2009年01月31日 16:17Fujii

「ディスカッション」というよりも「ヒアリング」

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ということで、『「プレゼン」の「プロトタイプ」を使った「ユーザーテスト」が「シャッフルディスカッション」』の続きです。 少し大事なのが、関わる人が「本番でのプレゼンのターゲットは誰なのかをしっかり考えていたのか?」という点です。

プレゼンを聞く役割の人がどういうスタンスで関わるのかで変わってきます。

  1. ディスカッションと言っても、プレゼンを見てもらう人のイメージがある程度固まっていて、アドバイスする側とプレゼンした側で共有できているのか?が大事です。その延長でのアドバイスをするスタンスがひとつ。(ユーザーテスト後のブレストの参加者の立場)
  2. もうひとつは、単に、意見を何か言わなくてはいけないと思い、なんとなく思いついた代替案・意見を言うスタンス。(ユーザーテストのユーザーが思いついたことを言うのに近い)
  3. 最後に、プレゼンを聞くユーザに徹して、どこでどう思ったのかをつぶやいたり、プレゼンの後にヒアリングされるというスタンス。(ユーザーテストのユーザーが思ったことをつぶやくことに近い、もしくはテスト後の振り返り)

このスタンスを、プレゼンする側、プレゼンを聞く側が整理して実行していないと混乱することになります。 いわゆる「ユーザーテストで、ユーザーの意見をそのまま実行してしまうとという落とし穴」に落ちることになります。

ちなみに、「インフォグラフィックス・ワークショップ1」のときに自分がプレゼンを聞くときのスタンスは、「1」のスタンスもありつつやはり「2」になっていた感じです。はじめから自分がユーザー代表(=この場合プレゼンを聞く人代表)であるという思い込みの前提で好き勝手言って帰ってくるという状態です。(参考「インフォグラフィックス・ワークショップ1「制作完了まで」

「ユーザーとしては(=プレゼンを聞いた立場としては)、・・・こうしたほうが良い」というのは、もちろん記録しておくべきものですが、落とし穴でもあります。「1」と「2」が混ざっているので、「甘いささやき」に聞こえることも多いはずです。

ただし、制作している人よりも考えているわけではないので、制作した人がいろいろな理由で没にしたアイデアをただ言うだけという場合もあります。むしろ、外部の人間としてできることは、素直なリアクションと見といたほうが、有効に使えそうです。

「プレゼンのテスト」とすると、「プレゼンのテストの設計」があり、目的があるはずで、その目的に近づいてはじめて「ブレイクスルー」したといえる気もしてきます。次回は「プレゼンのテストの設計」について。

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2009年01月30日 22:10Fujii

「プレゼン」の「プロトタイプ」を使った「ユーザーテスト」が「シャッフルディスカッション」

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旅から戻りました。

せっかくなので、以下で話題のことについて参加者としての視点を。

「プレゼン」の「プロトタイプ」を使った「ユーザーテスト」が「シャッフルディスカッション」。 すごいタイトルになってしまいました。

日本語にしてみよう。 「発表」の「試作品」を使った「試作品のリアクション実験」が「まぜまぜ議論」。うーむ。変な翻訳みたいになってしまった。

以前の自分の描いたマンガをみながら今回描いてみました。すでに(プレイヤーとして)参加した方で書いている方がいるかもしれませんが、せっかくですので自分が感じたことを。

「何を思っているか?」を聞く、また、反応を見るという発想になったのは、このとき「対象は誰?」ということをワークショップの前からずっと考えていたので、自然と「ユーザーテスト」の発想になっていました。

「ユーザーテスト」だとすると、一番大事なのは「意見」よりも「反応」です。ユーザー調査の手法でいうと、「グループインタビュー」のイメージ(意見を聞くイメージ)よりは「ユーザーテスト」のほう(反応・行動をみる)です。

もちろん、アイデアも無視するわけではありません。しかし、一番ではないというイメージでした。 特に、渋谷での「インフォグラフィックス・ワークショップ1」では、そういう使い方を強化して、少し足りない説明で一度反応を見たりと、顕著だったと思います。

もう1点は、そういう視点から見ると「ブレイクスルーしてたのか?というか、ブレイクスルーとはそもそもどういうことを指すのか?」について、ちょっと次回考えてみたいと思います。

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2009年01月25日 21:00Fujii

記憶と捉え方

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「ひとがおもしろパワーを感じるときはいつなのか」』などで考えていたこと再びという感じです。

