しているか気になるところです。 (ウマクいくチームといかないチームがあるのは、「ウマクいくチーム」がチャンスをものにできる可能性が上がるという意味では、いい事だとは思います。)

次回は、ワークショップ自体の基本的な要素の、「ルール設定や下準備の重要性」についておさらい。

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2009年03月19日 01:27Fujii

そもそもどういった項目があるかを定性調査で探す

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ちょうど今読んでいた「経営学のフィールド・リサーチ」という本でも、

定性と定量の分析の位置づけの文脈のなかで、理系の定義を引用され、

たとえば、岩波書店刊の『理化学辞典』では、「定性分析」(qualitative analysis)を「サンプル中の未知成分の種類を知るための化学分析」と定義しています。 つまり、サンプル中の未知成分物質の量を知るためには、成分物質の種類を知る必要があるので、普通は定性分析が先に行われる必要があるということを言っています。本来は、成分の種類を特定しなければ、それぞれの成分がどれくらい入っているのかを調べることはできません。 『経営学のフィールド・リサーチ―「現場の達人」の実践的調査手法』の中の佐藤 郁哉氏の章より

と書いてありました。

「考現学入門」では、

街上における通行人の統計をとる際についていえば、そこでも始めから立てられる項目というものは荒っぽい項目しか立てられない。性別、年齢別の項目はどこの街でも共通なものとして立てられるが、精細な意味をもたらすところの項目になると、その街上の人の流れをよほど手落ちなく観察したあとでなくてはいけない。 『考現学入門』今和次郎

と書いてあります。

自分自身は、事前に調べられるだけ調べて、こういうところに着目したらいいのではないかなと、机上で一度考えてみるのは問題ないと思います。 その後、定性的な調査をやってまた変更したりすればいいのではないかなと思います。 とはいえ、定性的な調査を「未知成分の種類を知るため」という例えは、なるほど!と思いました。

こないだのワークショップ(ユーザー中心のWebサイト設計に参加して考えたこと4つ)でも、ユーザー調査を読んでいて、自分の想像している範囲のことと、そうではないことがあったので実感があります。

もちろん、定性調査の結果が全く自分の思っていたことと同じ(もしくは読み取れなかった)場合は発見がないとは思います。

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2009年03月17日 23:39Fujii

「調査を報告する人」と「調査の報告書を読む人」の違い

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「一番の勉強方法は、人に教えること」であったり、「試験勉強は過去問から」というように、アウトプットをするということが、インプットを違うものに変えます。

「調査結果の報告を読むこと」と「調査して報告書を作ること」の間には大きい大きい溝があるはずです。

よくものを観て、何かの形に残そうとしてみて、また観てと繰り返した人と、そうして作られた報告書だけを見る人では脳みその状態も変わってきます。

場合によっては、「報告書」を作ることが目的ではなく、理解するために「報告書を書く」ということが目的になってもいいはずです。

こないだのワークショップでは、アウトプットしたものをまた他者がインプットするのできれいに書く必要がありました。しかし、きれいに書いたとしても、根本的には、自分が理解するための、ある意味おまけ的なアウトプットを見ても、他者が同じように理解できるということは絶対にないはずです。

「体験のなかで理解したこと」を伝えるためには、伝える相手に「体験」してもらう必要もあります。 逆に、「体験のなかで理解したこと」を受け取るには「体験」する必要があります。

そう考えると、結論はかなり普通のことになりますが、 何かの調査結果だけを漫然とただ読めばいいのではなく、調査結果を作る人が、その過程で理解したことを少しでも同じように理解するつもりで読む必要があります。

そのためには、調査結果自体だけでなく、調査した人になりながら、自分で調査したらどういうことになるかな?と想像しながら読むことも大事なことかなと考えました。

次回は、スケッチだけでイマイチわからなかったこの本の調査ですが、なるほど!と受け取れたと思われる部分について。

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2009年03月16日 22:58Fujii

「考現学」というコンセプト 民俗学、人類学、民族誌、考古学との関係

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学者さんなので分担をはっきりさせることが求められているようで、「考現学」のコンセプトについて、考古学、民俗学、人類学、民族学、民族誌と似ている点も書いてありました。

