2009年02月26日 22:09Fujii

今日は何を作ったか?

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以前にも描きましたが、自分自身は「デザイン」という言葉にそれほどこだわりはありません。 ルーツが「マンガ」なので、「デザイン」ってなんか「かっっちょいい」「お洒落」という嫉妬はありますが、 「つくる」のほうが感覚的に近いです。 「つくる」ですといろいろなものが入ります。もちろん「設計」のような面もいろいろと。

それはさておき、マンガの最後で話題にしたものはこちら。

Q Drum

ちょっとテーマが偏りすぎていて、極端でしかも、妙にわかりやすいですが。 去年(六月くらいかな?)の『Design for the Other 90%』という企画で紹介されていたものです。

「見た目も作っているけれどそれだけではない」という人のそれだけではない部分とは、一体それは何でしょう?

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2009年02月25日 22:39Fujii

「フレームで発見する」と「データから発見する」は両方うまく使う

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「フレームで発見する」ことと「データから発見する」ことは兄弟です。ひとつの「フレーム」に当てはめて終わりにしなければですが。

あとは、データを見てこんなところは重要じゃないか?と思ったらその「フレーム」でくくってみたりするだけです。もともとラベリング自体くくることですので、最終的には「フレーム」は登場します。

データを書き出すときに資料に書いてあったはずのことが書き出されてないこともあります。

人が変われば書き出す対象も変わるので、そんなときはもう一度資料を見て、該当する箇所を探して来ることが必要です。「フレーム」が変わりくくり方が変われば、それまで書き出していなかったことが必要になるという展開は自然な流れです。

「フレーム」を捨てるというのは、くくった「フレーム」では拾いきれないことはないか?を考えることがきっかけになりそうです。

今回のワークショップの代表的なフレームは、

  • 分類するワークモデルによるもの(時系列、その人の性質)
  • 作ろうとしているメディアによるもの(Webかそれ以外か)
  • 作ろうとしている目的によるもの(転換点、支払いなどお金の流れの視点)
  • テーマである旅行に関係あるかどうか?
  • 5W1H(以前観察の心がけのときも『観察のコツ「5W1H」』)

などなどです。

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KJ法の時のデータの大きさ(粒度)が大事

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ちなみに、2人のユーザーそれぞれは違う色のポストイットで書くように準備されていました。書かれた事に加えてもうひとつの情報(どのユーザーの情報か?)がわかるようになっています。

何重にもなったラベリングを表現するのもまた難しい。

趣旨とは外れますが、今回のワークショップのユーザー調査の量とかけられる時間であれば、ざざざっと読んで、頭の中でパーン!と要素を分解して、調査の資料をみつつペンで色付けして、それを書き出す、なんか違ったら、別の分解を頭の中でしてみて・・・・ということでも良さそうです。

全体を見て、各要素と構成がどうなるか考えるのだと思いますが、イメージとしては、目次のない本を読んで自分で目次をつけてみるといったところでしょうか。

全体を見て、各要素と構成がどうなるか?考える事は、色んな場面で色んな人がやっています。

  • マークアップエンジニアがデザイン案を手にしたとき。
  • ビジュアルデザインをする時にワイヤーフレームを見たとき。
  • ディレクターがプロジェクトのスケジュール表を作るとき。
  • プログラマーが案件を自分の使う言語でどう実現するか考えたとき。
  • 営業さんが見積もり依頼をされたとき。
  • 白紙を前に手書きボールペンマンガを書こうとしたとき。

得意不得意もあり、また似たようなことをやったことがあるか、それともはじめてなのかでも違ってきます。 「慣れ」も大きい要素。

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2009年02月23日 22:52Fujii

理解できるか?その後に、共有できるか?

