2008年11月30日 23:14Fujii

関係をはっきりさせるのが文字の良さ(というか伝えたい意図がはっきり出る)

絵だけで表せることって結構あります。

と、同時に例えば「絵だけで表せることって結構あります。」ということを「絵」だけで表現するのもムズカシイです。

絵だけよりも、「絵だけで表せること」という「文字の表題」と「その具体例の写真やイラスト」を組み合わせるほうが強力です。

文字を絵で表すというのが難しいのは、より情報量を増やして特定できる表現にしなくてはいけないからだと思います。

あなたが「結構あります」という文字を絵にしようとするとどういう表現になるでしょうか?

おそらく、何かと比べてみるしかないと思います。もしくは上記のように数多くの具体例を見せることになります。比べるにしても何と比べるのか?どのような具体例があるのか?も追加しなくてはいけません。

ですので、逆に絵から、「結構あります」というように文字で表すということは、あいまいにすることです。「何と比べて?」「具体的例は?」ということを表現しなくても文字にはなるからです。

また、文字の中でも、簡略化された絵のような文字と、絵ではなくつながりをあらわす文字がありそうです。

絵をごにょごにょっと簡単に描いていくうちに、決まったフォーマットになった文字。これは絵のようなものです。「人」とかは結構姿が残っている感じがします。

もちろん、このごにょごにょっとする暗号化具合でだいぶあいまいになってきますので、どこから絵でどこから文字なのかというのは微妙なところです。全く触れてませんでしたが「絵文字」というものが何かヒントになると思います。

それとは別に、絵ではなくつながりをあらわす文字というのは、「と」とか「した」「する」とかです。 結構ひらがなが多いかもしれません。ひらがなも元々は漢字だったと思うんですが、あんまり絵として使ってないので、ごにょごにょっともっと簡単に書きたいなと、変形していったのかもしれません。

これらの「ひらがな」が表す何かが、絵にしにくい部分であり、文字の良さなのだと思います。

もちろん、絵を簡略化してある漢字などは、絵をいちいち描くことに比べて簡単に書けて相手に文字という暗号を解読する辞書がちゃんとあれば、使い勝手が良いというのは、以前描いた通りです。

って何の話か良くわからなくなってしまいましたが、個人的な感想としては、普段はおおざっぱにあいまいに伝えることには便利な文字の表現が良く使われますが、もう一歩踏み込んで伝えるには文字と絵の両方を使うことが大事になるのではないかと思いました。

これまた、当たり前の締めくくりになってしまいました。

2008年11月29日 16:04Fujii

部分を指すのはなぜ大事なのか?

何かを説明したいときには、説明したいものの周りにどういうものがあるのか?周りのものとどういうつながり具合なのかを説明するといいはずです。

聞く人によってはこれは、ワークモデルとかコンテキストの話に聞こえるかもしれません。

観察といっても、その対象をみることではなく、その対象がどのような背景の中にいるのか、周りのものとのつながり具合はどうなのか?をみることも入ってきます。

一度、観察対象物の名前は忘れて、何なのか考えてみるとことが大事。 といっても、忘れられないので、その観察対象物の名前を使わずに整理してみることが重要でしょう。

「説明」と「観察」の二つの話がごっちゃになってしまいましたが整理すると、

説明の場合

  • 周りにものを置いてみる、どんなものを置いたら説明したいことが表せそうか?を色々試す。
  • もともと、何かの一部分ではないのか?切り取ってしまってないか確かめる。
  • 周りのものだけでなく、周りのものとの「つながり具合」も考える

観察の場合

  • バックグラウンドを推察する、場合によっては入れ替えたらどうなのか想像する
  • 観察対象の名前を、使わずに説明文をつくり、しっくりくるか、実際にそうなのか調べる。

という感じになります。うーん、だいぶ重なってるかもしれない。観察はもうちょっと違う面がありそう。『「観察」とは頭の中のデータと外のデータを照らし合わせ続けること』で描いたのが基本かと。

だいぶ抽象的になってしまったので、さらに『「背景を考える」ということの具体的な作業』のまとめ。

絵が描けない人でも、雑誌の何かを切り抜き、それを色んな背景(似たようなもの、違うもの)と組み合わせると、どう変わるのか(何が目立って、何が目立たなくなるのかとか)が感じられると思います。そういうように組み合わせをいろいろ試してみる。