単純に、ユーザーが誰でどんな状態であるかを抜きにして、良し悪し、できるできないを判断することはできないということです。

傾向を頼りにするというのも発想のひとつ。

最近考えているのは、タスクによって変わる部分がありますが、世界各国の方達の国による傾向もあるのではないかということです。そういうものを調べるとおもしろそうです。

傾向なし。という結果も出るかもしれませんが、それは問題なしです。

マンガ内でインターフェース以外にも関わるといったのは、インターフェースを作るときのチームや、作業工程でももちろん関わってくるんじゃないかと思っています。

もちろん、Webサイトで「○○ならあのサイト!」という記憶をより強めていくか、サービスを増やして、薄めるのか?ということにも関わります。

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2009年01月23日 00:57Fujii

そもそもWebサイトとは、どんな要素があるもの?

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「コンテンツの不足」と「メンタルモデルとの違い」という2種類の問題点』や『「わかりやすい」にも種類がある』あたりで前にちょっと出たことです。

書籍の中では明確に分けにくいと書いてあります。

論文をもともと共有したりするときに、ネットを最初使っていたという成り立ちは知っていたんですが、この図のほかにも載っていて、Webサイトとはそもそも、どんな要素が入ってくるものなのかを確認できます。

制作にあたり、関係者がそれぞれ思い描いているWebサイトはどういう要素が強いものをイメージしているのかなど考えるときに一度見ておくと良さそうと思いました。

手戻りが発生するときも、どの要素で発生するのか?やどの要素にどう対応していくか?スケジュールをどう立てるか?にも役立ちそうです。

最初、前に本を読んだときは、確かに色んな要素が関係するけど、そんなもんかなとピンとこなかったのですが、その要素ごとに実際の制作をするに当たってどういう影響がでるのか?(今回の場合は、「わかりやすい」のはどっちの要素に関係しているのかというように)を考えると良くできている図だなあと気づきました。

デザイナーさん、ディレクターさん、クライアントさんなど、立場ごとに、どの要素にどのタイミングでどの仕事の内容が関係するかとか整理してみても良いかもしれません。

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2009年01月21日 00:31Fujii

何を変えて、何を変えないのか?

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抽象的で意味ありげなキーワードだけの記事になってしまいますが、 「何を変えて、何を変えないのか?」は、何かを作っている人は結構毎日考えていると思います。

今回の内容に関しては、Webサイトの場合、それぞれのサイトには説明書もありません。 そんななかで、たくさんのサイトを使ってようやく、なんとなくWebサイトというものの使い方がわかってきたユーザーに対して、急激に変化を与えると、また覚えなくてはいけないということが出てきます。

これは、覚えただけの価値と比べることが大事ですが、やはり、大きい違いや、新しいことをサイトごとに覚えなくてはいけないとなるとしんどい。

前回の『べた(=ありきたり)ということ』で、「サイト単体ではなくWeb全体(さらには操作感、見た目の似ているインターフェースなどすべて)をひとつの物として捉える視点」と書いたんですが、サイトごとに覚えなくてはいけないのがしんどいのと同じように、なんとなく見た目が似ている、液晶っぽいインターフェースをそれぞれ区別して覚えるのもしんどい。

「液晶っぽいインターフェース」が実際に何であるか区別するよりは、ある程度普及している表現をなるべく選び、ベースは同じで、支障がある場合に状況に合わせて変えていくというほうが良いと考えました。

今だと、ネットの表現ルールが基本になるのかなと思います。なぜかというと、一番慣れていそうだからです。ただし、よく考えるとケータイのほうが良く使っている気もします。

問題は機種ごとに操作方法が結構違うからか、あまり標準化された感じがありませんので、どれを基準にするかが難しそうです。

もともと、「液晶っぽいインターフェース」というものはどんなものがあるのか?ちょっと考えてみる必要がありそうです。

  • PCのモニターで見るWebサイト
  • テレビ
  • カーナビ
  • ケータイ
  • Nintendo DSなどのケータイゲーム機
  • Wii
  • ゲームセンターのゲーム機
  • プリクラ
  • カラオケボックスの操作パネル
  • 居酒屋の注文操作パネル
  • デジタルカメラの背面の画面
  • iPod、iPhone
  • 銀行のATM
  • 駅の券売機
  • プリンタ
  • コピー機
  • 本屋の蔵書検索
  • 図書館の蔵書検索
  • 博物館の解説パネル