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2つの乗り越えなくてはいけない壁です。

  • 理解する(ざっくりとでも)
  • 共有する(説明する、覚えている、きれいなアウトプットが出せる)

「ついさっきまでわかっていなかったことを、皆が共有できるようにアウトプットする」必要があります。 カオスになるのも無理はないかもしれません。

世の中の会議が、メンバーと書記・司会者とテーマによってさくっと終わったり、逆に迷走します。グループワークをやると各参加者の仕事上のある日のミーティングの様子を想像(妄想)できます。

そんな隠れた楽しみ方はおいておいて、実はもうひとつ壁があります。

きれいに書けたとしても、情報を小分けにすることで文脈(背景)がはぎ取られてしまうのです。 分けてはみたもののなんだっけ?となります。

例えば「Googleで検索」と記入されたポストイット3枚、「口コミ」と記入されたポストイット2枚、役に立たないフルハウスができた!という感じです。

ある程度小分けにしつつ、文脈を維持する方法(コツ・工夫)がなにか必要そうです。

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グループワークがうまくいく場合といかない場合の違い

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去年からワークショップをいくつか参加し、グループごとでの違いを感じたり、フェーズごとにはうまくいって、別のフェーズではうまくいかなかった経験もしました。

うまくいく場合

  • 一人が作る(リーダー?)、他は援護射撃。
  • 作るものが見えている、取捨選択のための用意とシミュレーション能力、役割ごとに何をするか明確でよく動く。タイムキーパーはいてもリーダーはいない(短時間のワークショップならなおさら)。

前者の場合は、一般的なグループワークのクリーン?なイメージとは違うかもしれません。 クリーン?なイメージというのは、「一人では生まれないものが皆の力で生まれた!」というものです。 実際には、周りの人はメインの一人をサポートしたり、打開案のアイデアを出すので、イメージとあっている部分もあります。 ですが、皆で合議制のような形で進むわけではないという割り切りです。そうすることによって、コンセプトが固まり、決定も速いので進みます。

また、後者のチームのメンバーは良さそうですが万能ではありません。

それは、ワークショップ自体のテーマ設定によっては上記の後者のチームでも、「作るものが見えている」状態になりにくいものもあります。

とはいえ、後者のチームではワークショップのテーマは外れつつも形にするという着地はできそうです。

ワークショップに参加する人は少ないと思いますが、仕事上でもなにかお役に立てば。

人間の相乗効果はまだまだ興味深いです。

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2009年02月22日 01:36Fujii

ユーザー中心のWebサイト設計に参加して考えたこと4つ

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棚橋さんの「ユーザー中心のWebサイト設計」に行ってきました(途中から)。 自分は参加してませんが一回目の様子(デジタルスケープのサイト)が大体どんなものかわかりやいかと。

今日はとりあえず寝ます。

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2009年02月19日 23:51Fujii

常にユーザーが見ている表面と、その裏側をじっくり考える

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マンガの中でちょっと変な表現になってしまった部分があります。 映画のセットの場合は実際には、撮影現場に入ってくる人はいないので用意する必要はありません。

しかし、もし人がいたとすると、表面を見て本物だと信じ込んだならば、裏側に何かなければ期待はずれで終わります。これはセットで裏側には何もないと誰かが教えない限りは、表面を見て判断します。

だからこそ、表面に気をつける必要がありそうです。

人間中心設計やペルソナは、一連の表面の連続を考えてそこに関わるところから優先的に手をつけていくという面があると感じています。

映画のセットだろうと本物だろうと表面は一緒なので表面をみて人は判断します。

誰かが何かを期待してドアを開けそうになったら、その裏を用意しておく。もしくは、別のところを開けてもらうように表面を変える。(これは以前の『クローズドカードソートで自分と相手のちがいを知る』に似ています)

映画『トゥルーマン・ショー』のように。

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表面の連続の中に出てこなければ、ないのと同じ

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なんだか不思議な気分です。 裏側も大事なんですが、その裏側の見える部分はまた表面になる。 それが繰り返していきます。ユーザーインターフェースの改善や、Webサイトの改善のための視点として最初に考えたことですが、人生もこういう面があると思うとなかなか感慨深いです。