このあたりは専門ではないのでさっぱりですが、

民俗学は、古い民家を対象にしがち、 人類学、民族学、民族誌は、対象が未開民族。 考古学はちょっと対象が古い。

というように書いてあります。

マンガにも描きましたが、おおよそ

未開発民族の研究に使われている方法を文明人の研究にも適用してみたい 『考現学入門』今和次郎

という感じと理解しました。 このあたりは、色々な学問と重なっているようで、説明されているようですが、自分にとってはあまり重なっていても、重なっていなくても、どちらでも構いません。実際、考古学と史学もある意味では重なる部分もあったりするようなので、もともと学問は分けにくいものもあるみたいです。

なので、専門でもないので定義に関してはこの辺にしておきます。

詳しく知りたい場合は本を読んでみてください。 (ちなみに1923年頃のリサーチの話が出てるくらいですので古いです)

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発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))
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2009年03月15日 01:13Fujii

『考現学入門』と『発想法』と調査(デザインリサーチ)の情報収集

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デザインリサーチについてですが、読んだ本自体はかなり古いです。

デザインリサーチについては、以下参考記事です。 『ノキアデザインは“生活密着型リサーチ”から生まれる――Nokiaのチップチェイス氏』(ITmedia +D モバイル)

そのリサーチを生かすときにもグループワークの人の要素がはいってくるのですが、今回はデザインリサーチの部分についてです。

(先日、参加したワークショップに関しては『ユーザー中心のWebサイト設計に参加して考えたこと4つ』以降をどうぞ)

『考現学入門』は読み途中ですが、スケッチですがインフォグラフィックの要素もあったり、なかなかおもしろいです。(「考現学」という言葉自体は独り歩きしている感もあり、詳しくは調べてみてください。)

似ていると感じた妹尾河童さんの本もそうですが、情報だけ見ると、「それで何なの?」と思うこともあると思います。

ガイドブックや博物館のような感じで、詳細に情報が集められていて、インフォグラフィックス・地図・間取り図・図鑑などが好きな人には好きな感じですが、そうでない場合はそれが何なの?それをどうするの?というように思う人もいるかもしれません。

KJ法の情報収集フェーズに少し関係があると感じています。

今回自分が考えているのは図としてのおもしろさ云々の部分ではなく、「図そのものを他者が見てわかるかというよりも、結果的に、試行錯誤し描いたり作る過程で本人が理解する」という点について考えながら読んでいます。

ちょっとそのあたりに関しては、また別で。

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2009年03月13日 00:16Fujii

本もいいけど、ワークショップが先でもいいみたい

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比較してみました。

右のスノーボードの場合は、一番下からはじまることが多い。 左の場合は、書籍を「読む」ことが重視されていたりする。

右の場合に、書籍を読んでるだけだと笑い話になる。 左の場合は、体験が軽視されているときもある。

右の場合、「体験」を軸に他のものに触れる 左の場合、「体験の場」自体ないこともある

右の場合、主張ももちろんあるが一貫して軸は、人がやっていることの情報が多い 左の場合、主張も多い、人がやっていることの情報がないこともある

右の場合、人がやっている写真や映像、それに文字情報 左の場合、文字情報が多いほどなぜかいい、写真、図はこどもっぽいと見られる

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2009年03月11日 00:30Fujii

ワークショップという動きの中でだと、はじめてのウォークスルーもやりやすい

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今回はスポーツ(というよりスノーボード)との比較をほんの少しでしたが、また別の機会でもうちょっと描いてみる予定です。 もうちょっと、コミュニティ的な面も含めて比較してみるつもりです。

重要なのは、一人で本だけ読んでるよりも、皆でやったほうが楽しいということと、時間で区切られた動きの中で行うので、やらなければ何も起こらないし、失敗すれば目に見えるし、それゆえに「一度でうまくいくはずがない」ということが結構暗黙のうちに共有されているということだと思います。

今回ワークショップでは、なんとなくあっているかわからないものを一人で悶々とやる宿題よりも、当日のグループワークのほうが楽しいということを言っていた人もいました。

あんまり、書籍だけというようにばらさないで、「やるための場」もセットで考えられそうなものは、セットで考えたほうが変に頭でっかちにならないといういい面もありそうです。

↓スノーボードのキャンプの様子(ワークショップのメタファー?)