観察の場合なら、周りのものも含めてまずデータ収集。次に、その周りのものをほかのものに変えると、つながり具合が変わってしまうことによる違和感がないか考える。

「Webサイトを見る」を、場所を「家」から「外」に変えてみると、外ではPC持ってないかも・・・とか。「Webサイトを見る」を「一人で見る」から、「誰かとそのあと相談する」に変えてみると、相談するときのテーマがあるのかな?とか。

うーむ。まとまらん。

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2008年11月28日 23:06Fujii

矢印がとても重要なのは、何を指すかわかるから

前回に、「絵だけ」だとこれまたムズカシイということを考えたんですが、何が難しいのかなと描いてみました。

インフォメーショングラフィックスを構成する要素として、「面・線・点(文字)」ということを以前紹介しました(『参加者から見た横浜ワークショップ2008 その12 「分厚い記述という編集のしかた」』のマンガの1枚目です)が、このなかの「線」にあたる部分がなぜ重要なのか?ということにつながってきます。

線(とか矢印)があると絵のどの部分についていっているのかわかる。これ、当たり前ですがとても大事です。

もう一歩考えてみます。

「どの部分かをわざわざ線で指すなら、ほかの部分はそもそも余計なんだから切り取っちゃえば線は必要ない」ということはOKでしょうか?

OKです。重要な部分のみを描くとか、写真でいうトリミングをするとわかりやすくなり、線は必要ないでしょう。 ただし、全部のケースでOKがでるかというとそうではありません。

The Oxford Picture Dictionary』を眺めていると、線や矢印ではありませんが、絵に数字がついていてそれが単語と結び付けられています。

ひとつの絵にたいしてひとつの数字がついている場合もあれば、ひとつの絵にたくさんの数字がついている場合もあります。さてそれはなぜなんだろう?なぜ、切り取れないんだろう?と考えたあたりは次回マンガにしてみます。

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2008年11月27日 23:18Fujii

「絵」を使うときと「字」を使うときの区別は?

The Oxford Picture Dictionary』を眺めていると、わかりやすさを考える上で刺激になります。

文字が得意こと、絵が得意なこと、両方を同時に使って良さを組み合わせることが重要です。

当たり前ではあるんですが、文字を見て何を伝えられたらいいのか?イメージなのか?それとも、何かそれ以外のものなのか?を改めて考えます。

また、逆側から考えると自分は普段、文字を見て何を受け取っているのか?イメージなのか?それとも、何かそれ以外のものなのか?ということも考えています。

絵と文字の関連付けが頭の中の辞書で行われているとすると、絵と文字をなぜ関連付けする必要があるのか?もともと「絵」と「文字」を使ってWebでもなんでも伝えるときに考えることはなんぞや?というようなフェーズです。

アイコンやメタファとか、図解とかインフォメーショングラフィックスとかアフォーダンスとかインフォメーションアーキテクトとかインタラクションデザインとかにちょっとづつ関係する気もしますが、せっかくなので、もちょっと泥臭く考えてみたいと思います。

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2008年11月26日 02:21Fujii

言葉からイメージに変換される(それも、結構適当に)

ひとつ古い記事『文字と絵の違いは?』の続きです。

前回、描いたことを詳しく絵にしてみたんですが、具体的Webサイトで考えてみるとすると商品の説明がわかりやすい例です。

下記のサイトの動画表現が使いやすいかは置いておくとして、このサイトから「着て動いている時のシルエットのイメージ」は伝わります。文字で「クールなシルエットをジ・ツ・ゲ・ン!」なんて書いてあるよりは伝わりやすいはずです。(余談ですが、前提としてスノーボーダーは「ウェアのシルエットがもにゃもにゃ・・」とよく言う生き物なのです)

Holden(音が出ます)

holden.jpg

それはさておき、前回と今回のマンガで微妙に変わった部分があります。 その部分こそが、誤解を生むんですが、同時に、発想という面では重要な役割があるのではないかと思いました。

「犬」というひとつの言葉から解凍できるイメージは、複数ある。

特定のイメージを伝えるには、辞書がそれぞれ違うことが誤解を生む元凶なのですが、違うからこそ、ひとつのテーマに対してそれぞれの辞書を使って違うアウトプットが出せるという不思議な面もあると思いました。

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2008年11月25日 23:50Fujii

文字と絵の違いは?

