2018年03月28日 19:56Fujii

The art of user interface design

オブジェクトベースのUIデザイン術。

基本

1.デザインリサーチでゴールやタスクを把握

2.オブジェクトとアクションに分けモデリング

3.デザインパターンを使いながらメイキング

補足

すべては立証ではなくひらめきのために行う。

ネーミングと概念の定義が重要。 リサーチやモデリングの結果を詰め込むのではなく、同時進行でアイデアを考え、着地にいたらないものは外していく。

詳細はOOUX – オブジェクトベースのUIモデリング

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デザイナーの流出モデル

モデルの背景

デザイン組織の支援の相談には自社の組織にデザイナーないしデザインに親和性が高い人材がいないということがある。

実際には人数の多い組織であれば、全くいないということもなく、ワークショップなどをすると親和性の高そうな人材がいることもある。しかし製品レベルで影響を与えているということはないのである。

流出モデル

そこで、デザイナーないしデザインと親和性の高い人材の流出モデルというものを考えてみると以下のようになる。

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ある日、デザインに親和性の高い人材が組織に入る。そこがピラミッド構造の組織であるとすると、権限のある人材によってプロダクトが決定されるため、プロダクトには反映されない。

ピラミッドではなく、みんなでつくる組織でも同じで、仮にデザインスプリントにあるような多数決で決めるとしてもプロダクトには反映されないだろう。

唯一の解決は権限のある人、ないしメンバーの多くが変わるかだが、それもなかなか難しい。

こうしてそのデザインと親和性の高い人材は他社へ流出する。また別の人材が入っても同じことを繰り返される。

これが繰り返されると残った組織は、デザインと親和性の低い人材の濃度が高くなっていく。

このことが、先ほどの権限のある人やメンバーの多くが変わることの難しさにつながる。残っている人の多くはある意味選りすぐられた親和性の低い人ばかりだからである。

デザインプロセスが機能しない理由

デザインプロセスというのはいくつかあるが、組織によってアウトプットがガラリと変わるのはこれが理由だ。 なかにはプロセスを踏んでも混迷しただけのこともあるだろう。

図のなかの下のタイプの組織であれば人材が揃っているため、アウトプットはある程度のものになる。

あくまで一定のレベルの中で意思決定の方法としていくつかのタイプやデザインプロセスがあるのである。

近年旧型のエンタープライズ向け製品を扱う組織がデザイナーを大量に増やしている動きには、上のタイプでなんとかトップダウンでやりながらも、デザインの親和性の高い人材の比率を高めていこうとする動きだろう。

Appleに象徴されるような図のなかの下のタイプの組織で行うようなトップダウンらしき動きとはまたレベル感が違うのかもしれない。

親和性の高い人材を集めるには

デザイナーないしデザインに親和性の高い人材を集めるにはどうしたら良いのか。

デザイナーにとっては、プロダクトはその組織構造を伝えるメッセージである。 卵と鶏のようなものだが、小さくともプロダクトを変えること、デザインに親和性の高い人材が集まっている組織である、またはしようとしていることをなんらかの方法で伝えることが必要になる。

このモデルの応用

このモデルではデザイナーであったが、実際にはプロダクトを取り巻くコミュニティである。デザイナーだけでなくユーザーにも置き換えることもできる。

またデザインとの親和性の有無という区別を使ったが、どんなプロダクトでもデザイナーの役割を担っている人がいる。肩書きや関心、自覚がなくてもである。これらの人がこだわりを強く持っていることもある。

そのため、デザイナーがいないのでそこに追加するというモデルではうまくいかないこともある。

肩書きのない人もデザイナーと捉えることが重要で、そうなるとデザイナー同士で目指す山が違うということになる。現在のプロダクトは具現化された山である。

その山を登ろうとする人がその山に集まってくるのである。

2018年03月26日 15:01Fujii

OOUXのきっかけ

UIデザインの普遍的な手法であるOOUXのコアに名詞→動詞シンタックスがある。

このOOUXや名詞→動詞シンタックスという視点は今後様々な人に受け入れられることになると思う。

そんな中で、自分自身のきっかけとして、スノーボードないしはその周辺にあるフリースタイルという概念との類似を考えてみた。

まずスノーボードといってもスポーツ(競技)とフリースタイルがある。 混ざっている「フリースタイル競技」という概念もあるのでややこしい。

フリースタイルと名詞→動詞シンタックスが似ている点は、人間の発想に委ねられていることである。

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スノーボードにはレールやボックスなどのアイテムがある。 これがUIデザインでいうならばオブジェクトだ。

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いくつかのアイテムを決められた順序で行う。 これはフリースタイル度合いが低い。 これはUIデザインで言うならばオブジェクトベースの対極にあるタスクベース。

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アイテムは発想を豊かにすればこういった滑り方も可能だ。 こちらの方がフリースタイル度合いが高い。