映画『トレインスポッティング』で、たしかキャッチフレーズで、「Choose life」というのがあったことを思い出しました。(映画自体あまり記憶には・・)

そんな感じで、選んだ結果が連なっていて、選んだ人にはそれ以外のものは見えません。以前に、『 ペルソナが今いち理解できない人へ』というエントリーの最後に紹介した学生の発表、がおもしろいと感じたのは、ちょっと関係があります。

その人にとっては、常にアルバムの写真のように、場面が紙芝居のように連なっているんだなというのがおもしろいです。 「自分も誰かの場面に入っていて・・・・」と、そんなことを妄想すると楽しいです。

映画のスピンオフやオムニバスの作品を見ると不思議な気分になるのと似ています。

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2009年02月18日 01:29Fujii

なぜ表面が大事なのか?

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最近、分業や順番について考えています。全くまとまっていませんが、コンセプトが先で設計が先、さらにビジョンが先というような面が、なにかひっかかります。

接点となる表面の部分が最後の装飾のような扱いだと何かかがずれてくる気がします。 上流工程下流工程と分けたりしますが、最終的に接点となる部分が一番大事です。 その大事な部分が下流とされていると何かおかしい。

コンセプトもビジョンも接点にはならないのです。かといって不要ではないはず。

整理できたらまた描きますが、具体的に表すことができてはじめて、下書きの状態でも話ができる気もします。具体的に表せないのに下書きだけで話していても機能しないかもしれません。

なんとなくですが、表面の具体化とコンセプトやビジョンが横に並んでいて、その時々によってどちらが先かが頻繁に入れ替わりながら使う人に向けたものを作るというイメージがあります。接点からビジョンやコンセプトに指示を出すこともありそうだなと考えています。

思いつきレベルですが、この違和感をもうちょっと整理してみたいと思います。

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2009年02月16日 23:49Fujii

表面とその裏側

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写真はこちら。夜なのでピントが合ってません。なぜか、夜刺さってることが多い気がする。 夜にカメラを向けている先がコレだと不審人物ですが気にしないようにしました。(ちょうど人に見られてしまいました)

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下の写真がだいぶ前に撮ったもの。一緒にいた人に、「何撮ってんの?」とこちらも不審がられました。 (ようやく日の目を見ました)

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決して、写真の撮り方に通販のようなBefore→Afterのように演出をいれたわけではありませんが、同じ穴でも、上の写真はポイ捨てと変わらないもので、下の写真はちゃんとゴミ箱として成り立っている形です。

表面は似ています。

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チームの感覚がそろっている場合とそろっていない場合で差が出てくるのはいい

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少し俯瞰した感覚を描いてみました。

何がうまくいって、なにがうまくいかないかの明確な線引きはできませんが、Webサイトの制作に関わっていた経験から、同じパターンで良くない方向へ進行していると感じるときがあります。

スポーツに例えると、初めての人が必ずはまる落とし穴があります。おおよそ、買う道具であったり、色々と失敗はするのですが、初めての人を何人か見ていると同じパターンの失敗があります。

その中には、自分が初めてやったときに失敗したようなこともあります。

なんだかよくわからないですが、不思議な気持ちになります。情報量と実体験するかしないかという決定的な差なのかもしれませんが、アフリカの牛の群れが次々と河に落ちていくのを見ているイメージです。

難しいのは、現実に目に見える河だと、「落ちるよ」ということが共有しやすいのですが、サイト制作のプロジェクトの落とし穴のように目に見えないものだと「落ちるよ」という話をしていても、相手にとっては「どこに?見えないよ」ということになります。

さらに、全国各地で同じようなことが起きているのではないかと想像するとなんとも不思議な気分です。 もしかしたら、Web制作だけではなく、いろいろなプロジェクトで同じようなことが起きているという想像もできます。