例えがちょっとわかりにくいですね・・。

文字・言葉は、 特定の犬を表すのが苦手だが、「犬」というグループを伝えることはできる。

絵・画像は、 特定の犬を表すのが得意だが、「犬」であれば何でもというのを伝えるのが苦手。 表現するならば特定の犬の絵・画像を集めて表現するしかない。

具体的なイメージの共有は「文字・言葉」だけだと圧倒的に絶望的。 頭の中の辞書が違うのだから、単純にやりとりすればするほど違うものになってくる。

受け取ったイメージに対しての意見が違うのではなく、その前段階で、文字・言葉が相手に届いて頭の中でイメージに解凍される瞬間に変わってしまっている可能性があるということです。

図解(絵と文字を併用した説明)というのは、直接目で見て、頭の中の辞書を直接追記(絵と文字・言葉を関連付ける)することなので、新しいイメージの説明には必要不可欠だと感じました。

まとめ:

  • 具体的なイメージを共有したいときは、文字・言葉だけ使ってはいけない。
  • 必ず、絵・画像・写真などで直接共有する
  • なるべく文字・言葉を解凍するときに間違いのないように図解(絵と文字の関連付け)を使い、同じ辞書を頭の中につくる

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2008年11月24日 21:55Fujii

頭の中の辞書

The Oxford Picture Dictionaryという英語の図鑑を読んでいて自然に頭に浮かんだことがきっかけでした。

この図鑑は絵に対して番号が振ってあり、番号ごとに英単語が記載してあります。 英単語を日本語に変換してからイメージに変換し理解するのではなく、直接、英単語とイメージを結び付けている感覚です。 インフォメーショングラフィックスと受け取っても非常におもしろいので、この図鑑は好きです。

語学の習得のための図鑑だと思いますが、言葉の意味がわかるとはどういうことなのかを思い出させてくれます。

日本語でも「わからない」言葉というものがありますが、どうしてわからないのか?という点では、構造は全く同じだと思います。

ある人にとっての「わからない言葉」は、日本語であっても外国語のようなものということです。

原則として「言葉を選ぶ時点で、伝わる相手を選んでいる」という基本的なことに行き着きます。

また、言葉と絵の違いは何か?ということをいろいろ角度から考えています。 そうすると、普段、言葉で自分は何を伝えようとしているのか?それを言葉以外の方法を選ばずに、なぜ「言葉」という方法で伝えようとしているのか?についても考えてしまいます。

※マンガの中で今回の話は『メンタルモデル』というエントリーで描いた内容と近いと紹介してしまいましたが『本を読みました 「わかる」とはどういうことか』のエントリーの内容のほうが近いです。間違えました。

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2008年11月22日 23:04Fujii

「観察」とは頭の中のデータと外のデータを照らし合わせ続けること

人間観察の場合、観察対象者の人の服装、年齢、持ち物を、今までに作られてきた頭の中のデータと照らし合わせて、分類します。

分類されたタイプの特徴が引き出されます。

その情報を元に、現実に目の前から入ってくる情報と違いがないか検討します。 違いがあれば、修正・変更・追記します。

これらの修正・変更・追記は、この人物に対しても行いますし、タイプに割り当てられていた情報にも修正・変更・追記を行う場合があります。

修正・変更・追記がポイントだと思いました。先入観は持たないといいますが、例えば「りんご」のようなものを見たときに「りんごではない」とは思うことは不可能です。見た瞬間に照らし合わせがはじまり、見た目が似ていれば「りんご」にひとまずいれられます。

そういう意味では、先入観を持たないというのは、まずは「りんご」に分類したものが、ほんとうに「りんご」でいいのかどうかを考えながら、新しい情報と照らし合わせて修正・変更・追記をすることだと思います。

「人間観察」の「観察」って頭の中で何してるの?