UIデザインで言うならばTextwellでテキストを自由に発想次第で使いこなすことと重なる。

先ほどのややこしいといった「フリースタイル競技」というのは、競うために指標となる軸が必要で、軸の中で最適化されてしまうことが多い。なのでフリースタイルと言っても回転数を競う、スピードを競う、そういったスポーツに近い。

結果としてコマのようにくるくるどれだけ回るのかを競うことがゴールになってしまう。

似たようなジャンルの中ではどうだろう。

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フリースタイルという意味では、フラットな面で行うスケートボードと比べるとどうしても敵わない。スノーボードにあるような山の上から下へという重力がないからだ。

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スノーボードはどうしても手順感が出やすい面もある。上から下へという重力によって方向が決まってしまう。

サーフィンはどうだろう。スケートよりも歴史は古いが、スケートに比べると波という制約によって方向が決められる。ウェイクボードはどうだろう。ボートに引っ張られる分順序性は出てきそうだ。

今のところスケートボードが一番フリースタイル度合いが強い。

ということでこういったアクティビティの経験者は、フリースタイルというメンタルモデルを手掛かりに、UIデザインのOOUXや名詞→動詞シンタックスにチャレンジしてみるといいかもしれない。

2018年02月07日 10:03Fujii

「デザインはアートではない」という思考の次に

ここで言うアートとは「デザインはアートではない」と言う際に出て来る「アート」。 この場合のアートが何を指すのかなかなか難しいところ。

ここでは、「感覚による判断」としてみよう。そして、この話においては、「感覚による判断」は「論理的な思考」の対極に位置付けられているようにも思える。

まず「デザインはアートではない」と言いたくなる気持ちを考えてみよう。

例えば、

その人が意味を感じられなかった時。

その人が理解できなかった時。

その人がいいと思わなかった時。

こういった時だろうか。

「意味のないもの、よくわからないものを、自分の好き勝手に作ってるんじゃない。」と。

それはデザイナー(またはそのほか作り手)に向けた言葉かもしれないし、そういった製品やサービスに対しての言葉の中に出てくる。

「本当のデザインとはそのようなものではないんだ」と言いたいのかもしれない。

なので、よく「デザインはアートではない」という話とセットで、「デザインには理由がある」と言われる。

特に過激なものは「デザインにはすべて理由がある」という話。

理由というのは、「なぜ」である。

論理的な思考は「Why? Why? Why?」と繰り返すため、「感覚による判断」は「論理的な思考」の対極に位置付けられやすい。

かくして、この方向性のデザインはWhy?を繰り返すことになる。

そしてどうなるのだろうか。

その行き先の1つは、「ユーザー」。「ユーザーが言ったから」「ユーザーがこうしたから」。

別の行き先の1つは「ビジネス」。「売上が上がるから」「成長するから」。

関連して「調査」「データ」などが登場する。「調査した結果がそうだったから」「データがそうだったから」。

ここまでが第一段階だとすると、次の段階はどうなるだろう。

Why?を重視するため、そのWhy?を理由に次なるアイデアが選定される。駆動装置になるのだろう。

「ユーザーが言ったから」こうする。

「ユーザーがこうしたから」こうする。

「売上が上がるから」こうする。

「データがそうだったから」こうする。

その結果の判断も、ユーザーが言ったかどうか、ユーザーがしたかどうか、売上が上がったかどうか、データがそう示したかどうかになるだろう。世の中にはそんなループの中で半自動的に動くデザインもあるだろう。

では、ここで改めてWhy?の世界を続けてみよう。

「なぜユーザーなのか?」「なぜビジネスなのか?」

「なぜユーザーが言ったことなのか?」

「なぜユーザーがしたことなのか?」

「なぜ売上なのか?」

「なぜ成長なのか?」

そして、

「なぜ調査なのか?」

「なぜデータなのか?」

さらに、

「なぜそのユーザーを選ぶのか?」

「なぜそのビジネスを選ぶのか?」

「なぜその調査を選ぶのか?」

「なぜそのデータを選ぶのか?」

だんだんとこうなってくる。

「なぜその解釈なのか?」

「なぜその判断なのか?」

最後には、

「なぜそれが良いのか?」

となる。

ここに対する回答は「感覚による判断」になってしまう。

結論としては、こうしてデザインは一周回って「アート」に戻ってくるということ。 (ここでのアートは「感覚による判断」の象徴)

ただ、戻ってくるといっても、横から見ると少し縦軸が移動している。

それなりにWhy?を繰り返すと「感覚による判断」は排除できないということに至る。もしも最初から「感覚による判断」を完全に排除しようとしていると、いつまでたっても、別の何かを求めて彷徨うことになる。

なので「良いと思うものがどういったものなのか?」というのは、デザインにおいて逃れることができない重要なトピックなのだと思う。

というのを漫画にしてみると「Ladders」になりました。

2018年01月26日 15:33Fujii