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2009年03月09日 23:12Fujii

ウォークスルーをするうえでよくあるちょっとした壁

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特にはじめてやったり、妙にテンションが上がりすぎてしまったり、緊張しすぎてしまった時に起きます。

  1. 恥ずかしい
  2. 棒読み
  3. 暴走

です。

恥ずかしい 必ずしもセリフを言わなくてはいけないものではないと思いますが、生活の中の行動を意識せずに、わかっている手順(シナリオを知っているのは当たり前ですが)を、なりきらずに省略してしまうとちょっとした改善点を見過ごすことになってしまいます。

棒読み シナリオ自体をあまり理解していない。緊張している。手順としては理解しているが、シナリオを外から見ていただけだった。まだ、はいりこめない。なりきる限度はありますが、誕生日プレゼントを選び時に、あげる相手にちょっとなりきるような心の準備は必要でしょう。

暴走 「これぞユーザー視点!」とか、過度に手法を信じ込み、キャラクターを暴走させる。「ユーザは突然宇宙飛行士になりたいと思う!」と言い出すというのは冗談ですが、シナリオや前提を飛び越してしまうケース。 地味に重要なポイントだったり、ふと忘れていた点が浮き彫りになると思っていたほうが良いかもしれません。 うまくいけば、「大きな問題なさそう」という結果もありますし。

と、ちょっと冗談みたいなケースでしたが、生活感のあるシミュレーションは、最初は恥ずかしがっていたりしますが、活気が出る気がします。

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2009年03月07日 00:05Fujii

「動き」を入れたチェックでさらに良いものに

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前にも「作るものは目の前にあるものだけれども、そのものがダメだと使う人の生活に表れる。ということは、その生活の1シーンを作っているようなもの。」というようなことを描いた気がします。

手法としてどんな役割があるか考えました。

KJ法についての本を読んでいますが、この本のなかで、「図」を「文字」にすることで気づくときがある、また、「文字」を「図」にすることで気づくことがあるというようなことが書いてあります。

確かに心当たりはあります。図にしようとしたときにより関係性を意識したり、足りない部分に気づいたり。その逆で、絵ではOKでも、字にしようとするとうまくいかなかったり。

本では、どちらが良いというわけではなく、相互補完すると書いてありました。

同じように「動き」を入れることで、気づくこともあるのだと思います。その「動き」を考慮したシミュレーションを通して少しでも良いものができると良いですね。

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2009年03月05日 22:50Fujii

「要求」を忘れずにブレーンストーミング

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ここでも、アイデアを出すときに、夢中になってやっていると、書き出していた「要求」を満たしていなかったりすることが出てきます。アイデアを出すことは良いとは思いますが、満たしているかどうかチェックする必要があります。

昨日もちょろっと描きましたが、ある本にこう書いてあります。

デザイナーがデータから引き出すデザインは、単純に見えることかもしれない(「新しい携帯電話は、ポケットかポーチに入るサイズでないといけない。」)が、デザインされたものに対して、これが後に優れたチェックの意味をなすのだ。 『インタラクションデザインの教科書』

コレを読んで、デザイナーは、どういう要求(ユーザーの自覚しているもの、していないもの両方)をどう満たすかを取捨選択して考える人なので、事前の整理が役に立つのではないかと思いました。 ※引用させていただいた文章をデザインが単にビジュアルのデザインという意味で読むと混乱するかもしれません。

補足ですが、マンガの最後の「はじめと終わりがロジカル」というのは、「整理したことを頭に入れつつ、外れたものも含めてアイデアを考えて、またその後にチェックをする」と感じているからです。

「描く」については『 「絵」で会話する』や『参加者から見た横浜ワークショップ2008 その15 「わかる」と「描く」はつながっている』が『「デザイン」の「設計・計画」という面は、いろいろなことにつながる』が過去に描いた中で少し似ているのかも。

人によって、得意不得意な分野はあると思いますが、「描く」は「思い描く」ということと深い関係にあるかもしれない。また別で描きながら考えたい。

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2009年03月04日 23:52Fujii

「明確な要求」と「自覚していない要求(手順、手間)」

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「要求」は「こういうことをしているのはもともとどうして?」という質問をチーム内でしながら出していきました。 目の前の操作や機能が必須条件ではなく、別の解決策へ発想の転換ができると考えたからです。かといって、「明確な要求」も無理にはずす必要もなく一緒に記します。

※「要求」と言っても、インタビューの調査結果の「こういう機能が欲しい」ということをそのまま書くわけではありません。(それは別でメモしてもいいですが) ※余談ですが、ペルソナプロフィールはそんなに使いませんでした。そのあたりは別の機会に。