引き続き、「観察から発見する」って具体的に何が起きてるの?に関する話です。

「趣味は人間観察です」なんていう人がいます。 そんなことを普段言わなくても、例えば新宿駅の東口で待ち合わせしているときに周りにいる人をじーっと見ながら観察することもあります。

これは、何をしているんでしょうか?

2008年11月21日 02:11Fujii

観察のコツ「5W1H」

「観察」の意味を「観察という言葉を使わずに」表現するとしたら何になるんだろう? それこそが、実際にやってることに近いのではないかと思います。

富士ゼロックス・デザイン部の蓮池さんとお話させていただき聞いてみると、

  • 何のために観察か決めておく(観察後何度も見直すのはアリ。見直すからといって決めないのはナシ)
  • 5W1Hという切り口で観てみる。

というようなお話をされていました。

刑事の場合だと、犯人を見つけるためという基本的な目的がある。目的があるおかげで、この目的にあった情報を選んでいくことができる。と、同時にその目的にあった情報のみを選び取っているのも忘れないようにしなければいけない。

「画家と経済学者と学生と医者と弁護士が猫の死体を見ても、考えることはそれぞれ違う」というように。自分の持っている辞書が人とは違うことと、その辞書とどう照らし合わせるかも違う、さらに最初に取得する情報も、自分が気になっているところしか取得できない。

「本」を読んでいても、本の中で語られていることを読む場合と、本の構成や表現の仕方を読む場合と、なぜこの本がこの著者によって書かれたのかを読む場合、本はほかのものとどういうつながりをもっているのかを読む場合では、それぞれ得られる情報が違います。

「物事の本質は〜」なんて言葉や「本質的には〜」なんて言葉を使うときは気をつけなければいけません。「本質的には〜」ということを、「自分は〜と考えている(と考えるのが好きだ)」に置き換えられることが多いです。「本質的には〜」という言い方は、前提として自分は自分の気になったところしか情報を取得できないことを忘れてしまいそうな言葉です。

目的を持って観察するということは、観察のポイントを絞れるので良いんですが、同時に、自分が発見できなかった情報を取得できる可能性のある人が回りにごろごろいることを忘れないようにすると、見逃した情報も取得できるようになるはずです。

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2008年11月19日 23:24Fujii

「観察」を刑事の捜査に例えてみる

「観察」→「発見」の間に何が起こっているのか? 自分は刑事に例えて理解するようにしています。

刑事に例えると、捜査や調査は当たり前のことと感じます。 ですので一歩進めて何か心がけていることはないのかな?ということを考えています。

2008年11月18日 03:04Fujii

「絵」で会話する

感じていたけど、ヒアリングの結果、生の声を得たという感じです。 驚くほど同じような部分で苦労しているのが共感できてしまうぐらいです。

「アイデアのちから」という本を今読んでいて、これは主に「強い言葉」の要素について研究しているような本ですが、「具体的」ということが出てきます。

今回は「絵」が最終制作物なので「絵」で会話するということが「具体的」で向いていたと思います。

考えを「言葉」を使って会話することもありますが、「行動」で会話することもあると思います。 「それで、何をしてきたの?」というやつです。最終的に重要なものが「具体的な行動」であるときにありえます。

「楓パープル」というマンガで 「ホントにバスケが好きならそんなことでやめたりはしない」というようなセリフが出てきます。

「うひょー、体育会系!そう簡単にいかなくてついつい怠けちゃう人間だから興味が尽きないんじゃないか!」とも思いながらも、結構自分の中で時々照らし合わせる言葉にしていたりします。 「やりたいなら、やってみれば良いし、本気なら言葉にする前にやってるよね」という自戒をこめて。

「絵」で会話するということは、「絵」を見て相手に汲み取れる力があることが前提です。片方がない場合は、「絵」を描いても通じないかもしれません。

おそらく「行動」で会話をするというのも、お互いに汲み取れる関係でなければ、「この人はこういうやり方をやったんだ」というレベルで流してしまい、「なぜ?こういうやり方でやったんだろう?」ということまで頭が回らないので通じないかもしれません。

どちらにしても、こういったスキルは人それぞれなので、意思の疎通はできないものとして出発しなければいけないですが、このへんのスキルは、あるときパッと開けるのか?それとも、具体化した経験がものを言うのか?もともとの考え方自体のほうが影響するのか?謎は深まります。

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2008年11月17日 01:46Fujii

もやもやのカタカナの先では何が起こっているのか?