これらの境界を越えて、できる範囲で、物の形と機能が似ていると、覚える苦労が減りそうです。

「覚えただけの価値」と比べることも忘れてはいけませんが、「覚えなくていい価値」も忘れないようにする必要がありそうです。

簡単に言うと、今の時代でいうとWebサイトのように比較的普及している表現を基本は使おうということ。とはいえ、逆にWebサイトを作るときに操作方法がATMに似ていればそのままATMっぽい表現を使ってもかまわないということかな。

うーん、ちょっと乱暴なまとめ方だけど。 (操作方法がある程度普及しているものがあって、同じような操作をするならばそのままベースとしてもってきてしまうのはどうだろうということ)

また、結論は結構当たり前になってしまいました。

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2009年01月19日 14:14Fujii

べた(=ありきたり)ということ

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デザイナー(やつくる人全員)は、Webの世界の神様である、そして自由に(好き勝手に)世界を創り続けている』の続きです。

リンクの表現を例にしてみました。 このリンクの表現をサイトごとにオリジナルにするという現象が起きるのはなぜでしょうか?

  • 自分がやるからには変えたい(ダサい下線はとってしまおう)
  • オリジナリティを出したい(ぱっと見リンクとわからないほうがかっこいいぜ!おされやわ!〜作った自分は知ってるけど〜)
  • サイトのトーンにあったものにしたい(下線がこのサイトに合わない気がする・・・)
  • 重要な言葉には下線を引く!(そうやって紙に線をひいてたので)

例えば、上のように考えるからではないでしょうか? ちなみに、これは前回のマンガ内でも描きましたが、いわゆるビジュアルデザイナーだけではありません。 当然、作ることに関わる人がこう考えることはあります。

その理由は、評価するのはデザイナー以外の人も関係するからです。 その際に「眺めて」評価するのか、「使って」評価するのかで変わってきます。どちらかというと両方のうち、「使って」評価することは、してみようと思わなければ抜け落ちてしまいがちです。(『認知的ウォークスルー(かるたでわかる用語集)』)

ワイヤーフレームやサイト構造を作ったり、企画した人などリンクがどこであるかわかっている人(そういう記憶を持っている人)は、リンクに一工夫したいなと考えることもあるでしょう。 そのときは作った側のみの視点だけになってしまいます。

たとえが違うかもしれませんが、舞台の役者(や脚本家)が「自分はストーリーを知っている、さらに一工夫しよう」と観客の視点を考えずに、演じてしまう(脚本を書いてしまう)とむちゃくちゃになってしまいます。 (観客にみせるシーンの順番について『おもしろパワーとはなんなのか』)

このことをうっかり忘れないことも必要です(『クローズドカードソートで自分と相手のちがいを知る』)

また、評価する際に、サイト単体ではなくWeb全体(さらには操作感、見た目の似ているインターフェースなどすべて)をひとつの物として捉える視点も必要です。

ところで、なにがべた(ありきたり)かってところが意外に難しい。

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2009年01月15日 23:03Fujii

デザイナー(やつくる人全員)は、Webの世界の神様である、そして自由に(好き勝手に)世界を創り続けている

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物体と行為(動作)が結びつかないものを作る神様』の続きです。

良いのか悪いのかわかりませんが、今のところ、Webサイトの場合の行動というと限られています。

何があるでしょうか?

  • クリック(場所選択or機能発動)
  • スクロール(マウスホイールをイメージしています)
  • 入力

以上が主なものになりそうです。

ずいぶん少ないですね。実際の物体を前にしたときにする行動と比べるとずいぶん少ないです。 なので、ボタンを強く意識するのかなと思います。

作る側としては、クリックに対して非常に気をつけないといけないと改めて思いました。と同時に、選択肢がこれ以上増えるのは良いことなのか?ということも考えます。

Webサイトを使う上で(インターフェースという意味でもいいと思います)時々起きる混乱。

これはクリックしかできないから混乱するのか?それとも、クリックするという行動ひとつもまだうまく扱えないから混乱が起きるのか?

どちらなのでしょうか?