『インタラクションデザインの教科書』という本をもう一度読み直しています。幅広く書かれた本ですが、実際に行ったことと照らし合わせて読むとなかなか発見があります。

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2009年03月03日 23:59Fujii

事前準備その2 イメージの共有は言葉より先に目に見える物を使って行うと速い

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以前に描いた記事は『頭の中の辞書』『文字と絵の違いは?』『言葉からイメージに変換される(それも、結構適当に)』『本を読みました 「わかる」とはどういうことか』あたりで。

「わかる」というのはWebサイトを通じてユーザーが「わかる」以前に、グループワークだと、近くの共同作業者が「わかる」ことも必要です。

ユーザ調査の結果の文章、評価の文書、ペルソナというかシナリオの文書も社内資料としては大事かもしれませんが、それを作るのが目的ではなく、それをうまく読んだり、使い方自体をうまく共有できていなければ混乱の元です。

最近、「分業の失敗」についても興味があります。「分業」の意味もまちまちだとは思いますが、自分達が行っていることを「単なる作業の分割」と捉えると大失敗することもあります。

例えば映画の台本を前半と後半を2人で書かざるを得なくなった場合、単に分割すればいいわけではありません。 後半を書く人は必ず前半を読んで理解したうえで続けなければ、大切なクライマックスがめちゃくちゃになります。

同じような性質の仕事で制作に複数の人が関わらなくてはいけない場合は同じようなことが起きます。 分割せずに併走する形で進める必要があります。そして、併走するには、それなりの準備や新しい作業も必要です。

と、ちょっとそれましたが、以前の『インフォグラフィックス・ワークショップ1「実際にやったこと6つ」』の時に描いた中の「プリントアウト」を今回もやりました。

絵をさっとかけない人も使える手かと。

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2009年03月02日 22:40Fujii

事前準備その1 テキストエディタに書き出す

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↑こういうことを修正しやすいテキストエディタでやり直したという感じです。ただ、ポストイットの良いところは絵が描けるところです。

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これは、さすがに頭の中ではできませんでした。

複数のユーザ調査の資料を整理するステップメモ

  1. ざっと何度か読む
  2. そういえば、似たようなことあったなという部分を見つけテキストエディタに書き出す
  3. 資料で詳しく確認する(ユーザごとに書き分けておく)
  4. 勘違いだったものはそのままにしておく
  5. 似ているものは、まとめて名前をつけてみる
  6. つけた名前は少し具体性がなくなるはずなので、まとめる前の情報も残しておく。
  7. 誰がのほかに、課題(もともとなんのために・どうしたいから)、対策(どうやって・何を使って)、流れ(どんな順番で)、重視(何がチェックポイントだったか?)、仕方なく重視(もともとはそれがベストではないが目の前の状況ではポイントとしたこと)に分ける。空の項目もあるし、好きに増やしても良い。
  8. 資料をもう一度読み、記述箇所としては離れていても関係する点を探して書き出し整理する。
  9. もう一度資料を読み、気づいてない「似たような点」を探す。(5W1Hを使う)
  10. そんなことをしていると自然に暗記してくるが、特に暗記しなくてはいけないわけではない
  11. 書き出したものを見てみて、抜けた項目があれば探してみる

以上のことを行うと、複数の調査資料は均一の情報濃度ではなく、片方のあるフェーズ(例:食事に関する部分)は薄かったりしていることも見えてきます。

せっかくまとめたのに、まとめる前の情報をなぜ残すかというと、後でコンテンツや詳細画面を作るときに具体的なので参考になるからです。

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2009年03月01日 01:32Fujii

ユーザー中心のWebサイト設計(2日目)に参加して考えたこと5つ

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皆様ありがとうございました。 主にWeb関係の方で、それぞれ立場は違えど、その中で同じテーマに興味を持っている方が集まったので楽しかったです。

もう寝ますが、忘れないようにメモ。

  1. 宿題以外の事前準備したことで少しスムーズになる。
  2. 画面作成までは順番のステップではあるけれど柔軟に前後を行き来することになる
  3. ペーパープロトを使ったウォークスルーはほんとに大事(そして楽しい)
  4. ワークショップという動きのある中で作業すると、心理的にウォークスルー等がやりやすいのかもしれない。
  5. 本もいいけど、ワークショップが先でもいいみたい。

詳しくはおいおい。

関連サイト: なぜグループワークなのか(第2回ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ2日目)(DESIGN IT! w/LOVE)

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