自分の周りではもちろん致命的な失敗はしないほうが良いですが、実際にチームで差が出るのは現象として当然で、そのこと自体は良いことだと思います。

マンガ内でも描きましたが、うまくできたチームの武器になるからです。

2009年02月14日 17:52Fujii

小さいことだけど致命的な点

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説明を太字に変えたことで良くなったのかという点と、もともと太字に変えないと読めない人がどれだけいるのか?という点の2点については置いておきます。

前提として、「書いてあるから読まないほうがおかしい」という感覚で、決め付けてしまうと改善の種を見過ごすことになります。(実際に、人間中心設計とかユーザビリティとかUXとか、その手のプロセスをや制作をやっていない場合でも、ジャンルに共通する視点はこういうときに役に立つと思います。)

検討してどうするかはまちまちですが、偶然でも今回のような「意見」というより「反応」の情報を得られてラッキーとおもうかどうかです。

コンセプトだけ立派でも、最終的に今回のように小さいけれど致命的な部分があるともったいないです。サイトをより強くすることが必要な場合には、小さい点も検討してみることが役に立つと思います。

個人のサイトでやるのであれば、サイトを強くしたいと思った人が個人でやれば良いのですが、会社やチームで行う場合は根本的な感覚が共有できているかどうかが壁になる場合があるのではないかと思います。

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「紙」なら読み飛ばされてもいいのか?

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Web制作業界の方なら、おなじみな話題ですが「紙」と「Web」は違うというテーマについて考えてみました。

このあたりは、似てる部分も含めていろいろ比較すると尽きないのですが、それはおいておき一部分から考えたことです。

時々、思うのが「紙ならいいけど」と話すことがあります。主にビジュアルデザイン面での話です。 上から順番に読むのと、全体がパッと目に入るという点は抜きにしても、なんとなくニュアンス的に、紙のほうが許されるラインが広そうです。

そんななか、ふと思ったのが、Webは単にシビアであるということと、「ユーザビリティ」に代表されるような視点の文化があるからではないかと思いました。

「紙」でも作ったものが実は読み飛ばされているとしたらどう思うのか?

文化の違いがあるかなと感じていますが、実際はどうなんでしょう?

2009年02月11日 03:28Fujii

『仕事は楽しいかね?』を読んで 「遊び感覚」で!

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階層構造をロジカルに画面のデザインにするときも、実際には決まったルールに収まらなかったり、二つ三つのロジカルなことを組み合わせていると思います。

その組み合わせのときに、フットワークの軽さがあるといいのではないかと思います。 そのあたりが、関連書籍だけ読んでいるとこのジャンルにかけている部分かなと思っています。

人間中心設計や、ユーザビリティ、ペルソナ、インタラクションデザインなどは、比較的固いキーワードが並びがちですが、「遊び心」を持っていてはいけないという分野ではないはずです。

ちょっと、心配なのは「遊び心」という言葉との組み合わせが違和感を感じるような分野になってる気がすることです。バランスがもうちょっと取れても良いかなと思います。

むしろ、「遊び心」があれば、手法自体をカスタマイズしたり、さらにその先へ楽しみながら何か見つけにいけます。(たとえ、少しくらい間違っていても)

もともと、これらの手法はあれやこれや考えながら使う人へのプレゼントを作っていると考えると結構普通に楽しいと思います。ペルソナがピンとこなかったり、イマイチ好きじゃなかったら『そばにいる人中心デザイン』でも。

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仕事は楽しいかね?
仕事は楽しいかね?

2009年02月10日 00:54Fujii

『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』を読んで。今のところ「クリック傾向」と「キーワード」と「リンク」かな?