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物体と行為(動作)が結びつかないものを作る神様

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ユーザーインターフェース、Webサイトや液晶の平面の画面上のビジュアルデザイナーは何をしているのか?そのひとつは、神様です。

平面とはいえ、物体の形を決定し、なおかつ物体が持つ機能まで組み合わせるのです。 普段の生活では、物体の形が決まれば、行為もある程度導かれることがあります、行為が導かれるのは物体が期待した機能を果たし、その結果物体の形が行為と結びつくからだと思います。

平面の場合は異なります。物体の形と行為は結びついても、機能はまるで関係ありません。

当然、期待される機能と結びついた経験が積み重ならなければ、物体と行為も結びつきにくくなります。

そういう意味でデザイナーは神様なのか?

続きは次回。

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2009年01月13日 00:02Fujii

物と行為(動作)のつながり具合

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わかりやすいです、棚橋さん

ということで、 棚橋さんからエントリーを頂きました。ありがとうございます。

途中からの方は参考までに、ここまでに「アフォーダンス」について考えていたメモのエントリーは以下です。

棚橋さんから頂いた内容は以下のエントリーを見ていただければと思います。

説明としては、こういう例の方がわかりやすいのかなって思います。 アフォーダンスとは(DESIGN IT! w/LOVE)

写真がわかりやすいです。

自分はアフォーダンスという入り口をきっかけに物と行為(動作)の両者がなぜつながるのか?つながりかたがちがうのはなぜか?なにが行動に影響を与えるのか?を考えていたようです。

ブログなので棚橋さんがどういったテーマで話をしているか自分が受け取れているかが完全につかめないのでもどかしいですが、

自分の周りからはいってくる情報(ペンまでの距離・光具合・自分の体勢・音など)がたくさんあって、自分が動いたことによってかわる情報(ペンまでの距離・右手の稼動範囲・手の位置など)もまたあって・・・、というキャッチボールが一瞬のうちに膨大にあり、ペンをとる前からデータがずーっと蓄積されて更新されているということを考えます。

これらをスポーツの時のようにちゃっちゃこなすわけです。 ほとんど頭で考えない。どれくらい考えていないかというとスポーツで一度に頭で覚えておけるコツは1〜3個くらいなので、それ以外は考えないで体で覚えている範囲だとおもいます。

スポーツの場合は、無意識にできる部分になるべく落とし込んでいく、落としこめてない部分を意識して練習するのだと感じます。無意識になった部分を使って、またどう組み合わせセットにするか意識する、その組み合わせも無意識でできるようになったらまた次・・・という感覚があります。

「物」と「行為(動作)」の組み合わせも、その場で、一瞬のうちに判断した結果そうしているのかなと考えていました。

※おまけ マンガ内の「ボックス」に関する動画

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2009年01月08日 19:49Fujii

アフォーダンスは差しのべられた手

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前回の『人間が共通で持っている記憶を基準にする』の続きです。

マンガでは差し伸べられた手という表現になりました。 手の代わりに、「手すり」のほうがわかりやすいかもしれません。

形は同じだけれども、場所によってメッセージも変わります。 「手をかけてもいいよ」になるか「足がひっかかって転びそう・・・」になるかは、場所とタイミング次第。

行動と結びつくかどうかも、必要としているタイミングなのかが関係してきそうです。 イスのようなものに座るときもこんな順序になると思います。

  • 「気がついている」→「座りたい」→「座る」
  • 「座りたい」→「探す」→「気がつく」→「座る」

「欲求があって、気がついている」というときにはじめて、メッセージが聞こえてきて、行動に結びつくのかなと思いました。ですので、物体一個にたいして、複数の使い道がでてくるのだと思います。欲求が違えば、聞こえてくるメッセージも変わってくるからです。

前回の記事のボタンの例でも、次の段階ごとのどれかが抜けていても、行動が変わってくるのだと思いました。

  • 「送信したい」とおもっているか?【欲求】
  • 「送信」するためには「ボタン」を押す行為が必要なことがわかっているか?【欲求を各ステップに分解】
  • 上記のことがわかっていて「ボタン」を探そうとしているか?【ステップごとの欲求】
  • 「ボタン」をみつけて、「ボタン」と認識できているか?【視界の中のものとステップの照らし合わせ】

作った側が、手を差し伸べたと思っていても、それが行動に結びつかないこともあるし、その原因もいくつか種類がありそうです。逆にいえば、一見何のためにあるのかわからないものでも、適切なタイミングでは非常に役に立つので用意しておくということも重要です。

という普通のまとめになってしまいましたが、「わかりやすい(または、わかりにくい)」と一口にいっても、どの部分の何がわかりやすい(または、わかりにくい)のか?考えてみるのがいいかなと。