参加した人たち、グループワークで苦労したことのある人たちの話が一番刺激になります。 「カタカナの概念」の先へ進むには、実践した人たちを直接ヒアリングするほうが、直面した問題について濃い情報が得られるからです。

2008年11月16日 03:26Fujii

第二回情報デザインフォーラム 写真報告編

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第二回情報デザインフォーラムに参加しました。

ワークショップの制作物の発表の場でもありました。 フォローアップ講習からこの日までは、それまでに考えていたアイデアやコンセプトを完成形にする最終段階でした。

考えたことは結構あるんですが少し概要だけメモしておきます。

今自分がより興味があるのは、各段階を移行するときに、何が起こっているのか?です。 各段階というのは、以下の3つです。

  1. デザインリサーチ
  2. なに作るか決める
  3. 実際に作る

調査手法であったり、難しい用語の理解であったりが続いていたんですが、「で、結局作ったものは?」という面もなめてはいけない。

うまくいえないんですが、「エスノグラフィー的なアプローチでフィールドワークして、オブザベーションして、コンテキストを考慮して、ユーザーのメンタルモデルを理解して、カードソートして、シャッフルディスカッションして、ペルソナ作って、ペーパープロトタイプ作りました」ってカタカナが並ぶと、現在なら意味がわかるのでいいんですが、同時にとても不健康な感じがするのはなぜ?嗚呼!この胸のモヤモヤは何?という状態です。

自分の中で最近そういう言葉に重点を置きすぎて、では実際に何ができるの?ということが軽くなってきてしまってたという感じです。バランスをとりたいなと考えてます。

それは、おいておいて各チームの制作物が以下です。

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2008年11月15日 02:59Fujii

「ぽさ」より向こうへ

「っぽい」だけでまあまあ良い場合とよくない場合がある。

「っぽさ」を見抜けるかはまた別の話。

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「接点」があるのかないのか?

Aさんが理想の異性を思い浮かべてるとします。

現在、Aさんがどういった人と接点があるのか、あるなかで理想の異性はいないのか?いないならどうやって接点を持つか?もともとそんな人がどれだけいるのか?いない場合、理想の異性にかえることができそうな人はいるのか?というように、それぞれちょっとづつ違うのではないかなと思います。

ときどき、ビジネスの難しい言葉や状況を生活の中でのことで考えると理解が楽になったりします。

もちろん生活の中でのことと全く一致しない場合もあります。でも、そこを取っ掛かりにまた考えることができます。

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2008年11月12日 22:24Fujii

もともと、どんなときに「新規のユーザー」と「既存のユーザー」を意識するのでしょうか?

今回は、「ユーザーにとって・・・」という視点がある程度意識として生まれた制作チーム内や、「ターゲットユーザーについて考えよう」という会話の中で出てくる「ユーザー」という言葉がいろいろな意味で使われているという点について描いてみました。

マーケティングとかのほうの人だとこのあたりは当たり前であり、得意中の得意分野かもしれません。

ペルソナのあたりでも同じ話は描いてますが、実際によくある会話を元にしてみました。

関係ないですが、今考えてたり、感じていて描こうと思っていることのメモ:

  • グループワークがうまくいく場合といかない場合は何が違うのか?
  • 戦闘機の計器のデザインと観賞用デザインとユーザビリティ
  • 「幸せ」とは「抑圧」からの「解放」だとすると・・・・・?

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2008年11月11日 22:46Fujii

「既存のユーザー」と違って、データが無い「新規のユーザー」を相手にするときはどうするの?