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以前に本を読んだ後に書いた『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』というエントリーや『絵で見てわかる、インターネットのサイト同士の関係』とつながります。

今回の本は、そのさらに外側、利用者に近い部分からです。情報がどのように散らばっているか?や将来その情報とどう関わるのかというようなことを読みながら考える本です。

10年後どうなるかな?と普段考えるのが好きな人には良さそうですが、ネットを良く使っている人には、もしかしたら少し物足りないかもしれません。ブログやソーシャルブックマーク、Flickr、mixi、Twitterなど使用していれば肌で感じていることも多いでしょう。

それはさておき、自分も、未来はどうなるかな?と考えるのが好きなので、思ったことをいくつか。 現在情報を見つける手段は、

  • 文字・数字
  • クリックの傾向
  • リンク

というのが、基本かなと思います。

文字・数字 情報といってもきっかけは「キーワード」。 文字のマッチングはしやすいが、希望のものとマッチングするかは別。 とはいえ、文字情報は検索しやすいので不滅。 タグ情報もここかな。GPSの情報とかも。

クリックの傾向 履歴を元に似ている人に勧める。レコメンド。または、ランキング。 集計者のデータベースにデータとデータのつながりの情報がたまっていく仕組み。

リンク ソーシャルブックマーク、ブログからのリンク。そういった基本的なもの。

基本的にはこれからもこのような感じかなと。でも、重要なのは、同じようなことでも簡単になることで頻度や密度が上がるってことなんだと思う。 掲示板は昔からあったけど、ブログやmixiで何かが変わったように。

そういう話はさておき、それ以外に考えたのは、よく体につける機械の話。

ユビキタスなんてテーマのときに、頭にガシャーン!バーチャル!未来!というような機械。 一番考えるのは「そんなカッコ悪いもの事情が無ければ身につけないよ」ということ。

これって、生活や文化となじんでるかということだと思う。コンセプトカーのような流線型がホントに未来の姿?ということと関係あるかもしれない。

前にも書いたかもしれないけれど、「AKIRA」というマンガの未来は昔ながらのラーメン屋もあり、SF的な建物もあるというもの。無機質なだけの未来はたぶんこない。

100年経ったって、茶碗が好きだし、コタツを使ってるに違いない!(いや・・!コタツは進化してるかな・・・でも完成度高いし・・うん。残るに違いない)花火も着物も残る。 どんなに、未来っぽい形でも、その上にジュースをこぼしたり、子どもが落書きしたり、スキマに変なゴミが挟まったり、使われなくなったら段ボール箱に入れられたりするような生活感があるのが未来なはずだ。

昔の人の憧れの腕時計型の電話(通信機?)は誰も使わず、携帯電話が使われている。 憧れたけど「かっこ悪い」と思ったんじゃないのかな。いい大人が腕時計に「もしもし、いつもお世話になっております」は。

ファッション性と無縁じゃないはず。特に身の回りに、もしくは身につけるのであれば。と考えていたら、なんか超小型化されて普通のサングラスみたいな写真もこの本に載っていた。

でも、どうなんだろ。iPhoneみたいにファッション性があっても、人間と一体になるというより、切り離して、iPhoneを使う時間、使わない時間をきっちり分けてると思う。

カメラもそうだが、小型化されて、おでこに埋め込んで24時間ずっと撮りっぱなしにするというよりも、カメラを構えて写真を撮る時間があるから良いのではないかなと。

「旅行きたのにケータイでテレビ?」という感覚。(旅館で休んだり困ってるときとかじゃなくてね)

だから、ぐいぐい出るんではなく、生活を裏方で最新の技術が支えるかもしれない。 (スキー場でナイターぎりぎりまで滑ってたら、まだ乗っているのにリフトを止められて、やばい・・・!と思った人が、必死でケータイでGoogle経由でスキー場の電話番号探して、ケータイから電話して動かしてもらうというように)

うまくいえないけれど、そんな風などこか生活感のある未来を考えた本だったりしました。

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Webプロフェッショナルのための黄金則 Webマーケティング/広告戦略のセオリー (Web Designing BOOKS)
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2009年02月08日 17:03Fujii

「アドバイス」をうまく扱う方法

1.「意見」と「反応」のどちらに近いか区別する

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「反応」に注目すると、昨日と今日で、同じ人にアドバイスをきいたのに違う答えが返ってくるのはなぜだろう?という発想になります。また、ココをこう変えたらどんな反応を示すだろう?という発想もできます。

2.一人の「アドバイス」だけをアテにしない

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自分が「意見」をもらう相手は誰なのか? 「反応」をもらう相手は誰なのか?