ついつい、「お!わかりやすいね」で片付けてしまうことがあると思いますが、そういうときに、 「その『わかりやすい』は、いったい『何が』わかりやすいのか?」 を忘れないようにしたいと思います。

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人間が共通で持っている記憶を基準にする

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前回の『座れるというメッセージもあれば座れないというメッセージもある』の続きです。 絵が下手なので影の感じがウマくマンガで描けませんでした。くやしい。 点描だと鬼太郎になってしまうし・・・。うーむ。

それはさておき、下のようなことを描きたかったのです。

基本的には上から光が照っているという捉え方です。 ですので、左が手前にでっぱっていて、右がへこんでいることになります。

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もちろん、図の上段の右の表現でも下からライトアップという捉え方もできます(自然界では、上部からの光が無いのは夜や薄暗い時ですので、そういったトーンでまとめることになると思います、もしくは、上部の光よりも強烈な光という表現)。

とはいえ、基本は太陽は頭の上にありますので、でっぱって見せるには上から光がきて、下に影がつくというイメージです。

人間に共通の記憶というものがあって、うまく「わかりやすい基準」にできるときは参考になります。

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2009年01月06日 14:36Fujii

座れるというメッセージもあれば座れないというメッセージもある

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前回の『なぜ、イスからメッセージを感じとれるのか?』の続きです。

描いていてこちらのブログエントリーの『小さな音に耳を澄ます』『やさしさに包まれたなら』(DESIGN IT! w/LOVE)を思い出しました。

今回、自分のエントリーは「思考力を高めて〜」というよりも、ちょっと意味合いが違うかもしれませんが体験や記憶がメッセージを感じ取るようになるというイメージです。

「パブロフの犬」のような記憶に関わっている部分が大きいと思っています。

続きでは、以下について描きます。

  • 平べったい物体はだいたいいつもイスのように座れると判断しやすい。(もちろん違う場合もあるけれど、おおよそ)
  • 逆に、もし平べったい物体だけれど、いつも座れるとは限らない世界は結構困るということ。
  • 「物体の形」と「だいたいこんなことができる」が強くつながっているときとつながっていないときの比較

前にも書いたことあるかもしれませんが、「アフォーダンス」というキーワードから、「ブランド(全然専門家ではないのですが)とは?」ということと重なる部分もあると思います。

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2009年01月03日 14:06Fujii

アフォーダンスとは記号のようにそれが何かわかること?

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認知心理学やユーザーインターフェースデザイン、インタラクションデザインの分野でよく聞く「アフォーダンス」について、自分なりにまとめてみました。

今のところ、頭の中の辞書(『言葉からイメージに変換される(それも、結構適当に)』)に関わるものかなと考えているので、結構広い範囲の話かなと思っています。

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2009年01月02日 18:39Fujii

事前に予想した手順をまずは自分でやってみることの大切さ

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自分でやってみる(『認知的ウォークスルー(かるたでわかる用語集)』)ことをすっ飛ばして、テストをやっていました。

もちろん、「使う人と自分は同じではない」のですが、事前に予想を立てる際には、やはり参考になると感じました。

話は変わりますが、

新年明けましておめでとうございます。

このブログは、去年にスタートしたのですが、マンガでブログというのははじめての挑戦でした。

たまに過去のを見てみると、話が飛びとびになっていたり、文章がおかしかったりするところが結構あります。マンガのほうは、文章も絵も一発書きであることに加えて、描きながら整理していたりするので、時々横道にそれたり、支離滅裂気味になってしまっています。

「あとちょっと良いサイト」というブログの名前は、現状よりも何か少しでも「良い」ものをつくりつづけるためということでつけています。(誰にとって良いというのは明言してないんですが・・・)

そして、あまり難しく考えずに、「今よりちょっとでも良くなりそうなら、とりあえずやってみる」という価値観でいいかなと思ってつけました。ですので、Webサイトそのものだけがテーマではない「人間」についての話も時々出てきています。

基本的には「人間」が作って「人間」が使うものなので、そこは一番自分で興味があるし、おもしろいところなのかなと思っています。

そんなわけで、必ずしも、読みやすいとはいえない実験的なブログですが、立ち位置(『「あとちょっと良いサイト」はじめました』)は、ほかのサイトと重ならないようにいきたいと考えていますので、昼休みの暇つぶしや、それぞれが考える「良い」ものづくりの刺激になれば、幸いです。

そんな感じで、今年もちょいちょい更新していきたいと思います。

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