新規サイトの立ち上げ」だと、既存ユーザーのデータが無かったりします。 この点について、書籍ではあまり触れられていないことがあります。 というよりも、あまり区別して書かれていないので、整理してみようと思いました。

「新規サイトの立ち上げ」だから、「ユーザのデータはないよな」ということがスタートですが、実は結構考えさせられました。

単純なんですが「どういったユーザか考えたり、想像したり、仮に設定する前にWebサイトを作ることが先にきている」ということでした。

プロトタイプとして第一段階のWebサイトを作るという意味ではいいんですが、「考えたり、想像したり、仮に設定する」という部分が強化されるともっと計画的になって良いんじゃないかと感じました。

2008年11月10日 22:58Fujii

メモリ、ネットワーク、 電池の三人衆

前回の今もっているケータイがアップデートで機能が変わるということの続きです。

ややこしく描いてしまいましたが、「データはネットワーク上のサーバーにおいておくので、手元のPCや、ケータイ、それが合わさったような機器などは、そのデータを必要なときにネットにつないで読みにいくだけなので、データは保存しない物になる。」という世界観は、ある程度ネットにいつでもつなげられるようになってからかなということを思ったのでした。

それがスムーズにできるようになるまでは、手元にあって、好きにいじれるほうが便利だと思うからです。

あとは、許容できる量かな。

iTunesのほうに入ってるけどあまり聞かないのでiPodには転送しない曲もあるので。「ある程度」手元においておけるデータの量は重要かもしれないですね。

メモリはどんどん安くなりますが、圧縮しないで高音質の曲(高画質のムービー)を入れるようになると思いますので、意外と量は増えないのかと思います。

それらをスムーズにやり取りするネットワーク、再生できるための電池がどれだけのスピードで今後展開、開発されるのかによって生活が変わってくるかなと考えました。

描いてみて思ったのが

  • メモリ
  • ネットワーク
  • 電池

の3人衆の一人だけでなくみんながんばることが重要なのかなと思いました。

2008年11月09日 22:49Fujii

今もっているケータイがアップデートで機能が変わるということ

前回の液晶画面が連想させる(アフォードする)ものの続きです。

外(ハードウェア)と中(ソフトウェア)でわけるとすると、中に関してアップデートできるというのが、一番の良いところだと感じました。

今までは、新しい機能は新しいケータイだったのですが、部分的にはアップデートや、ダウンロードだけですむようになるのでしょうか?

アップルのAppストアは審査がありそうですが、もうちょっとオープンになるとiPhone以外にもいろんなものが出てくるのかもしれません。

ただし、カメラの部分を例に考えてみると

  • カメラの画素数を上げたいというのは無理なので、そういう時は買ってきてつければよくなるのか?
  • やっぱり、一体型であること自体が良いのか?(ただ、がんばれば同じ機能ができるということがすべてではない、ノートPCではなく ケータイでなぜネットをするのかというと、PCの電源入れなくても良いし、ごろんと寝る前にもできるし、小さいしというのが理由だったりする)
  • それとも、デジカメとケータイをつなげて写メールを送れるように使うのか? (世の中の一眼レフを持っているお母さん方が撮ったその場でケータイにつないでネットにあげる感じ)
  • ミニPCが話題ですが、ケータイの形で中身はPCそのものになるのか?

などなど、考えます。使う側からすると、全部の流れがするっといって目的を達成するものなので、ハードウェアやソフトウェアのみの部分ではなく無線のネットワークの整備の具合も関係するのかなと思いました。

2008年11月08日 16:05Fujii

液晶画面が連想させる(アフォードする)もの

前回(すぐそこにきている未来)の続きです。

機器のほうはいろいろ(PC、ケータイ、MP3プレイヤー、iPhone、TV、ゲーム)分けられますが、自分の生活の中でなにがどう使われるかは、結構ごちゃ混ぜです。

「ネットしたいな」と思う時には、ネットにつながる液晶画面のようなインターフェイスが必要とされると考えるほうが自然です。

液晶画面にこだわる必要はないと思いますが、「液晶画面(のようなもの)」自体が、「ネットにつながっている」ということを無意識のうちに連想させる(アフォードという表現になるのでしょうか?)ようになってきているのかと思います。

液晶画面のついたものは、TVはもちろんですが、本屋さんの書籍の検索する機器、カラオケで曲の選択、居酒屋のメニューの機器、カーナビ、デジタルカメラなどたくさんあります。

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すぐそこにきている未来

一部のコアな人たち(イノベーターとかトレンドセッターといわれるような)ではなく比較的一般的な人たちの未来について描こうとおもったんですが、描いてみて一般的な人のケースなのかちょっとわからなくなりました。