まずは、そのことについて考えて、アドバイスを整理したり、アドバイスをもらう相手を変えてみたり、増やしてみたりすることになります。

具体的には、製品を使う人の反応ではなく、実際に使わない人の意見や反応ばかり集めてもしょうがないですし、発表のときのオーディエンスを意識していない意見や反応も整理してふるいにかける必要もあります。

3.「アドバイス」に「対話」をとりいれる

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意見を聞く、反応を得る。その結果を記録しておく段階を経て、会話すると良いと思います。 なんだかよくわからないまま「そうですね」といってしまって、後で実際にやるときに「どうするんだっけ?」となってしまっては進みません。

また、シミュレーションや試作品と言う意味では、アドバイスを無視せずに、まずはやってみることが大事だと思います。

前提として、従来のアドバイスする側、される側が、「わからないこと」に対してアプローチするということが必要で、「教える」「教わる」ということとは全く違う形です。

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2009年02月06日 00:45Fujii

グループごとに何か作るのではなく、アイデアごとに人が集まる

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ワークショップを何か物を作るひとつの集団として考えてみました。

ワークショップのアウトプットに本当に注目し、良いものがどれだけできたかということに注目するならば、 ワークショップ内でたくさん出たアイデアを有効活用できる活動がいいのでは?と考えました。

「シャッフルディスカッションで、他のチームの様子を知ることで得るものがある」という部分を拡張してみました。グループ間の相互作用をもっと極端にしてしまえば、他のチームのアイデアでも、自分が膨らませられるなら参加してしまえばいいというものです。

ワークショップ全体で出たアイデアを、グループごとに選ぶのではなく、やりたい!膨らませそう!と思った人が続きを作るような、アイデアを中心にしたパターンも面白いかなと思いました。

例えば、見分け方として発表時に、メンバー全員が作ったものに対して喋らずに、特定の人が喋っているときは、そのグループの中に不完全燃焼で終わっているメンバーがいる場合もあります。

このあたりが、難しいんですが、何か強いアイデアがある場合はグループワークとしてそれを選ぶのは間違いではないはずです。

しかし、グループワークをはずして、中心におくものをアイデアにしてみると、ワークショップ自体からは違ったアウトプットが出そうです。

もしかしたら、グループの枠を途中からはずすと、どのアイデアで行くかと言う点でひとつのアイデアに集中し、トレンド(流行)が生まれそうです。最終的にできたものは良さそうなアイデアのバージョン違いというように。

これは良いことなのかわかりませんが、ワークショップで何か良いものを作ろうという点では別に何も問題は無いと思います。

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2009年02月04日 22:47Fujii

グループワークでアイデアが死んでゆく

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シャッフルディスカッションはブレインストーミング的な面や、他のグループへプレゼンを聞きに行く過程で何か得るという面があるのか?』の続きです。

今回は没になってしまったアイデアについて考えてみました。共同作業は、アイデアが進展したり、アイデアが多く集められたりしますが、形にするときにはいつもどれか1つが選ばれています。

よく考えると、一人で何かしていてもそうなんですが、グループワークというと、「アイデアがたくさん出る!」という印象が強いですので、出た後にはどうなっているのか?を絵にしてみました。

実際にグループワークといえどひとつのアイデアに乗っかる必要があり、一人の場合よりも決めるのが大変な場合もあるのではないでしょうか?アイデアも多い分、余計に混乱する可能性もあります。

パターンとしては、

  1. それはいいね!というカリスマ性のあるアイデアで一気にまとまる。
  2. どれも、良い。どれにしよう・・・。
  3. 全部イマイチだが選ばないと・・・。

という種類に分けられるでしょう。

グループにこだわらず、ワークショップというひとつの世界から良いものを生み出すためには、このあたりをどうすればいいのか?について考えたことは次回。

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2009年02月02日 22:59Fujii

シャッフルディスカッションはブレインストーミング的な面や、他のグループへプレゼンを聞きに行く過程で何か得るという面があるのか?

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目標がない場合は、ブレイクスルー(打開)したのかは、謎のまま』の続きです。

マンガに書いた内容の補足ですが、アイデアの境界線があいまいだと意外と混乱を招くことがあります。 「シャッフルディスカッション」をどういう扱いで受け取るかという境界線もありますが、アイデアについても

  • プレゼン自体の良し悪しや、プレゼンに対するアイデアなのか?
  • それとも、プレゼンしている内容自体の良し悪しや、アイデアなのか?

ということです。

ちょっとわかりにくいですね。言い換えると、

  • プレゼンを変えれば良くなるのか?
  • プレゼンで扱っていること自体を変えると良くなるのか?

が、ごっちゃになると混乱するということです。

さらに具体的にすると、渋谷のインフォグラフィックス・ワークショップ1では、自分は、ブドウだったものをぐにゃぐにゃした地下道と受け取りました。

これは、ラフに描いたスケッチを変えればいいのか?説明のしかたを変えればいいのか?というプレゼン面での問題です。そういった問題と、もともとのブドウの案を変えるということは別の問題になります。

意外と、短時間で見て、何か意見を言って去っていくので、どこがネックになっていたのかを再度検討することが必要になります。

このケースだと、そもそもブドウと伝わっていなかったという点を解決すれば、ブドウの案自体は変更しないままという選択肢もでてきます。

「シャッフルディスカッション」のアドバイスは短時間で行うことになるので、意見や反応が混じったものになりがちです。特に、意見はバックグラウンドを共有できないまましてしまうこともあります。

そういう場合は「詳しくはわからないが、こうしたらいいんじゃない?」という意見よりは、反応のほうをを見て、現状のものをどうするか決める際に参考にするというスタンスのほうがいい気がします。

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目標がない場合は、ブレイクスルー(打開)したのかは、謎のまま

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「ディスカッション」というよりも「ヒアリング」』の続きです。

今回は、ブレイクスルー(打開)できるかは、何らかの目標があってはじめてできるものだと感じたことについて描いてみました。なにか形にしなくてはいけないという程度の目標であれば、時間制限があるということでアイデアの中から「選択し決定する」ことができるというほうが影響しているかもしれません。

具体的に言うと、横浜のワークショップでは、会場の使用時間終了後に、グループによっては夜さらにミーティングをして、明日までには仕上げないといけないということから複数ある案の中からどれを形にするか「選択し決定した」ということもあると思います。

渋谷のワークショップでは、もっと短い一日という期間なので、「選択し決定する」ことの連続だったと思います。「選択することができず、決定することができない」という理由から次に進まないのであれば、「選択し決定する」までを短くするのはディスカッションよりも時間制限であったりします。

そういう意味では、シャッフルディスカッションは、プロトタイプをこの時間までに作るというある種の時間制限になりますので、とりあえず何か形にするという意味ではブレイクスルーの要素があると感じます。

しかし、プロトタイプをつくるだけでなく、どういう人にどう受け止めてもらうのか?という予想や目標が無ければ、「形にしただけ」になり、本番発表のときにはじめて色々な人に色々な意見を浴びて戸惑うかもしれません。

次回は、ブレストの面や、他のグループへプレゼンを聞きに行く過程で何か得るものがあるのか?をヒントに描いてみます。

なんだか、もやもや浮かんできました。

ずっと考えているグループワークにおいて、案を捨てなければ前に進めないということ。しかし、その捨てた案でも誰かが拾ってアイデアを追加して形にすると良いものができる場合があるということ。アイデアを出した後にグループが一度解散して、アイデアごとに人が集まるようにしたらどうなるのか?などです。

ちょっと「シャッフルディスカッション」と離れてくるので分けて描くかもしれません。

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