うーむ。

先日の、インフォメーショングラフィックのワークショップでご一緒させていただいたときに、Webに関わる仕事をされている方も何人かいらっしゃったので、そのときに、今後どうなるかなという話をしたのを思い出しました。 「どうなるか?」と「どうするか?」がまざった感じですね。

ちょうどそのころ、ひとつのWebサイトだけでなくその周りも考えようとして、ネットワーク自体の本を読んでいたりしたので、おもしろかったです。

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2008年11月07日 00:52Fujii

ペーパープロトタイプ(かるたでわかる用語集)

紙以外のプロトタイプだと、パワーポイントなどで作る人もいると思います。 Webページの場合縦の長さがあるのでなかなか悩みどころです。 自分は、パワーポイントだと長いページが描けないので、Excelで作っています。

似たような構成の場合は手で書くよりも使い回しがきいて速いという点、脳内に絵が想い浮かびにくい人には少しはっきりした形で見せないと通じないという点で、使い分けているという感じです。

UIでもWeb(ここでいっているのは主にPCで見る場合という意味/実際にはケータイやネットワークにつながっている機器なら何でもになります)とそれ以外では違ってくると思いますが、画面の動きだったり、ラベリングの良し悪しだったりを試すのに向いていると思います。

向き不向きは、その業界や製品ごと違うのでやってみて、何が得られそうか試すと速いと思います。

紙にする段階での、意思疎通の速さに関係するのは、以下の想像力や経験(経験したから想像できるという意味で)だと感じています。

  • 絵を描く経験
  • 描けなくても脳内で動かせる力
  • 使う人と組み合わせたときにどんな感じで使われそうか想像する力

絵を描く経験

一段階目の成果物は平面の絵になりますので、もやもやとした状態から、具体化する作業を繰り返し行っている経験は非常に重要です。

描けなくても脳内で動かせる力

かといって描けなくてもある程度までは、脳内で絵を動かせたりする人もいます。すいすい動かせない人よりも意思疎通は速いです。

システムを作っている人でも、システムを作らない人と話すときに、相手によって意思疎通の速さの違いを感じることはありませんか?

どこが、どうなっているか?しつこく聞いて、作れなくても、何がインプットされたら、何がアウトプットででてきて、これこれこういう場合はどうなって、これこれこういう場合はダメなのか?どこが鍵なのか?と自分の頭の中で動かせるように聞くような人(正確に状況ごとのケースを理解するまでしつこく質問する人)は意思疎通が速いと思います。

そして、普通のことですがどこまで理解できていて、どこからが理解できていないか整理もせず、それを把握するための質問もしない人よりも、意思疎通は速くなるのは当然ですね。

長くなりましたが、そういったタイプかそうでないタイプかということが、作れる作れない、描ける描けないというスキルと同じように意思疎通に大きく影響するのかなと感じています。

使う人と組み合わせたときにどんな感じで使われそうか想像する力

二段階目の成果物は作った平面の物が生活の中で誰にどんな感じで使われるんだろうということになります。これを想像する力は、演劇や脚本、パーティーの企画を考える行為などの時間軸のあるものを具体化する作業を行っている経験が重要になってきます。

自分は・・・

自分自身3つめの点が一番乏しいです、特に人の反応も含めた経験とは、自分自身が絵にする経験とはまた種類が違います。生活を想像はできても、反応を含めた経験とはまたちょっと別物です。

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2008年11月05日 23:17Fujii

リクルーティング(かるたでわかる用語集)

この「リクルーティング」もなかなか曲者です。 「どんな人を探してくるか?」というところを考えますので、探そうとすると「何のために作るんだっけ?」ということが露になったりします。新しいサイトなんかだと、ターゲット像がまずちっとも思い浮かばないなんてこともあります。

しかし、リクルーティングで「誰を探そうかね?」というはいりのほうが、「ペルソナ」とか「ユーザ中心設計」とか「ユーザビリティ」とかっていうよりも理解しやすい人もいます。横文字の用語の理解からではなくて、現実の人間のことから考えることができるので、いい入り口になります。

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